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なぜ仏教を聞かなければならなのか

なぜ仏教を聞かなければならなのか

岡西法英 人間であること  科学技術の進歩と経済の発展は急激な社会変動をもたらしました。かっての「家」も「家庭」も多くは崩壊し、「核家族」すら分解して単独世帯が増えています。続々登場する最新の技術に対応してゆくことにも多大なエネルギーを要します。 ...

岡西法英 人間であること  科学技術の進歩と経済の発 ...

悪人正機と摂取不捨の本願

悪人正機と摂取不捨の本願

 阿弥陀如来の宿願は、一切諸仏からも見離された悪人を正機として、南無阿弥陀仏の名声を以て摂取不捨しようというものでした。  五劫思惟の果てに立てられたこの本願は、私たち衆生に何の条件をつけることもなく如来が全てを引き受けようという如来の利他の誓いですの ...

 阿弥陀如来の宿願は、一切諸仏からも見離された悪人を正機として、 ...

因幡の源左の言葉に学ぶ

因幡の源左の言葉に学ぶ

因幡の源左の言葉  源左の発言をたどってみると、信心に裏打ちされた揺るがぬ視点、自由闊達な智慧を 感じます。これを親鸞聖人は「信心の智慧」と呼ばれました。 しかし、一方では、法然聖人以来の伝承として、「愚に帰る」「愚者になる」ことこ そ念仏者の心得であ ...

因幡の源左の言葉  源左の発言をたどってみると、信心に裏打 ...

帰依三宝の意

帰依三宝の意

礼讃文(三帰依文) 〔講師独誦〕(取意釈)人身受けがたし、今すでに受く仏法聞きがたし、今すでに聞くこの身今生にむかって度せずんばさらにいずれの生にむかってかこの身を度せん大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつるべし はからずも人間に生まれ得たことほど ...

礼讃文(三帰依文) 〔講師独誦〕(取意釈)人身受けがたし、 ...

五劫思惟の本願

五劫思惟の本願

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 『歎異抄』 親鸞聖人のご述懐  このお言葉は、親鸞聖人がつねづね仰ったご ...

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がため ...

後生の一大事

後生の一大事

 かってはご法義の核心をあらわすことばとして日常生活の中に生きていたのに近頃はとんと聞かれなくなってしまった言葉が「後生の一大事」です。  あるお寺の控え室に「後生の一大事とは今日ただ今ということ」という標語ボスターが貼られていました。「後生」とはいの ...

 かってはご法義の核心をあらわすことばとして日常生活の中に生きて ...

生死出ずべき道

生死出ずべき道

  若く元気な時はひたすら生の永続を願い、死を何よりも恐れます。しかし老いて病に苦しむ身ともなれば、もうそれ以上の生を願う元気もなくなるのが私たちでありましょう。最後に与えられる万人平等の安らぎこそ「死」であると言えるはずなのであります。   ...

  若く元気な時はひたすら生の永続を願い、死を何よりも ...

至徳の名号 1

至徳の名号 1

 无碍光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ  「無碍光如来」とは阿弥陀如来のことでございます。衆生の悪業煩悩をもさまたげとせずにおさめ取って下さる光であるから無碍なる光と讃えられる如来なのでございます。  その無 ...

 无碍光如来の名号と かの光明智相とは 無明長夜の闇を破し 衆生 ...

非僧非俗ということ

非僧非俗ということ

二○○七年師走  岡西法英  序に代えて  一二○七年、建永二年(改元して承元元年)二月、「念仏停止令」が発せられ、四人の僧が死罪に処せられ、法然聖人・親鸞聖人等八人が流罪に処せられた。 さかのぼる元久元(一二○四)年十月、延暦寺の衆徒、専修念仏 ...

二○○七年師走  岡西法英  序に代えて  一二○七 ...

法要とは何か

法要とは何か

1. 「法要」とは仏法の肝要 教義的には      聖教集『真宗法要』の例儀礼的には      仏法僧の三宝を讃嘆供養する儀式を指す 2. 「三事」ということ    ...

1. 「法要」とは仏法の肝要 教義的には  &n ...