なぜ仏教を聞かなければならなのか

岡西法英

人間であること

 科学技術の進歩と経済の発展は急激な社会変動をもたらしました。かっての「家」も「家庭」も多くは崩壊し、「核家族」すら分解して単独世帯が増えています。続々登場する最新の技術に対応してゆくことにも多大なエネルギーを要します。人間ばかりか、一切の生物・非生物、自然環境までもが資源として商品化され、科学的操作の対象となりつつあります。社会変動の速度はもはや人間的なバランスを保ってついていける限度をこえてきているのかもしれません。

 その中で、個人の自由選択に任される事柄はますます増えて、成熟した社会人であることがいよいよ必要になってきています。しかし未熟な人間にとっては、重大な過ちを犯す危険がますます大きくなっています。サラ金地獄・自己破産、子育てノイローゼ・幼児虐待は今後ますます増える恐れがあります。従来、人間を守り癒す保護膜であった「家庭」も「親族集団」も「地域社会」もそして伝統宗教も、もはやその機能を失いつつあるといわねばなりません。そのしわ寄せは、高齢者・弱者・幼少年に押し寄せています。今私たちに必要なのは何でしょうか。先人の英知から何を学べばよいのでしょうか。

 まず、人間であるとはどういうことだったのかを問いなおしてみることが必要ではないでしょうか。

人間は生き物、苦悩の生き物

 仏法は何のために人の世に現れたのか。今から二千五百年前、インド東北部で釈尊によって、説き開かれた仏法でありますが、何のためであったかということになれば、二千五百年前のインドの話ではありません。今ここにいる私は人間である。その人間であることの意味を明らかにしようとするのが仏法なのです。

 人間とは何か。人間はまず生き物です。生まれてきた。老いてゆく。病むことのある。そして必ず死ぬ。それが生き物です。それが諸行無常ということです。折角生まれてきたのに、結局は死ぬというのではありません。生まれたものは死ぬ。その死んでいく命を引き継いで生きるために生まれてきたのでありましょう。

 そして、生き物であることを呪わずにはいられない。老いを悲しみ、病に苦しみ、死を憎み、別れを嘆かずにいられない。要するに生き物であることを持て余して悩み苦しむ。つじつまの合わない変な生き物、それが人間でね。一切は苦であると釈尊は説かれました。

 人間は何故生まれ老い病み死ぬのか、そしてそれに苦しまねばならぬのか。神に対する反逆への罰だというのが、ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教の考え方です。いや万人共通の避けがたい運命なのだというのが、古代ギリシャの人々の考え方でした。では仏法は何と説いているのでしょうか。釈尊は、自分が生き物であることに対する迷いである、ありのままに事実をみよ、本当の智慧の眼を開けとお説きになりました。

 「世の中には三つの誤った考え方がある。ある人は、全ては神の意志によるという。またある人は、すべては生まれる前から決まった運命であるという。またある人は原因も結果もなく、すべては偶然であるという。これらの考えは誤りである。人間が努力する意味を見失わせるからである。どのようなものの見方をし、考え方をし、言い方をし、やり方をするか。どんな生き方をするか、それが問題なのである。勤め励んで、悔いのない精一杯の生きかたをするところに、生きることの尊さがあるのだ」ということを説いておられます。

 中東に生まれた一神教とギリシャ思想と仏法と、三者三様のようですが共通点もあります。人間であることが如何に厄介なことであるかということ、そしてそれは結局人間が中途半端な知恵の持ち主であるからだということです。その中途半端な知恵を転換して、本当の智慧を開こう、人間であることに光あらしめようというのが仏法だったのです。

 誰でも将来に対する不安がある。だから、人はそれに備えることを学びます。努力します。どんな結果になっても悔いることのないようにと、精一杯今を努めることこそが心を安んじて前にすすむ道ですね。

 やり場のない悲しみに出会う。その自分自身の悲しみを通してはじめて、人の気持ちを思いやることもできるようになるのではないでしょうか。そして、人を思いやることをおぼえてはじめて、今までずっと人から思いやられて支えられてきた自分だったことに気がつくのです。感謝とよろこびを知ります。

 苦しみあってこそ、耐え忍ぶこと、助け合うよろこび、のりこえる楽しみを学んでいくのだと思います。

 悩むからこそ何が本当か、何が大事か、どう受け止めていけばよいかを考えます。そこから生きることを楽しむ知恵がわいてきます。

 そして、すべては過ぎ去る。我が身も滅ぶ。二度とない今日なのにこれでよいのだろうかと煩悶するとき、人は耳を開いて道を聞こうとします。先人の英知をたずねることを学びます。そして生涯かけての願いが生まれることもあるでしょう。目標を持って生きるようになることもあるかもしれません。

 このように考えたとき、人間は憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悶えによって育てられていくものなのだなあと思わずにいられません。それと同時に苦しみ悩みのないところに喜び・楽しみ・安らぎ・生き甲斐があるのではなくて、苦しみ悩みが発酵して喜びとなり楽しみとなり、安らぎとなるのではないかと思えてくるのです。

 そして逆にいえば、喜びや楽しみも、忍耐や努力、人への思いやりや目標を失うとだんだんと腐敗して、退屈・しらけ・虚しさ・もの足らなさになってしまうのではないかと思うのです。

意識転換を与えるのが仏法

 実際には、前向きに転換してゆくことが難しいのが現実の私たちです。将来に不安があるとかえって落ちついて今を精一杯に生きることが難しいのです。たとえば明日死ぬかも知れないと思うと、自分を見失ってしまい、最後の一日だから悔いのない一日にしょうとは思えない。こころは乱れ迷って冷静に現実を見つめることはできないでしょう。

 悲しい目に遇いますと、こころふさいで何故わたしが、わたしばかりがと自分の殻に閉じこもってしまい、人の気持ちを思いやる余裕などなくしがちです。

 苦しい時は助け合うどころか、なりふりかまわず自分のことしか考えられなくなりがちです。

 悩みに閉ざされると人の忠告もなかなか耳には入りません。思い過ごしとひとり相撲に落ち込んで、見えるものも見えなくなることが多いものです。

 そして、自分が死ぬのだと思うとき、すべてが空しく無意味にしか見えなくなりやすいのが私たちのすがたではないでしょうか。

 著者の名も、載っていた雑誌の名も忘れてしまいましたが、心に残っている一文があります。

 わが家の庭もすっかり冬枯れのある日、庭を掃除して掃き集めた落ち葉に火をつけて焚き火をした。

 数日前から小春日和が続いていたせいで、よく乾いていたからあろう。よく燃える。手をかざすと、ああ、あったかい。あかあかと燃える枯れ葉を見ていて、はっとした。こんな朽ち果てた枯れ葉がこんなにあかあかと燃えてわたしの手を熱いほどに温める。

 木の枝に青々と繁っている青葉ならいざしらず、すっかり褐色のまだらに枯れ果てて大地に散り敷いた枯れ葉にも、こんなにあかあかと熱く燃えるいのちがひそんでいたのか。わたしは、いのちの不思議な力に大きな感動を覚えずにはいられなかった。

 こういう文章です。細かい点は記憶違いもあるかも知れませんがお許し下さい。

 枯れ葉だって火をつければ燃える。いや、枯れ葉だからこそ火さえつければあかあかと熱く燃えるのです。あかあかと燃える炎の熱も光も枯れ葉のいのちのあかしです。光は燃える炎の放つもの、炎はいのちが燃えて発するものです。

しかし、火をつけられなければ、枯れ葉は燃えません。枯れ葉にひそむいのちもただ朽ち果ててゆくだけです。

 わたしたちの人生にも、何か火付け役になる発想の転換が必要なのです。それを教えて下さるのが仏法であると思います。

人間こそ大宇宙の珠玉

 「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今すでに聞く。この身、今生に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってかこの身を度せん」どんな聖典にも最初の方に出ている『礼讃文』のことばです。

 人間に生まれたことほど大きな幸せはなかった。そしてその人間に生まれたことの不思議さ尊さに気づかないわたくしに、気づかせて下さる仏法があった。それを聞くことができたことは驚くべき幸運である。この一生のうちに迷いを越えて、不滅の真実に遇わなかったら、何時、何に生まれたときに真実に出遇おうというのか。こんな意味だろうと思います。

 人間はいのちに苦悩する生き物なのです。しかし、いのちに苦悩する人間は、ただの生き物ではありません。いのちを知る生き物いのちを知るいのちなのです。いのちを知るからこそ悩む生き物なのです。生まれようと思って生まれてきたいのちじゃない。だから老いようと思わないのに老いていく。病を願うことなどないのに病む、逃げようとして逃げられないのが死です。我がいのちでありながら、我が意のままにならないのがこのいのちですね。しかし、一人一人の自分の命は短いけれど、長い長い大宇宙の歴史の中に不思議にも誕生した地球上の生命の歴史、重ねられてきた数知れぬいのちの営み、そのいのちの歴史を今ここに引き継いで生きている重い存在です。

 いのちを知るいのちである人間ひとり一人、それは大宇宙が生んだまなこ、大宇宙に開いた耳、大宇宙に生じたこころ、大宇宙に芽生えた知恵です。まさしく一人一人の人間こそ大宇宙の輝く宝石であり、地球上の生物三千万種類の中に誕生したいのちの中の花ではないでしょうか。

 考えてみれば、人間に生まれたということほどすごいことはなかったのです。その人間どうしの間で人と自分を比べて、小さな違いを見つけては上だ下だとこだわることほど愚かなことはなかったのではないでしょうか。お互いが人間に生まれ合わせたことほど、驚くべきことがありましょうか。

 本当の智慧、あらゆるいのちを輝かす智慧、それが自己との果てしない苦闘の末、釈尊が体得された「さとり」でした。

 いのち故の苦悩を越えて、いやいのち故の苦悩を通して、いのちの限りない輝きを見いだすことこそ仏法のテーマでした。そして人間に生まれた以上、誰でもが背負っている宿題でもあったのです。

 苦しみ悩みから逃げてはならなかったのです。苦しみ悩みから逃げることは、生き物であること、人間であることから逃げることでした。喜びやすらぎの原料を捨てることだったのです。幸せであろうとして、私ははますます不幸のなかへ逃げ込んでいこうとしていたのです。「占いやまじないは人を不幸にする。近づいてはならない」と教えられてきた意味がはっきりわかったような気がします。

 生きているためには、数知れないほどの条件要素が揃っていなければなりませんが。死ぬのには、何の造作も要りません。コンピューター、作るは困難こわすは簡単、猿でもできる、熊でもできる、大事にしててもそのうち壊れる。人間のいのちもそうですね。

 月にも火星にもそして太陽系のどの惑星にも、あるいは宇宙に存在する数知れぬ惑星にも、生き物がいなくて当たり前で何の不思議もないことです。むしろ、この地球上にどうして生命が誕生したのか、そしてわずか四十億年ほどの間に、どうして三千万種類もの多くの種類ができたのか、どうして人類が登場してきたのかが不思議なのではないでしょうか。そしてこのわたしが人間に生まれて来て、ここにいる。何という不思議でしょうか。
わたしが生まれる前には、無限ともいうべき長い時間があったわけでしょう。そして、わたしが死んだ後、また永遠の時が流れて行くに違いありません。無限の時間の中にほんのひとときの、一瞬の輝きにも似たいのちなのでありましょう。今生きているということこそ、まばゆいほどの大不思議ではありませんか。無限の時間の中での五十年や百年の寿命は、長いとか短いとかいうべきものではなかったのかも知れません。百年生きても長くはない。十年の寿命も短くはない。与えられたいのちの不思議に目覚めるかどうか、それこそが問題なのではないでしょうか。
 

釈尊の出生

 仏教の開祖釈尊は、今から二千五百年程前、インドとネパールの国境付近に住んでいた釈迦族の大王、スッドーダナ(浄飯王)の長男として誕生されました。生みの母は、釈迦族とは同族の隣国コーリア国の王家から嫁いで来られたマーヤという方であったと伝えられています。初産を控えての里帰りの途中、ルンビニーという所でにわかに出産、月足らずでお生まれになったのです。産後の肥立ち悪く、マーヤ夫人は七日後に亡くなられました。代わって後妻として嫁ぎ、養母となられたのは、妹のゴータミー・マハーパジャパティーという方です。慣例にしたがい母のファーストネームを受け継いで、ゴータマ・シッダールタと名づけられました。「お釈迦さま」という名で親しまれていますが、釈迦は部族の名で、個人名ではないわけです。後に、釈迦族から出た尊敬すべきお方ということで釈迦牟尼世尊・釈尊と呼ばれ、あるいは釈迦如来・釈迦牟尼仏と讃えられました。

無常の現実に向かい合って

  慈愛深い両親の養育のもと、大王家の世継ぎとして、何不自由なくお育ちになりましたが、もの思いにふけりがちな少年であったと伝えられます。

 経典には「私のために季節に応じて過ごすための三つの宮殿があった。雨の多い雨期には、女たちばかりの伎楽団に囲まれて終日宮殿で過ごした」いう回顧があります。また、もの思いにふけりがちな様子を見て、大王が外出を勧めたところ、東の門より出ては、老人に、南の門より出ては、病人に、西の門より出ては、葬儀の列に遭遇して、無常の現実に驚き、最後に北の門より出て、木陰に瞑想する修行者の姿に出会って、道を求めたいという思いを抱かれたと伝えられます。「四門出遊の故事」として有名です。

  また、別の経典には、次のような回想が述べられています。
  「自分こそ老いゆくもので、同様に老いるのを免れないのに、老衰した他人を見て、悩み、恥じ、嫌悪する・・自分こそ病みゆくもので、同様に病むのを免れないのに、病人である他人を見て、悩み、恥じ、嫌悪する・・自分こそ死ぬもので、同様に死ぬのを免れないのに、他人が死んだのを見て、悩み、恥じ、嫌悪するであろう、このことはわたくしにはふさわしくない」

生老病死の必然性

  自分が生まれてきた身であり、やがては老い、病み、死ぬ身であることは誰もが知っていることです。しかし、老病死という順序については、違和感があるのではないでしょうか。何度か病気をしながらも、そのつど治って暮らすうちに、段々と年老いて、ついには死ぬという風に考える人が多いのではないかと思います。生病老死の順で考えているということです。

  仏教では、生老病死という順序で説かれています。この順序の意味するところは何でしょうか。老いるが故に病み、老い病むが故に、ついに死に至るということであろうと思います。どんなものも古くなれば傷む。古くなって傷まないものなどある道理がない。周辺部分の傷みはともかく、肝心の部分が傷めば、組織構造は機能しなくなる。死ぬわけです  老いることを止められない限り、病を止めることはできない。肝心な部分が病めば、あるいは損傷すれば、若かろうと幼かろうと、立ちどころに死ぬのです。生まれてきたものとして存在する以上は、時間の経過とともに老化して、崩壊し消滅するという必然性を表していたのが生老病死という順序だったのです。

 これは、人間だけのことではありません。全ての生きものがそうです。それどころか、この地球や太陽や月や星、大宇宙の全体もまたそうです。大宇宙も、永遠の過去から存在し、永遠の未来まで存在し続けるわけではありません。大宇宙もまた、生まれたものであり、老化して崩壊し、消滅するものであることは、現在の宇宙論の常識です。生まれたものは必ず死に、生じたものは必ず滅する。これが無常の理と呼ばれる「法」です。

命を命と知る知恵に病む

 さて、自分が生まれてきた身であり、やがては老い、病み、死ぬ身であることは誰もが知っていることですが、にもかかわらず、誰もが、老いを悲しみ、病を憎み、死の影におおのき、死を呪います。始めからわかっているはずなのに、とまどい嘆くのです。

 生老病死は生命の約束です。死ぬ命だからこそ、それを引き継ぐために生まれて来た命です。先の命が死ぬから生まれてきたのであり、自らも死ぬものとして生まれてきたのです。老病死を呪うことは、生き物であることを呪うことに他なりません。

矛盾をはらむ中途半端な知恵

 生き物多い中に、ただ一種、命を命と知る生き物は人間です。自らが生まれた身、死すべき身と知る知恵を持った生き物が人間です。しかし、その人間はその知恵で、老いを悲しみ、病を憎み、死を呪うのです。自らが生き物でありながら、生き物であることを呪わずにはいられない。何と深い矛盾でしょうか。人間の知恵は何と中途半端なのでしょうか。上記の経文では、「このことはわたくしにはふさわしくない」という言葉で、このことを語っています。

生と死ではなく生死

 命の無常と、人間の知恵の矛盾、そしてそれ故の苦悩を、仏教では「生死」という一語で呼びます。「生死無常の理」「生死の苦」「生死輪廻」という熟語で、無常の事実に苦しみ迷って、空しく命の時を通りすぎることを指し示します。仏教用語としての「生」は生きるということではなく、生まれることを意味します。生まれたものは死ぬということです。

 ところが、現代日本人の多くは、「生と死」というとらえ方をしています。死の反対は誕生であって、生きることではありません。生きるということには、初めと終わりがある初めを誕生といい、終わりを死というのです。誕生も死も、「生きる」ということにはじめから含まれているのです。それなのに、生きることの反対が死であるかのような言い方は、死を生きることとは別のものとして排除する考え方を表しているように思われます。それはまさしく命に惑い、命を見失った姿であるといえるかも知れません。

人間としての根源的な問い

 人間の知恵が抱えるこの根本的な限界と矛盾に着目し、これはどこかおかしい、我々の知恵は本当の智慧ではない、もう一歩踏み込んだ所に本当の智慧があるのではないか。自らの老病死の厳然たる事実と真向かいに生きて、しかもその中に安らぎと喜びを見出すことのできる道があるのではないかという問いを見いだされたのが釈尊でした。

 このような問いを、自ら見出した人は他にいるのでしょうか。誰もがこの問いの中にいながら、実際はこのような問い方はしないのではないでしょうか。仏教徒も聞き学んで、その通りでしたとうなづいてきたに過ぎないわけでしょう。

 全ての人がこの問いを背負っているはずですが、現実にはこれを自らの問いとする人は滅多にいません。実際には、仏教の教えを聞いてはじめてこの問いを見いだす人、聞いてもなお、この問いの重大性に気づかない人がほとんどではないでしょうか。仏教のわかりにくさ、難しさの根本はここにあるといえます。

宗教の違いは問いの立て方の違い

 世にはさまざまな宗教があります。その教えはどれも似ているように見えるかもしれません。教えはみな、答えの形で説かれています。しかし、その答えが、どのような問いに対する答えなのかが何より重要です。どのような問いを人間にとっての根本問題と見るかということこそ、その宗教の核心であるからです。

 病気でいえば、診断が決定的に重要であるようなものです。診断が間違っていれば、どんな努力も無駄になります。どんな薬も技術も治療としては的外れなものになります。

 しかも、病気を病気と見ての診断以前に、そもそも病気という観点を持たなかったとしたら、一体どうなるのでしょうか。

 「この痛みは如何なる病によるものか。如何なる治療が治癒をもたらしうるのか」というのは現代医学の問い方です。しかし、「この痛みは如何なる神(悪霊)のたたりか」「この苦痛は如何なる罪の報いか」「この痛みは如何なる運命によるものか」「如何なる意と図があって神はこのような苦痛をわたしに与えるのか」という問い方しか知らなかった時代がありました。そして、いまだにそのような観点にこだわる人達もいます。

 どのような観点に立って何を問題にするか。そこから宗教の違いは生まれます。だからこそ、歴史と伝統を持つすぐれた宗教は、互いに学び合うことも多いはずです。

人間の知恵の不完全さが苦悩のもと

 現在地球上には五十億を越える人間が住んでいます。そのうちの半分程の人々はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の信者だそうです。これら三つの宗教が共有しているものがあります。旧約聖書に書かれた天地創造の物語だと聞いています。随分前ですが映画にもなりました。「天地創造」という題でした。

 旧約聖書「創世記」には次のようなことが書いてあります。神はこの世界を作られた後で、自分の姿に似せて人間をお作りになった。土の塵をかき集めて息を吹き込み、人ひとりだけを作られ、エデンの園という楽園に住まわせ、次のように言われた。お前はここで好きな木の実をすきなだけ食べよ。好きなように暮らせ。ただし、善悪を知る木の実だけは食べてはならぬ。食べれば必ず死ぬと。

 この人アダムは神が作った全てのものに名をつけた。そして神はアダム一人では寂しかろうというので、もう一度アダムを眠らせ、脇腹の骨を一本取り出して、それで女を作られた。

 エデンの園の中に住む全ての生き物の中で一番小賢しかったのは蛇だった。蛇は女を惑わせて、エデンの園の真ん中に生えた善悪を知る知恵の木の実を食べるように勧めた。「なーに大丈夫、死にはしないさ。お前たちがそれを食べれば知恵がついて神のように善悪がわかるようになる。神はそれを恐れているだけだ」と。女は美味しそうなその実を見てこれを食べればそんなに賢くなれるのかしらと思い、とうとうその実を取って食べた。そして夫のアダムにも食べさせた。途端に知恵の眼が開いて、二人は自分たちが裸であることに気づき、いちじくの葉で前をおおい隠す腰巻きをつけるようになった。そして、神がやって来られると木の間に身を隠した。

 神は二人からことの次第を聞き出すと、罰をお与えになった。蛇はどんなけものたちよりも呪われた存在として大地を這って歩き、末代までも全ての女たちから嫌われ危害を加えられるように、女は妊娠と出産の苦しみを背負い、夫に支配されるように、そしてアダムは神に背いて禁断の木の実を食うことによって大地を汚したが故に、罰としていばらの生えた大地から、額に汗して働いて野菜を採って食べ、最後は死んで、もとの土の塵に帰
るようにさせられた。アダムはその妻をイブと名づけた。すべての生ける人々の最初の母となったからである。そして二人はエデンの楽園を追い出された。

 これによれば、人間は神に似せて神が作ったもので、もとは産んだり生まれたりするものではなかったというのです。それが、神に背いた。知恵を身につけてしまった。神から身を隠すようになった。その罰として人は死ぬようになった。だから、跡継ぎを女がお産の苦しみの中から産まなければならなくなった。人は生まれ、人は死ぬようになったというのです。

 男は妻子を養うために労働の辛さに耐えながら大地を耕し食べ物を得なければならなくなったというわけです。わたしたちはこのふたりの罪人の子孫である。二人が犯した罪こそ全ての罪悪の根本である。原罪であるというのです。

 人が生まれ、老いて病んで死ぬのは罰であった。出産の苦しみも罰、労働の苦しみも罰であるということになります。

 何の罰か、神に背いた罰。その中身は何か、知恵を身につけたこと。けものにはない知恵、しかし神の知恵とは違う神に背く知恵、要するに不完全で中途半端な知恵が災いのもとだということではないかと思います。

 これより先、ギリシャの人々は、話は全く違いますが共通点もある神話を持っていました。スフインクスにまつわる物語です。そうです。エジプトのピラミッドのそばのあれがスフインクスの像です。ギリシャ神話がエジプトに伝わったのですね。これも映画になりました。「アポロンの地獄」という題名でした。

 古代ギリシャの都市国家の一つテーバイの王ライオスはオリンポスの神のお告げによって、今度産まれてくる子が成長したならば、父を殺し母を妻とするであろうと知らされました。そこで、人に命じてこの子を殺させようとしました。その人はかわいそうになり赤子の足を木の枝にくくり付け、ぶら下げたまま帰ってしまいました。これを見つけたひとりの百姓は、自分の主人の所へ連れていきました。その家には子供がありませんでした。

 神からの授かり物と喜んで、わが子として育てることにしました。そして、オイデポスと名づけて大切に育てました。歳月は流れ、オイデポスは青年になりました。そして彼自身もまた、デルポイの神殿での成人式の後、神官からの神の告げとして、自分の恐ろしい運命を聞くのです。彼は今の育ての親しか知りません。ここにいてはならない。そんなことが起こらないようにと、行くあてもない旅に出たのでした。

 さて一方、ライオス王はただ一人の家来を連れただけで、テーバイを出て、デルポイへと用事に出かけて行きました。そして、途中の道の狭まった所で、一人の青年と出くわします。道を譲れ譲らないのいさかいとなり、青年はライオス王と従者の二人とも切り殺してしまいました。その青年こそオイデポスその人だったのです。彼は知らずして父を殺してしまったのです。

 その後間もなく、テーバイの街はある化け物が国境の峠に出没するために他国との行き来が途絶えて難儀するようになりました。それがスフインクスという怪物で、身体はライオン、首から上は女でした。それが峠に現れては、通りがかりの人間を差し止め、謎をかけて、謎が解けなければ殺してしまうというわけです。誰もその謎を解けないで、みな食い殺されてしまいました。ところがオイデポスはその謎をいとも簡単に解いてしまったのです。スフインクスは尋ねました。「朝には四つ足、昼には二本足、夕方には三本足となって歩くものは何だ」オイデポスは答えました。「それは人間だ。人間は幼い時はよつんばいで歩き、大きくなれば二本足で立って歩く。そして年寄れば杖をついて三本足で歩く」スフインクスは謎をとかれたのを恥じて身を投げて死んでしまいました。

 テーバイの人々は喜んで、彼を英雄として迎え、帰っては来ないライオス王にかえて、オイデポスを彼らの王とし、女王イオカステを妻として娶らせます。彼女はライオス王のの妻だった人、つまりオイデポスの母だったのです。知らずして彼は母を妻としてしまいました。

 そしてこのことはずっと後になって、うち続く疫病と飢饉の原因は何かと、神の告げを求めたとき、すべて明白になってしまったのです。イオカステは自ら命を絶ちました。オイデポスはもう何も見たくないと己の目をえぐり、もう何も聞きたくないと己の耳を突いて、光も声もない闇を背負いつつテーバイの地をさまよいました。悲惨な放浪の果てにその生涯を終えたオイデポスに最後までつき従ったのは彼の娘であったということです。同じ母の子、つまり妹にして、かつ彼の娘でした。彼女こそまた運命の申し子であり、運命の随従者であったのです。

 父を殺し母を妻とするという恐ろしい運命を背負ったのはオイデポス個人ですが、生まれ、成長し、そして老い,死ぬというのは万人が共通に背負っている運命でした。自分の運命を知らされてもがき苦しんだオイデポスは、万人共通の避けがたい運命をも見通すことができました。しかし、彼は知っていながらも、ついにその運命からは逃れられませんでした。逃げようともがいても逃れられない運命を背負って、いのち終わるその日まで苦しみ悶えねばなりませんでした。人間であること、それは悲劇である。人間の苦悩は避けがたい運命であるということなのでしょう。半分人間、半分けもののスフインクスの姿そのものが人間とは何かという謎だったのです。
 運命を知る知恵はあっても、逃れる知恵は持たないのが人間であること。人間の知恵は中途半端なものでしかないこと。それこそが苦脳のもとだったということでしょう。

 人間は何故生まれ、老い病み死ぬのか、そしてそれに苦しまねばならぬのか。神に対する反逆への罰だと、旧約聖書は言います。避けがたい運命であると、ギリシャ神話は教えます。では、仏法は何と説いているのでしょうか。

 釈尊は、自分が生き物であることを直視できない迷い故に、老病死を恐れ、老病死に苦しみ、老病死を嘆くのである。ありのままに事実を見よ。本当の智慧の眼を開け。とらわれを離れたところに真の安らぎと喜びがある、とお説きになりました。

  また、「世の中には三つの誤った考え方がある。ある人は、全ては神の意志によるという。またある人は、すべては生まれる前から決まった運命であるという。またある人は原因も結果もなく、すべては偶然であるという。これらの考えは誤りである。人間が努力する意味を見失わせるからである。どのようなものの見方をし、考え方をし、言い方をし、やり方をするか。どんな生き方をするか、それが問題なのである。勤め励んで、悔いのない精一杯の生きかたをするところに、生きることの尊さがあるのだ」ということを説いておられます。

 旧約聖書とギリシャ神話と仏法と、三者三様のようですが共通点もあります。人間であることが如何に厄介なことであるかということ、そしてそれは結局人間が中途半端な知恵の持ち主であるからだということです。その中途半端な知恵を転換して本当の智慧の眼を開こう、人間であることに光あらしめようというのが仏法だったのです。

仏教は智慧の宗教

 人間の知恵が中途半端なものであるために、老病死に苦しみ悩むのだということは、仏教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・ギリシャ思想に共通の見方でした。しかし、そこから先の方向がまるで違いました。出発点の問いのあり方が違っていたからでしょう。中途半端な人間の知恵を捨てて、全知全能の神の心に従おうというのが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の方向であり、どうすることが神の心にかなうのかが問われてきました。古代ギリシャの人々は、いかなる運命も甘受するものが英雄と考えたようです。ところが、釈尊は、中途半端な智慧を踏み越えて、より深い真の智慧を獲得することによって苦悩を乗り越えようと考え、その智慧とは、どのような智慧かと問われたのです。その意味で、仏教は、神の宗教でも、運命論の宗教でもなく智慧の宗教であるといえます。

仏教は苦の宗教

 仏教の出発点は、天地の始めでもなく、人間より前にいたという神でもありません。今現に生きている人間の、というよりは自分自身の苦悩の解決ということでした。その意味で仏教は「苦の宗教」であるといわれます。仏教の見方によれば、世にさまざまな宗教が生まれ、さまざまな神があがめられ、さまざまな修行が行われるのも、実は人間に苦悩があるからに他ならないのであって、宗教を生み出すのは、神でも人間の宗教心でもなく、人間の苦悩であるということになります。

 人間の苦悩は、「憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悶え」と示され、あるいは、「四苦八苦」と示し、あるいは「三苦」と説かれます。三苦というのは、苦苦・壊苦・行苦の三つをいいます。苦苦は、肉体的苦痛を指し、壊く苦は老病死や別離など、愛着するものが壊れていくことに対する精神的な苦痛をいうのです。また、行苦は、諸行無常の苦ということで、空しさを感ずる苦です。人間の知恵ゆえの苦です。

 四苦というのは、生苦・老苦・病苦・死苦を指します。生苦というのは、生まれの苦ということで、生まれる時に苦しいということではなく、人は生まれを選ぶことができないということです。死苦というのは、死ぬときの苦しみということではなく、嫌でも死なねばならないということです。苦とは、苦通を感ずるという意味に違いはありませんが、我が意のままにはならないという意味でもあるのです。生まれから死に至るまで、思うままにはならない我が身、我が命ということです。

 八苦というのは、この四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四を足したものです。愛しい者と別れねばならない苦、憎い敵と会わねばならない苦、求めて得られない苦、生きているがゆえの苦ということです。これも、思うままにならないのが人生ということを表します。

 憂いとは、将来に対する不安ということ、悲しみとは、大切なものを失うということ、苦しみとは思うままにならないこと、悩みとはどうしていいかわからないこと、悶えとは結局は死なねばならないということでしょう。

迷いと無智

 備えあれば憂いなしという通り、将来どうなるかわからないからこそ、今のうちにできることをしておこうと、勤勉さ(精進)を学ぶことができれば、これは智慧であるといえます。

 願っても願い通りにならず、時には愛するものと別れねばならない悲しみの中から、「私一人ではない、あの人もこの人も」と、思いやりの心(慈悲)を学ぶことができれば、智慧であるといえます。
 苦しみを背負う中から、助ける喜び、助けられる喜びを学ぶことができれば、これは智慧であるといえます。

 「情けは人のためならず」というように、人を思う心が、人に思われていたという喜びを見いだすのです。

 どうしてよいか、どう言えばよいか、どう考えればよいかと悩む中から、何が一番大事だったか、願うべきは何かを見いだせば智慧であるといえます。
 「結局は死ぬ身だからこそ」と不滅の真実を求めるのが智慧であるといえましょう。
 しかし、わたくしたちはなかなかそうはいきません。「ああなるのではないか、こうなったら」と、取り越し苦労で意気消沈し、「どうなることやら、どうせ」と座り込み、「私ばかりが何故」と閉じ籠もって人の気持ちも考えず、「人のことなどかまっていられない、自分さえよければ」となりがちです。目の前のことに一喜一憂して、「死ねばしまいだ」と生きることの意味を投げ出してしまう人もいます。

 私たちは、まことの智慧なく、したがって、精進も慈悲もなくして、深い迷いの中にもがいているのだということを認めずにはいられません。

自分のものさしにとらわれる

 私たちは過去の経験に立って現在を受け止めようとします。しかし、大抵は自分の勝手な受け止めでしかない過去の経験を基準にしてしか現在を見ることがなかったら、現在は変形した過去に過ぎないことになります。これでは、過去の影に縛られ、自分の思いにとらわれて現在をまともに見られないというのと同じです。

 新しい時代は、前世代の人から見れば、「嘆かわしい」「わからない」「どうしようもない」ものと見えるのが普通のようです。逆にまた、現在の状況や経験で、昔のことを推測しても、全くの誤解であることが多いことも、歴史を学ぶことで気づかされることがしばしばです。

 また、自分が勝手に思い描く未来に向かってしか現在を受け止めようとしないとすれば現在は単なる途中経過でしかなくなります。これでは現在を見ていないことになります。どちらも、夢と妄想の中に生きて、本当に現実を生きているとはいえないということです。そうやって、自らの「いのち」に、そして「今」に背いているのが、迷える私たちではないでしょうか。

全てを手段として利用する人間の知恵

 かつては、神と崇められた山や海を、今は観光資源・森林資源・海洋資源として、手段視することが常識となってしまいました。夫婦の思い描く幸せのために、人口出産・男女産み分け・産児調整・妊娠中絶が一般化しました。野菜・魚介・獣肉は命としてでなく、商品として流通しています。大地は領土となり、海洋は領海となりました。穀物の種子はその遺伝情報の価値に注目されてアメリカの国家戦略によって収集され終わったと聞きます。人間の遺伝子までが操作の対象となりつつあります。生命の根源もまた商品化されていこうとしています。

 商品化されるとは、手段としての価値が評価されるということであり、その価値が金銭によって置き換えられるということです。金銭によって、その存在そのものは抽象されて金銭によって計られる商品価値の方が重視されるということです。労働の商品化がもたらす人間疎外を問題にしたのはマルクスであると聞きます。しかし、人間はもちろん、諸々の生命や地球環境までが商品化されていくという、現代文明の暴発に潜む危機の大きさは彼の予測をはるかに越えていたのではないでしょうか。

 しかし、人間の知恵の持つこのような問題性は、今に始まったことではありません。宗教の分野の歴史にも現れています。

 因果観念に基づいての目的と手段という思考法こそ、文明の本質であるともいえるのではないかと思われます。自分の願望をかなえるための手段として宗教をとらえ、「何の役に立つのか」「どんな得があるのか」「どんな御利益があるのか」という観点から見ようとすることは、今も昔も世の常です。

 果を得るために因を植えるという発想、目的と手段という思考の枠組みを、親鸞聖人は「信罪福心」と呼んで、阿弥陀如来の智慧を疑う自力の計らい(人間の自己中心的な思考形態)とされました。

迷いが生み出す問題を解決するのは智慧

このように見れば、現実の自分が如何に深い迷いの中にいるかが思い知らされます。無みょう明煩悩、愚痴十悪、罪悪生死の凡夫と呼ばれていることもうなづけます。
 現代社会の矛盾や時代のさまざまな問題を生み出したのは神でも魔物でもありません。
私たち人間が作りだしたのです。解決してゆかなければならないのは、神でも仏でもなく私たち自身なのではありませんか。祈ったり願ったりしていては的外れではないでしょうか。
 そもそも、「救う人間と救われる人間がいる」というのでは間に合わないのが現実なのではないでしょうか。誰にも代わってもらえない私一人の人生、待ったなしの選択の積み重ねで織りなされていく私の一歩一歩なのです。いちいち教わったり、占ってもらったり祈ってもらっていては、とても間に合わないのではありませんか。

 私たちが本当に求めるべきものは、まことの智慧であったのです。釈尊の覚りとは、まさしくそのような智慧の眼を開くことでした。そして、本願念仏の道を示して、あらゆる凡夫にも与えようとされたのは、「信心の智慧」でした。釈尊の覚りの智慧とは違いますが、阿弥陀如来の智慧をそのまま光と仰ぐことで得られる智慧です。「智慧の念仏」「信心の智慧」と呼ばれたのは親鸞聖人でした。「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」と、恩を知る智慧、浄土に生まれて仏となり、一切衆生を救う智慧であるとのお示しです。

 それは、エゴイズムと欲望に縛られた人間の知恵を越えた大いなる真実からの呼び覚ましの声を聞く智慧であると同時に、ありのままの現実を直視し、確かな受け止め方と生きかたをしてゆこうとする智慧、現実から学ぶ智慧です。わかった、さとったという智慧ではなく、歴史と社会の現実の中でもがきながら生きる人間の一人として、歴史と社会と人間から、学びつづけようとする智慧であるともいえましょう。

 願えども願えどもままならぬ私と世の中の現実があります。しかし、ならねどもならねども、願わずにいられない、いや願われていると知る中で、「どうせ」などと足を出すことなく、力らを尽くして倦むことのない生きかたをしたいものです。そのための力となるものこそ信心の智慧であり、それを与えようとするのが本願念仏の教えであると教えてくださるのです。

 親鸞聖人が、自ら信じ、人にも信じさせて分かち合おうとされた「利益」とは「信心の智慧」という利益でした。これなくしては、地球規模で起こりつつある現代のさまざまな課題を自らのものとして担うことはできず、困難な時代の諸問題に立ち向かい、仏法がその真実をあらわすこともないでありましょう。

信心の智慧とは、聞くことで届いてくる智慧

 釈尊やその弟子たちは、家を捨て欲を棄て、あらゆる文明の恩恵を捨てて、拾い集めたボロを縫い合わせた三枚の袈裟を衣服とし、一つの鉄の鉢を携えて家ごとに残飯を乞うて日に一度の食事をし、木陰に瞑想する修行者でした。素っ裸の一個の生き物としての原点に立ち返って、いのちの真実を見つめようとしたのです。そのようにしてしか得られないものが覚りの智慧であったといえるかもしれません。
 しかし、私たちがその真似をしようとしても、とても無理なことです。現代の文明社会の恩恵に浴してといえば聞こえはよいのですが、浮世のしがらみの中でがんじがらめとなり、あまりに多くの情報の氾濫の中で欲望ばかりを刺激され、消費文化の中で家畜化されながら、心のよりどころを見失って、「人間性」がもがいています。

 そのようなわたくしたちにとっては、釈尊が自らの覚りの智慧に立って、迷いの中にいる人々にも何とかして智慧をさずけたいと、これを聞け、これを信ぜよ、これをよりどころとして生きよと説かれた本願念仏の法を、我が心を越えた大いなる真実からの呼びかけと聞き信ずるよりほかに智慧はありません。

 法に背き、真実に背を向け、自らの命を裏切りながら生きる私たちにとって、仏法を聞くことこそ、真の意味で人間性回復の道をたずねることであり、いのちの呼び声を聞くことであり、生きることの意味を見いだす道であり、今を生きる一人の人間としての勇気と力を得ることであったのです。

宗教の課題と浄土真宗

 宗教は、人間の苦悩から生まれてくるものであることはすでに述べました。しかし、それ故にこそ、人間中心性や自己中心性を免れ難い面があるのも一面の事実です。
 経典には、仏教以外に存在したインドの諸宗教を、「九十五種の外道」と呼び、世を汚すものであるといってあります。何故世を汚すのか。「見愛我慢の心を離れず」「愛見の穴に落ちる」からであると示してあります。つまりはエゴイズムを離れられない。むしろエゴイズムを膨張させるということでありましょう。

 人間のために世界がある、人間こそ他の生物の支配者であるというのは、いわば人類エゴというものです。「我が国は神国である」「国益のためには先制攻撃を辞さない」というのは国家エゴです。会社の利益のためには公害の垂れ流しも止むを得ないという企業エゴもあります。自分の所属する部署の利益のために、我が家のためになど、さまざまな集団エゴが渦巻いています。そしてもちろん個人のエゴは意識するとしないとにかかわらず誰もが抱えています。家の宗教、国家の宗教というのは、実は家のエゴ、国家エゴの思想でもあったというのが現実ではないでしょうか。また、世に「ご利益」といわれているものは、多くはエゴが満たされることだったのではないでしょうか。このエゴを問えない宗教は世を汚すものであるとの指摘です。

 特に注意すべきは、宗教エゴ、宗教集団エゴです。この宗教集団エゴは、しばしば国家エゴと結びついて、巨大な災いを世にもたらしてきました。そしてその罪は責められることはほとんどの場合ありませんでした。国家や宗教を裁判にかけるほどの大きな組織は存在しなかったからです。ましてや、幾つもの国家をすら傘下に抱き込んでいるような巨大宗教を問うものはありませんでした。

 ナチスドイツや帝国日本が裁かれたのは新しいことだったのです。連合国、国際連盟などのより巨大な組織が誕生したからこそです。日本の国家神道が戦犯宗教として裁かれ、解体されたのは、世界の歴史で初めてのことでした。

 宗教が戦争を起こすのではないのでしょうが、国家は戦争のために常に宗教を利用しようとします。宗教団体もまた、教団の安全保障のため、時には権利拡大のために協力することが多いのが事実です。

 このような集団のあるいは個人のエゴの集積の結果として、絶え間ない紛争・戦争が生まれ、地球規模の環境破壊が進んで、多くの生物が絶滅の危機に陥り、人類の存亡も危ぶまれています。人間のエゴが、地球の自己修復力よりなお巨大な、現代科学という力を手にいれてしまったからです。

 個人のエゴに止まらず集団エゴを、さらには自らの宗教集団としてのエゴを問えないような宗教は、まさしく世を汚すものとして批判されなければならない時代になりました。
ところが、かねてからすでにこのことを教えたものが、浄土真宗の「おきて」です。決して仏法の体得者顔をしてはならない。愚かな凡夫であることを忘れてはならない。宗教エゴを出してはならない。他の人の信奉する宗教にも敬意を失ってはならない。そういう内容です。

 この「おきて」は浄土真宗の信心から現れてくるものです。人間は決して法を求め、真実に近づいていくような存在ではない。それどころか、法にそむき真実に背を向け、如来から逃げることしか知らない存在であったのである。それなればこそ、真実の方から、如来の方から立ち上がって、逃げても逃がさぬと追いかけ、呼びかけて下さる姿こそ、本願念仏の教え、南无阿弥陀佛であったのだというのが浄土真宗です。

 この点で、他の仏教諸宗とは決定的な違いがあります。他の宗派においては、人間は法を求め、真実に近づくことができるものであるとし、修行によって悟りに至ることも可能であり、修行の力で世の人々を救うことができるというたてまえに立っています。別の言い方をすれば、悟りの世界へ近づいていくことが仏法、近づいていけるのが人間という立場です。

 浄土真宗はこれとは逆です。近づくどころか逃げ背く私ゆえに、真実の方から届いて来たものが仏法という受け止め方です。人間がまだ素朴で、身も心も骨太で、生き物としての原点から遠ざかってはいなかった時代の、世捨て人としての発想や修行法では、対応できない時代と社会の課題を背負って生きる末代悪世の私たちのための道として示されているのです。悟ってからと待ってはいられません。たった一度の人生を迷いのただ中に、しかもあまりに大きな問題ばかりを背負って生きなければならない私たちの、光となり、よりどころとなる信心の智慧を与えようという浄土真宗であったのです。