五劫思惟の本願

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 『歎異抄』

親鸞聖人のご述懐

 このお言葉は、親鸞聖人がつねづね仰ったご述懐として、晩年の直弟子唯円房によって伝えられたものです。『歎異抄』という書物の後書きの中に引用されています。
 述懐と申しますのは、自分の心の底にたくわえているものを語る。しみじみと思いのたけを述べるということでございます。つまりは、親鸞聖人が、ご自分の信心のありようを述べられた。その味わいを語られた。そういうお言葉でございます。
 私なりに、現代語になおしてその意趣を申し上げてみます。
 「阿弥陀如来が、もと法蔵菩薩であらせられたいにしえに、五劫という途方もない永い間の思案を凝らした末に、これしかないと、立てて下さった念仏往生の本願の意味を、よくよくかみしめてみると、ただひとえにこの親鸞一人のためであったのです。
 思えば、十方一切の仏たちも導きようのない者を、法にそむき真実に背を向け、如来から逃げることしか知らぬこの私を目当てとして、逃げても背いても否応なく、耳から入る南無阿弥陀仏の声となって、耳から心へ忍び込んで救い取ろうと誓って下さったとは、何というお慈悲でありましょうか。
 そもそも、如来にそんな本願を起こさせねばならぬほどに果てしなく罪深い身であるにもかかわらず、このわたしが救わずにおかぬと立ち上がって下さった本願の、何とかたじけないことでありましょうか」

我が身にかけられた慈悲を知ることは難しい

 浄土真宗の教えは、決して難しいものでも、複雑なものでもございません。要は、私ども一人一人にかけられた、阿弥陀如来の底無しのお慈悲を、説き明かすばかりでございます。そして、そのお慈悲の全体が、南無阿弥陀仏に結晶して届いていて下さることを、ようこそこの私にと、受け止める信心を勧めるばかりでございます。
 しかしながら、実は、この如来のお慈悲を受け取るということ、信心を得るということが、甚だ難しいわけでございます。『仏説無量寿経』にも、また親鸞聖人の『正信偈』にも、「難中の難もこれに過ぎたるはない」とお示しの通りです。
 では何故に、如来のお慈悲を受け取ることが、それほどに難しいのでしょうか。考えてみますと、人の情愛を受け取ることだって簡単ではなかったのではないでしょうか。こちらの情愛を相手に受け取ってもらうことだって、簡単にはまいりませんね。
 一番近しいはずの親子ですら、そうではないでしょうか。生まれる前から、お腹に宿して育み、生まれてからは寝ている間にも注意を怠らず、乳を飲ませ、おむつを取り替え、返事もしてくれないのに語りかけ、這えば、這った、立てば、立ったと喜び、泣けばおろおろ、熱でもあれば身をよじるほどに心配し、惜しみなく愛情を注いで育てても・・・、子供の方は、必ずしもその愛情を「ようこそ」と受け止めてくれるとは限りません。
 「生まれてこなけりゃ良かった」「何故私なんか生んだんだ」「もう、生きていたくない〕と叫ぶことさえあります。自己中心的にしか考えず、親の心を思おうとしないからでございましょう。
 
 『正信偈』の中では、「邪見驕慢」のゆえであると、お示しになっています。邪見は、如来のお心を知らないこと、「親の心、子知らず」に当たります。驕慢は、自分のことは自分が一番わかっているつもりという思い上がりです。
 そのようにして、思われ、願われている自分であることに気づかず、親の心を思いやることを忘れて、自分の殻に閉じこもってしまうことが落とし穴でございます。
 その果てに、とうとう、子供が自殺してしまった時、後に残った親の思いのやるせなさは、如何ばかりでございましょうか。何故私の思いが届かなかったのか、私の何処かに大きな落ち度があったのではないかと、自問自答し、我が心を責めさいなまないでいられましょうか。
 飽きるほど顔を見て、声を聞いて、抱いて撫でて育ててもらって来てすら、この通りです。ましてや、顔も見ず、声も聞かず、触れてみることもできない阿弥陀如来です。しかも、そのお慈悲は広大無辺であって、私たちの経験できる人間の情愛を超えたものなのです。それを、法話・法談を通して間接的に聞くだけで受け取ることなど、できる方が不思議ではないでしょうか。

宿善開発して、仏願力のお育てを知る

 ところが、釈迦如来によって説き残された、阿弥陀如来の救いの教えを、我が身に引き当てて噛みしめる中から、「ようこそ、ようこそ、もったいない。あぁ、ありがとうございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と喜んで、そのお慈悲を確かに受け止めた先人たちの滔々たるながれがあります。そのあり得ないはずのことが、現に数知れず起こってきたのはなにゆえか。他の何ものによるのでもありません。阿弥陀如来の親心の暖かさ、人の心に届かずにはおかない真実そのものの力、弥陀の願力によってであるとのお示しでございます。遠い過去世から、み仏たちのお育てとお手回しを被り続け、ついに機が熟して今、広大無辺のお慈悲を受け止めることができたということです。「たまたま行信を獲ば遠く宿縁をよろこぶべきなり」と、親鸞聖人は仰せられました。これが他力ということでございます。大いなる真実からのうながしによって、ということでごさいます。
 我が先人たちの、その滔々たる流れの源流となって下さったのが、親鸞聖人でございました。その親鸞聖人のご信心のありようが、端的に示されてあるのが、冒頭のお言葉なのでごさいます。
 もう一度、親鸞聖人がつねづね仰ったというお言葉を噛みしめてみたいものです。
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
 されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

凡夫万人のために、久遠の真実を説き開く

 さて、このお言葉の背景になっておりますのは、経典に説かれてある物語、阿弥陀如来が、もと法蔵と名乗る一人の菩薩であった時の物語でございます。
 そもそも、お経とは、釈迦如来のご説法の記録でこざいます。今から二千五百年ほど前に、インドに現れた仏陀釈迦如来は、四十五年間にわたって甚だ多くの教えを残されました。その大半は、釈迦如来と同じように、すべてを捨てて出家して、釈迦如来と同じように修行して煩悩を離れ、釈迦如来と同じように覚りを目指すためのものです。『般若心経』などもそうです。
 しかしこれは、いわば一部の特別な人達のためのものだといえましょう。仏教を伝承して後世に伝えてきたのは、その出家修行者たちだったわけですから、その方面の教えの伝承が圧倒的に多いのも当然かもしれません。
 しかし、もう一方の方向の経典があります。出家・在家を問わず、万人に向けられたメッセージともいうべき経典です。浄土三部経がその代表です。「わたしと、同じようにすべてを捨てて出家し、まことの修行を重ねて覚りを目指すという生き方ができなくても、悲しむことはない。これを聞け、これを信ぜよ、これを光とせよ、これを力とせよ」と、阿弥陀如来の救いを説かれたのでございます。
 常識で申しますと、教えといえば、自分の体験に基づいて、あなたもわたしのまねをしなさいというのが普通のはずです。それなのに自分のことは差し置いて阿弥陀如来の大いなる真実を説かれました。このことは、何を意味するのか、それが大切なところでございます。
 釈迦如来は、自分を揺り動かして道を求めさせ、覚りを開かせたもの、しかも、おのれ一人の覚りには安住させずに、命尽きるその日まで、世の人々に安らぎと勇気と励ましを与えるために、法を説き続けさせたもの、それが何であるかを説き示そうとなさったのです。ご自分を揺り動かしつづけたその大いなる真実を、迷いの中を生きて死んでゆく私たちにも受け取れるようにと、説き示して下さったのでございます。その大いなる真実とは久遠の阿弥陀如来の願力でございました。阿弥陀如来の願力こそが、釈迦如来ご自身を世に送り出した原動力であったのだと説かれたのです。親鸞聖人が、「真実の教」と呼ばれた『仏説無量寿経』を拝読致しますと、そのことがよくうなづかれます。
 そこに説かれてあるものは、もともと、すがたもかたちも超え離れ、言葉で言い表しようのないもの、人の心ではとらえようのない大いなる真実です。それを、あえて象徴的に表現して下さったものです。的はずれの疑いは捨てて、この私に何を伝えようとして下さっているのかに、思いをひそめて聞き取らなければなりません。

法蔵菩薩の五劫思惟と発願

 親鸞聖人が、根本のよりどころとされた『仏説無量寿経』には、次のように説かれております。
 思いも及ばぬ遙かな昔のこと、一人の国王が、世自在王仏という如来の説法を聞いて深く感動し、我もまた、この如来のごとく覚りを得て、世の人々の光となろうと決意し、王位を捨てて出家し、法蔵と名乗って、世自在王仏のもとに弟子入りしました。
 如何に強大な軍事力も、どれほど優れた政治も、どれほど豊かで便利な暮らしも、それで人々の顔を喜びに輝かせられるものではなかった。この世自在王仏は、その心の内に燃える大いなる願いによって、人としての輝きに満ちあふれ、世の人々に喜びと勇気を与えておいでになる。この如来の智慧と慈悲こそ、わたしが学び取り、世の人々に分かち与えるべきものだったとお気づきになったからでありましょう。
 そして、この世自在王仏のもとで、自分が何を目指し、どんな努力をすればよいかを見定めるために、それまでに世に現れた二百十億もの仏たちの足跡を学び取られました。どんな願いを立て、どのような世界を開いて、どのような人々を、どのように迎え入れ、どのような救いをお与えになったのかをつぶさに知り通されたのです。
 これを親鸞聖人は、『正信偈』に、「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪」とお示しになっています。
 その上で、自らがどのような仏になることを目指すのかを決めようとする段に至って、法蔵菩薩はすっかり思案に暮れてしまわれました。何と五劫もの間、思惟されたというのです。この大宇宙が出来てはやがて壊れてついに消滅し、出来てはやがて壊れてついに消滅しを、ガンジス河の砂の数ほど繰り返しても、一劫にもはるかに及びますまい。何故にそれほど果てしなく永い思惟が必要だったのでしょうか。
 それまでに現れた一切の仏たちは、いずれも智慧・慈悲果てしない救い主だったはずです。それでもなお救いようのない人々があまりに多くいたからです。法蔵菩薩は、自分こそは、そのような者をも救いうる仏とならねばならぬと思い立たれたからです。
 では、どんな仏たちも救いようがなかった人々とは、一体どのような人々だったのでしょうか。譬えていえば、どんな名医がいても、どんな特効薬があっても、治しようのない病人のような人々です。それはどんな病人か。・・・医者にかかろうともしない病人、薬を飲もうとしない病人です。その病気が、どうしても治らない不治の病だというわけではありません。病人の態度の方に問題があるのです。医者にかからない病人を治せる医者はありません。飲まないで効く薬はありません。何故、医者にかからず、薬を飲まないのでしょうか。自分が病気だと気づかないからです。
 迷いを迷いと知らず、教えを聞こうとせず、聞いても従わない者を救える仏など、いらっしゃるわけがなかったのです。
 まことに私どもは、法にそむき、真実に背を向け、如来から逃げることしか知らぬ者でございました。一切の仏たちも救いようのない者とは、ほかならぬこの私たちだったのです。「十方三世の諸仏にも捨て果てられられたる我等」と、第八代蓮如上人が、『ご文章』にお示しになったのは、このことでございましょう。
 そんな者を救う道など、どれだけ考えてもあろうはずはありません。かからずとも治せる医者になろう、飲まずとも効く薬を作ろうというのですから。万劫考えても無駄のはずでございます。しかし、法蔵菩薩は、わたしがその道を見出さない限り、罪悪流転の凡夫に救いはない、その道を見出すまではこの座を立たぬと、思惟に思惟を重ねて下さったのでございます。そして、五劫思惟の果てに、まことに驚きの道が見出されたのでございます。

超世希有、不可思議の大誓願

 逃げようと背こうと、聞く耳など持たなかろうと、いやおうなく耳に入る南無阿弥陀仏の声となって、・・・仏たちがひとしく勧め、人々が称える南無阿弥陀仏の名となって、耳から心の中に忍び込んでいこう。心の内側から信心の扉を開こう。光となって差し込もうという誓いが立てられたのです。これが第十八の願、念仏往生の願、至心信楽の願、選択の本願でございます。
 何という、思いもよらぬ、何という理不尽な願でございましょうか。親鸞聖人が、「かたじけない」と仰っているのはこのことです。超世の悲願、不可思議の大誓願とは、これでごさいます。「ありがたい、尊い、勿体ない」と先人たちが讃えてきたのは、まさしくこのことでございます。他の何事でもございません。
 「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」と『正信偈』に讃えられたところです。
 さて、ここでもう一度、親鸞聖人がつねづね仰ったというお言葉を噛みしめてみたいものです。
  「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
 されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
 
 「それほどの業」とは、法蔵菩薩をそれほどに悩ませ、永劫の修行を重ねさせ、ついには智慧も慈悲も限りない阿弥陀如来になって下さらねばならぬほどに、罪深く愚かな我が身であったのかという驚きを表す言葉です。そして、そのことを初めから見抜いて、そのような者をも救いうる仏になろうと、この私のために立ち上がって下さったのが阿弥陀如来であったという感動を示す言葉です。「親鸞一人」とは、如来の願いの中に、お慈悲の光の中に自分を見出した喜びの言葉です。新たな自己の誕生を意味します。

如来を信ずる私の心ではなく、私に届いてきた如来のお心

 信心といえば、信ずる心のことと思い、「如来を信ずる私の心」というふうに考える人が多いのではないでしょうか。そう考えるのが普通でございましょう。ところが、親鸞聖人の仰る信心というのは、これとは全く違うのです。信心を、「信ずる心」とは読まないで、「まことの心」と読み、如来が私にかけて下さるまごころという意味を表します。その如来のまごころを、ようこそ私のためにと受信したことを信心と呼ぶのだというのが、浄土真宗の信心、他力の信心なのでございます。
 「信」という字は、人という字と、言という字が合わさってできています。第一には、人の言うことが真実であるという意味です。それから転じて、第二には人の言うことを真実だと受け取るという意味です。発信するものと受信するものがいて、通信が成り立つことを表しています。インドの言葉で書かれた経典の言葉を翻訳する中で用いられた文字ですが、実に阿弥陀如来の真実と、それを語り聞かせて下さった釈迦如来のお言葉、それを聞いて、如来が私にかけて下さるまごころを知るということの全体を的確に表すぴったりの文字が中国にあったというわけです。発信するのは阿弥陀仏と釈迦仏、受信するのは私たちです。
 どんな心になれとも、どんな心でいろとも仰らず、「そのままのお前を、このわたしが背負っていくぞ」「安心して南無阿弥陀仏と称えてくれよ」と呼びかけて下さっているのでごさいます。その呼びかけを、「ああ、阿弥陀如来よ、勿体のうございます、南無阿弥陀仏」と受け取るばかりでございます。
 「如来が私に」「如来が私を」という他力の世界を知らせていただくのでごさいます。主語は如来、目的語はこの私です。我が身にかけられている、如来の底無しのお慈悲を知る。それが他力の信心です。
 よく耳にしますのは、「ひたすら信ずる」「信ずるよりほかない」「私は信じます」「信ずるものは救われる」「信じていればよい」「信心が足りない」「心から祈る信心」などという言い方でごさいますが、これらはそのまま、疑心暗鬼、不安の世界です。無明の闇というものでございます。これとは全く別の、驚きと安らぎと喜びの世界を示すのが本願他力の信心です。親鸞聖人のお言葉がその通りでございましょう。

 では、最後にもう一度、親鸞聖人のご信心をお聞かせいただきましょう。
 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。
 されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」