悪人正機と摂取不捨の本願

 阿弥陀如来の宿願は、一切諸仏からも見離された悪人を正機として、南無阿弥陀仏の名声を以て摂取不捨しようというものでした。

 五劫思惟の果てに立てられたこの本願は、私たち衆生に何の条件をつけることもなく如来が全てを引き受けようという如来の利他の誓いですので他力の本願と呼ばれます。

 この五劫思惟の本願は、ほかならぬこの私うけとるのためであったと信受することを、他力の信
心といいます。釈迦如来の説き残して下さった教えが、そのまま阿弥陀如来の悲願から届いたメッセージであったと、信受仏心することは、もとより弥陀の本願力のもよおしであるからです。

 この他力(本願力回向)の信を獲得した時、浄土往生は決定し、阿弥陀如来と等しい仏になることが約束されます。

 その上は、自身の救いを求めてではなく、仏恩報謝の思いから、称名念仏して、自信教人信をつとめと励むばかりです。

悪人 法性に順ぜず法本に背き、現当二世に苦をまねく身口意の三業を犯すもの。単に悪人であるばかりでなく愚人でもある。法にそむき、真実に背を向け、如来から逃げることしか知らぬ存在であるからである。

 『仏説無量寿経』上巻 第十八願文 「唯除五逆誹謗正法」

『尊号真像銘文』のはじめ

「唯除といふは、ただ除くといふ言葉也。五逆の罪人をを嫌い、誹謗の重き咎を知らせんとなり。この二つの罪のの重きことを示して、十方一切の衆生みな漏れず往生すべしと知らせんとなり」

 『仏説無量寿経』下巻 五悪段

『仏説観無量寿経』九品段  「作不善業五逆十悪 具諸不善 如此愚人」

『歎異抄』

「他力をたのみたてまつる悪人もっとも往生の正因なり」「海川に網を引き、釣りをして世を渡る者も、野山にシシを狩り、鳥を捕りて命をつぐともがらも、商いをし、田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなりと。さるべき業縁のもよほさばいかなるふるまひもすべし」

『ご文章』

「末代無智の在家止住の、罪悪深集の、十方三世の諸仏にも捨て果てられたる我等如きの徒ら者」

正機

傍機に対する。まさしき目当て、「機」は法の受け取り手ということ。

傍機

当面の目当てではない、二次的な対象という意。「傍」はかたわらにの意。

他力

如来の利他のはたらき、すなわち阿弥陀如来の本願力をいう。そのはたらきは、南無阿弥陀仏の名号にそなわる徳、すなわち摂取不捨の光明であらわされる。またその結果として衆生に与えられるものは、「義なきを義とすと信知」する信心の智慧である。
 他力という言い方は、人間中心の営為、自己中心的なはからい、人知による覚りへのアプローチを「自力」と押さえた所から生まれたもの。
 自力の発想は、全て「私が、私は」と自己を主語とし、仏や覚り、浄土を目的語とする文体をとる。これに対して、他力の世界は、「如来はこの私を、如来がこの私に」と、如来が主語、自己が目的語という文体をとる。
 善導の二河白道の比喩において、釈迦の教えの中から「きみただ決定してこの道をたずねてゆけ」の声を聞き、同時に弥陀の願意の「なんじ一心正念にしてただちに来たれ。我よくなんじをまもらん」の呼び声に遇うすがたをもって、信心のありようを示すごとくである。
 「なんじ」と仏から呼ばれていた自己を知るのが、他力の信心である。一人称を捨て、三人称を廃して、二人称の世界に目覚めるのが他力である。
 これを、蓮如上人は、『聖人一流章』に、「仏の方より」「如来(が)わが往生を」という表現で示された。他力という言葉を用いずに、他力の道理を示されたのである。

信心

信心の同義語としては、『仏説無量寿経』上巻には、第十八願文の「至心・信楽欲生」、下巻末には、信受 信楽受持 信順が出る。『仏説観無量寿経』には、「至誠心・深心・回向発願心」と出る。『仏説阿弥陀経』末には「信受」と出る。
 「信心」という語は、『仏説無量寿経』下巻はじめの本願成就文と呼ばれる一段に「聞其名号信心歓喜」と、一ケ所のみにしか出ない。しかしもっとも重要な一段での用語であるから多用されてきたものと思われる。ここの「信心」がもとの梵語本では動詞であって、「信じる心」という意味の名詞 でないことは確認されている。
 すでに覚如上人は『最要鈔』のはじめに、「信心」をまことのこころと読むべきこと、そのまことのこころとは、凡夫の心ではなく仏のみ心であること、その仏の
み心が凡夫の心に届いたすがたを信心と呼ぶのだと示唆している。要するに、信受仏心の意だという指南である。
 獲信と言い、信心獲得という、信は英語でいえば、メッセージであり、獲は、キャッチすることである。釈迦の教法を自分への仰せと受け止めることである。と同時に、その教法の内実、すなわち弥陀の願意をわれを呼びたもう大悲の呼び声と知ることである。それ故、善導は「信知」という言葉を用いたのである。
 キャッチザメッセージフロムシャカ、キャッチアミダズマインドフォァミーというのが信心である。