孟夏仲旬章 四帖目 第十三通
孟夏仲旬章 四帖目 第十三通
本文 それ、秋去り春去り、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ごろになりぬれば、予が年齢つもりて八十四歳ぞかし。しかるに当年にかぎりて、ことのほか病気にをかさるるあひだ、耳目・手足・身体こころやすからざるあひだ、これしかしながら業病のいたりなり。または往生極 ...
本文 それ、秋去り春去り、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ご ...
本文 それ、秋去り春去り、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ごろになりぬれば、予が年齢つもりて八十四歳ぞかし。しかるに当年にかぎりて、ことのほか病気にをかさるるあひだ、耳目・手足・身体こころやすからざるあひだ、これしかしながら業病のいたりなり。または往生極 ...
本文 それ、秋去り春去り、すでに当年は明応第七孟夏仲旬ご ...
本文 一流安心の体といふ事。 南無阿弥陀仏のすがたなりとしるべし。この六字を善導大師釈していはく、「言南無者即是帰命 亦是発願回向之義 言阿弥陀仏者即是其行 以斯義故必得往生」といへり。 まづ「南無」といふ二字は、すなはち帰命といふこころなり。「帰命 ...
本文 一流安心の体といふ事。 南無阿弥陀仏のすがたなりと ...
本文 末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏とふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし。 これすな ...
本文 末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころを ...
本文 それ八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。 しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれをしらざる人は ...
本文 それ八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を ...
本文 そもそも、男子も女人も罪のふかからんともがらは、諸仏の悲願をたのみても、今の時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては、なかなかかなはざる時なり。 これによりて、阿弥陀如来と申したてまつるは諸仏にすぐれて、十悪・五逆の罪人をわれたすけんといふ大 ...
本文 そもそも、男子も女人も罪のふかからんともがらは、諸 ...
本文 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり。 このゆゑに南無と帰命する一念の処に発願回向のこころあるべし。これすなはち弥陀如来の凡夫に回向しましますこころなり。これを『大経』に ...
本文 信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この ...
本文 一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、無上大利の功徳をあたへたまふこころを、『和讃』に聖人のいはく、「五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり」。 この和讃のこころは、「五濁悪世の衆生」といふは一切われ ...
本文 一念に弥陀をたのみたてまつる行者には、無上大利の功 ...
本文 それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願をたてましまして、「まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまゐらせて、もろもろの雑行を ...
本文 それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも ...
本文 聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせられ候ふ。 そのゆゑはもろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまふ。 その位を「一念発起入正定之聚」とも釈し、そのうえの称名念仏は、 ...
本文 聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもつて本とせら ...
本文 それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。 されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしる ...
本文 それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字 ...