無上甚深章 五帖目 十三通

本文

 それ、南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わづかに六字なれば、さのみ功能のあるべきともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきはまりなきものなり。
 されば信心をとるといふも、この六字のうちにこもれりとしるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。
 そもそも、この南無阿弥陀仏の六字を善導釈していはく、南無といふは帰命なり、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはその行なり。この義をもってのゆゑにかならず往生することを得といへり。しかればこの釈のこころをなにとこころうべきぞといふに、たとへばわれらごときの悪業煩悩の身なりといふとも、一念阿弥陀仏に帰命せば、かならずその機をしろしめしてたすけたまふべし。それ帰命といふはすなはちたすけたまへと申すこころなり。されば一念に弥陀をたのむ衆生に無上大利の功徳をあたへたまふを、発願回向とは申すなり。この発願回向の大善大功徳をわれら衆生にあたへましますゆゑに、無始曠劫よりこのかたつくりおきたる悪業煩悩をば一時に消滅したまふゆゑに、われらが煩悩悪業はことごとくみな消えて、すでに正定聚不退転なんどいふ位に住すとはいふなり。このゆゑに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、われらが極楽に往生すべきすがたをあらはせるなりと、いよいよしられたるものなり。
 されば安心といふも、信心といふも、この名号の六字のこころをよくよくこころうるものを、他力の大信心をえたるひととはなづけたり。かかる殊勝の道理あるがゆゑに、ふかく信じたてまつるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

取意

 (まず、南無阿弥陀仏の六字の名号には広大な利益がそなわっており、信心というもこの名号を離れたものでないことを述べる)
 南無阿弥陀仏という文字は、その字数はわずか六字ですから、それほど功徳があるようには思えないところではありますが、実はこの六字の名号の中には、この上ない深い功徳と利益が込められていて、その広大なことは、きわまりもないことでございます。ですから、信心を獲るということも、この六字のはたらきの中にあるのであって、信心といってもこの六字と別にあるはずはないのでございます。

 (次に善導大師の六字釈を引いて六字の意趣を示す)
 そもそも、この南無阿弥陀仏の六字を解釈して、善導大師は次のようにいわれました。南無というのは(阿弥陀如来の勅命に帰依する)帰命である。またそのまま(阿弥陀如来の願いがわが身に届いてのことであるという)発願回向という意義がある。阿弥陀仏というのは(阿弥陀の願がわが行と現れるという意味で)その行である。このような(願も行も含まれているという)道理がそなわっているから、必ず浄土に往生することができるのであると。

 (さらにこれを受けて、六字釈の意をかみ砕いて述べ、南無阿弥陀仏は阿弥陀仏の願力による衆生の救いを表し、そのまま信心の本体であることを明かす)
 さて、この解説をどのように受け取らせていただけばよいかと申せば、たとえ私たちのような悪業煩悩の身であろうとも、疑いもなく阿弥陀如来の救いを信ずるならば、、必ずその人を目にとめて救ってくださるのでございます。帰命というのはようこそ、おたすけくださいませという意味でございます。その疑いもなく阿弥陀如来の救いを信ずるものに、この上なく広大な功徳利益を与えてくださることを発願回向というのです。この発願回向された大善大功徳を私たちに与えてくださる故に、はるか昔よりつくり続けてきた悪業煩悩は、立ちどころに消滅して、すでに(浄土に生まれて仏となるに定まった)正定聚不退転という位に住するというのでございます。このようなわけですから、南無阿弥陀仏の六字のすがたは私たちが極楽に往生することのできる道理を表したものであると、いよいよ明確になってまいります。

 (最後に、信心とは名号に込められた意趣をわがためと受けとめる以外にはないことを重ねて示して信を勧めて結ぶ)
 このようなわけですから、安心・信心というのも、この名号の六字の趣旨をよくよく心得ることをいうのでございまして、そのような人を、他力の大信心を得た人と名づけるのでございます。このような尊くすぐれた道理がそなわっているのでございますから、深く信じさせていただけばよいのでございます。まことに勿体ないことでございます。謹んで申し上げた次第でございます。

参考

  • 功能
    功徳善根      迷いと苦しみから脱しさせ、覚りに導く力。
  • 利益
    たすけ救うこと。苦悩を除き安楽を与えること。究極的には、迷いを転じて悟りに至らせ、成仏させること。
  • 帰命
    仏の勅命すなわち仏願・仏意・仏教によろこんでしたがうこと、帰依随順すること。さかのぼって、帰せよとの仏の勅命。
  • 発願回向
    阿弥陀の願力が私たちに届いて、私たちの意思や行動となって現れること。
  • 悪業煩悩
    十悪・五逆等の悪業とそれを生み出している貪欲・瞋恚・愚痴等の煩悩
  • 無上大利
    無上にして広大な利益。すなわち往生成仏の果をいう。
  • 無始曠劫
    始めもないはるかな昔から今日まで空しいほど永い時を経ていること。
  • 正定聚
    まさしく成仏することの定まった仲間。
  • 不退転
    落伍することなく確実に覚りに至ること。
  • 大信心
    広大無辺の阿弥陀如来の発願回向(他力)によって届いた信心であることを表す語。親鸞聖人独自の用語。
  • 殊勝
    ことにすぐれたの意。

私釈

 南無阿弥陀仏の六字の名号には阿弥陀如来の願力の全体が込められていて、信心の体となり、正定聚不退転の身に住せしめ、往生成仏の果を得しめるという大功徳がそなわっていることを、善導大師の六字釈を引いて示し、六字の名号がそのまま信心の本体であることを明かし、信心とは名号に込められた意趣をわがためと受けとめる以外にはないことを示して信を勧めるのである。信心の本体は南無阿弥陀仏の名号であることを示す一章である。