【後記】第一段 第二節
【後記】第一段 第二節
〔本文〕 聖人のつねの仰せには「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候ひしことを、いままた案ずるに、善導の「自身 ...
〔本文〕 聖人のつねの仰せには「弥陀の五劫思惟の願をよく ...
〔本文〕 聖人のつねの仰せには「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候ひしことを、いままた案ずるに、善導の「自身 ...
〔本文〕 聖人のつねの仰せには「弥陀の五劫思惟の願をよく ...
〔本文〕 いづれもいづれも繰り言にて候へども、書きつけ候ふなり。 〔取意〕 どれもこれも同じことの繰り返しではありますが、八箇条の異義について、その背景である自力の計らいと、所論の問題点についてさまざま論じました。心配のあまり書き記すの ...
〔本文〕 いづれもいづれも繰り言にて候へども、書きつけ候 ...
一、著者 親鸞の晩年常随の弟子であった唯圓房。(一二二二 一二八九頃) 二、著作年次 親鸞没後二十年頃(一二八〇~一二八九)か。 三、真宗聖教としての本書の地位 カナ書きの聖教としては、これに先行し ...
一、著者 親鸞の晩年常随の弟子であった唯圓房。(一二二二 &nb ...
唯信鈔という題号についての解説 『唯信鈔』といふは、「唯」はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また「唯」はひとりといふこころなり。「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむ ...
唯信鈔という題号についての解説 『唯信鈔』といふは、「唯 ...
(1) ― 本文 ― そもそも、生死(無常・苦悩・迷い)を離れて仏の覚りを成就しようとするのに二通りの道があるといいます。一つには聖道門(釈尊の覚りを追体験しようとする行き方)であり、二つには浄土門(浄土に生まれかわってそこで覚りを開こうとする行き方 ...
(1) ― 本文 ― そもそも、生死(無常・苦悩・迷い) ...