投稿者: okahata

蓮如上人識語

蓮如上人識語

〔本文〕  右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機においては左右なく、これを許すべからざるものなり。 〔取意〕  この聖教は、わが浄土真宗本願寺の法流にとって、ことに重要な聖教とするものである。本願念仏の法に志のないものに対して ...

〔本文〕  右この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善 ...

『歎異抄』を読むに当たって

『歎異抄』を読むに当たって

一、著者 親鸞の晩年常随の弟子であった唯圓房。(一二二二      一二八九頃) 二、著作年次 親鸞没後二十年頃(一二八〇~一二八九)か。 三、真宗聖教としての本書の地位  カナ書きの聖教としては、これに先行し ...

一、著者 親鸞の晩年常随の弟子であった唯圓房。(一二二二 &nb ...

『唯信鈔』について

『唯信鈔』について

一、著者、安居院の法印聖覚 聖覚法印(一一六七~一二三五)少納言藤原通憲の孫・澄憲の子。天台宗の僧。 著名な唱導家。父と同じく洛北の安居院に住す。後に法然に師事。唱導教化をもって任とし、広く世に感化を及ぼした。法然これを「今こそ善導大師の専修念仏の広ま ...

一、著者、安居院の法印聖覚 聖覚法印(一一六七~一二三五) ...

『唯信鈔文意』親鸞聖人

『唯信鈔文意』親鸞聖人

唯信鈔という題号についての解説  『唯信鈔』といふは、「唯」はただこのことひとつといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり。また「唯」はひとりといふこころなり。「信」はうたがひなきこころなり、すなはちこれ真実の信心なり、虚仮はなれたるこころなり。虚はむ ...

唯信鈔という題号についての解説  『唯信鈔』といふは、「唯 ...

『唯信鈔』聖覚法印(意訳)

『唯信鈔』聖覚法印(意訳)

(1) ― 本文 ―  そもそも、生死(無常・苦悩・迷い)を離れて仏の覚りを成就しようとするのに二通りの道があるといいます。一つには聖道門(釈尊の覚りを追体験しようとする行き方)であり、二つには浄土門(浄土に生まれかわってそこで覚りを開こうとする行き方 ...

(1) ― 本文 ―  そもそも、生死(無常・苦悩・迷い) ...

なぜ仏教を聞かなければならなのか

なぜ仏教を聞かなければならなのか

岡西法英 人間であること  科学技術の進歩と経済の発展は急激な社会変動をもたらしました。かっての「家」も「家庭」も多くは崩壊し、「核家族」すら分解して単独世帯が増えています。続々登場する最新の技術に対応してゆくことにも多大なエネルギーを要します。 ...

岡西法英 人間であること  科学技術の進歩と経済の発 ...

悪人正機と摂取不捨の本願

悪人正機と摂取不捨の本願

 阿弥陀如来の宿願は、一切諸仏からも見離された悪人を正機として、南無阿弥陀仏の名声を以て摂取不捨しようというものでした。  五劫思惟の果てに立てられたこの本願は、私たち衆生に何の条件をつけることもなく如来が全てを引き受けようという如来の利他の誓いですの ...

 阿弥陀如来の宿願は、一切諸仏からも見離された悪人を正機として、 ...

因幡の源左の言葉に学ぶ

因幡の源左の言葉に学ぶ

因幡の源左の言葉  源左の発言をたどってみると、信心に裏打ちされた揺るがぬ視点、自由闊達な智慧を 感じます。これを親鸞聖人は「信心の智慧」と呼ばれました。 しかし、一方では、法然聖人以来の伝承として、「愚に帰る」「愚者になる」ことこ そ念仏者の心得であ ...

因幡の源左の言葉  源左の発言をたどってみると、信心に裏打 ...

帰依三宝の意

帰依三宝の意

礼讃文(三帰依文) 〔講師独誦〕(取意釈)人身受けがたし、今すでに受く仏法聞きがたし、今すでに聞くこの身今生にむかって度せずんばさらにいずれの生にむかってかこの身を度せん大衆もろともに至心に三宝に帰依したてまつるべし はからずも人間に生まれ得たことほど ...

礼讃文(三帰依文) 〔講師独誦〕(取意釈)人身受けがたし、 ...

五劫思惟の本願

五劫思惟の本願

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 『歎異抄』 親鸞聖人のご述懐  このお言葉は、親鸞聖人がつねづね仰ったご ...

 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がため ...