歎異編後八条、ならびに後記に引用された親鸞聖人のことば(証文)
歎異編後八条、ならびに後記に引用された親鸞聖人のことば(証文)
・第十二条 故聖人(親鸞)の仰せには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候ふ。しかれば往生はいよいよ一定とおもひたま ...
・第十二条 故聖人(親鸞)の仰せには、「この法をば信ずる ...
・第十二条 故聖人(親鸞)の仰せには、「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏説きおかせたまひたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられ候ふ。しかれば往生はいよいよ一定とおもひたま ...
・第十二条 故聖人(親鸞)の仰せには、「この法をば信ずる ...
〔本文〕 一 一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひおどろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすがへすもこころをとど ...
〔本文〕 一 一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「な ...
〔本文〕 一 経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といひつべし。 他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る。そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりに迷へ ...
〔本文〕 一 経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよし ...
〔本文〕 一 弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。この条、本願を疑ふ、善悪の宿業をこころえざるなり。 よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり、悪事のおもはれせらるるも悪業のはか ...
〔本文〕 一 弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をお ...
〔本文〕 一 一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと。この条は、十悪・五逆の罪人、日ごろ念仏を申さずして、命終のとき、はじめて善知識のをしへにて、一念申せば八十億劫の罪を滅し、十念申せば十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。これは十悪・五逆 ...
〔本文〕 一 一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふ ...
〔本文〕 一 煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらくといふこと。この条もつてのほかのことに候ふ。 即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄はまた法華一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。来 ...
〔本文〕 一 煩悩具足の身をもつて、すでにさとりをひらく ...
〔本文〕 一 信心の行者、自然にはらをもたて、あしざまなることをもをかし、同朋・同侶にもあひて口論をもしては、かならず回心すべしといふこと。この条、断悪修善のここちか。 一向専修のひとにおいては、回心といふこと、ただひとたびあるべし。その回心は、日ご ...
〔本文〕 一 信心の行者、自然にはらをもたて、あしざまな ...
〔本文〕 一 辺地往生をとぐるひと、つひには地獄におつべしといふこと。この条、なにの証文にみえ候ふぞや。学生だつるひとのなかに、いひいださるることにて候ふなるこそ、あさましく候へ。経論・正教をば、いかやうにみなされて候ふらん。 信心かけたる行者は、本 ...
〔本文〕 一 辺地往生をとぐるひと、つひには地獄におつべ ...
〔本文〕 一 仏法の方に、施入物の多少にしたがつて大小仏になるべしといふこと。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。 まづ仏に大小の分量を定めんこと、あるべからず候ふか。かの安養浄土の教主(阿弥陀仏)の御身量を説かれて候ふも、それは方便報身 ...
〔本文〕 一 仏法の方に、施入物の多少にしたがつて大小仏 ...
〔本文〕 但し、蓮如上人書写本の原本の段階から錯簡があったものと見なして校訂を試みた楠 顕秀氏の説に従って、順序を入れ替えてある 右条々は、みなもつて信心の異なるよりことおこり候ふか。 故聖人の御物語に、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおはしけ ...
〔本文〕 但し、蓮如上人書写本の原本の段階から錯簡があった ...