死を考える
生あるが故に死あり 生まれたものは必ず死ぬ。折角生まれてきたのに死ぬというのではないのです。死んでいくいのちを引き継いで生きるために生まれてきたのです。いのちあるもの…
「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今すでに聞く。この身、今生に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってかこの身を度せん」どんな聖典にも最初の方に出ている…
記憶喪失になった人を題材にしたドラマが流行ったことがありました。それを見ていて気づいたことがあります。過去を失ったら、現在をも見失う。現在の中身が空になる。現在の意味…
幸いなことに、私たちはその如来の智慧を教えとして聞くことができます。如来がお知りになるように知ることはできようはずもありませんが、このわたくしにかけられた如来の底無し…
本文 或人いはく、當流のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候やらん、如来聖人の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また在々所々に小門…
本文 當流親鸞聖人の一義は、あながちに出家發心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標ぜず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男女老少をえらばざるも…
本文 まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。 ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟…
本文 そもそも、当流を、昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申すなり。これまことに道理のさすところなり。 そのゆゑは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門・他宗に対し…
本文 そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、不思議の名言をつかひて、これこそ信心をえたるすがたよといひて、しかもわれは当流の信心をよく知り顔の体に心中にこ…