投稿者: okahata

死を考える

死を考える

生あるが故に死あり  生まれたものは必ず死ぬ。折角生まれてきたのに死ぬというのではないのです。死んでいくいのちを引き継いで生きるために生まれてきたのです。いのちあるものは生まれたもの、そして死ぬもの。死ぬゆえにいのちを引き継ぐものを産みのこすものであり ...

生あるが故に死あり  生まれたものは必ず死ぬ。折角生まれて ...

正像末和讃法話

正像末和讃法話

弥陀(ミダ)の尊号(ソンゴウ)となへつつ信楽(シンギョウ)まことにうるひとは憶念(オクネン)の心(シン)つねにして仏恩(ブットン)報(ホウ)ずるおもひあり ※阿弥陀如来の尊い名号を常に称え、真に本願を信じ浄土を願う身となった人は、何ごとにつけても如来の ...

弥陀(ミダ)の尊号(ソンゴウ)となへつつ信楽(シンギョウ)まこと ...

人間こそ大宇宙の珠玉

人間こそ大宇宙の珠玉

 「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今すでに聞く。この身、今生に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってかこの身を度せん」どんな聖典にも最初の方に出ている『礼讃文』のことばです。 人間に生まれたことほど大きな幸せはなかった。そしてその人間に生ま ...

 「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今すでに聞く。この ...

人生は不可解

人生は不可解

 記憶喪失になった人を題材にしたドラマが流行ったことがありました。それを見ていて気づいたことがあります。過去を失ったら、現在をも見失う。現在の中身が空になる。現在の意味がわからなくなる。「私は何者。ここはどこ。何故私はここに。これから何をするはずだったのやら ...

 記憶喪失になった人を題材にしたドラマが流行ったことがありました ...

人間であることの意味

人間であることの意味

 幸いなことに、私たちはその如来の智慧を教えとして聞くことができます。如来がお知りになるように知ることはできようはずもありませんが、このわたくしにかけられた如来の底無しの慈悲、果てしない願いを聞かせていただくとき、わかった知ったというのではなく、我が思いを越 ...

 幸いなことに、私たちはその如来の智慧を教えとして聞くことができ ...

門徒弟子の章 一帖目 第一通

門徒弟子の章 一帖目 第一通

本文  或人いはく、當流のこころは、門徒をばかならずわが弟子とこころえおくべく候やらん、如来聖人の御弟子と申すべく候ふやらん、その分別を存知せず候ふ。また在々所々に小門徒をもちて候ふをも、このあひだは手次の坊主にはあひかくしおき候ふやうに心中をもちて候 ...

本文  或人いはく、當流のこころは、門徒をばかならずわが弟 ...

出家発心章 一帖目 第二通

出家発心章 一帖目 第二通

本文  當流親鸞聖人の一義は、あながちに出家發心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標ぜず、ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむるときは、さらに男女老少をえらばざるものなり。 さればこの信をえたる位を、経には「即得往生住不退転」と説き、釈には「一念発 ...

本文  當流親鸞聖人の一義は、あながちに出家發心のかたちを ...

猟すなどり章 一帖目 第三通

猟すなどり章 一帖目 第三通

本文  まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。 ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬる我等ごときのいたづらもの ...

本文  まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころの ...

物忌みの章 一帖目 第九通

物忌みの章 一帖目 第九通

本文  そもそも、当流を、昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申すなり。これまことに道理のさすところなり。 そのゆゑは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門・他宗に対してはばかりなくわが家の義を申しあらはせるいはれなり。これおほきなるあやまりなり。 そ ...

本文  そもそも、当流を、昔より人こぞりてをかしくきたなき ...

此方十劫邪義章 一帖目 第十三通

此方十劫邪義章 一帖目 第十三通

本文  そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、不思議の名言をつかひて、これこそ信心をえたるすがたよといひて、しかもわれは当流の信心をよく知り顔の体に心中にこころえおきたり。そのことばにいはく、「十劫正覚のはじめより、われらが往生を定めたまへ ...

本文  そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、 ...