一、この問いを取り上げたねらい
長い伝統の中で習慣化・儀礼化した上に、明治以降、国家神道の下において、「この世は天皇に、あの世は仏にという二元論が定着したために、真宗の現世利益は見えにくいものとなった。そのことが、真宗門徒の新宗教への流出・若年層の真宗離れにつながっている。念仏に生きることの力強さを確認し、一人一人が念仏者としての使命を見い出したい。
二、さまざまな意見──話し合いのヒント
- 仏法に熱心な人でも、災難に遭ったり、苦しんだりしている。
- 念仏でお金が儲かるわけではないし、病気が治るわけでもない。
- 念仏の教えを信じてどんなご利益があるのか。精神修養というならわかるが。
- 仏法の教えの通りにしていたら、世のなかの厳しい競争についてゆけなくなる。
- 阿弥陀如来を信じたら、人間はどう変わるのか。
三、話し合いを深めるために
私たちが生きていく上で、最も大きな励ましや力づけとはどのようなものかを考えてみましょう。
〔参考〕
〇 災難があるのではなく、災難という受けとめ方がある。
──運命、神の試練、天罰、偶然などは、人間の受けとめ方である。間違いとはいえないにしても、一つの見方に過ぎないことは確か。
──ジャータカ物語によれば、過去世の釈尊が突き当たった苦難は全て梵天・帝釈天が与えた試練であり、励ましであり、護りであり、育てであった。これは、まさしく菩薩の受けとめ方に他ならない。
──因幡の源左は火事で家が焼けたとき、「きついご催促を頂いた」と言った。火がつけば燃えてしまうものに執着するなとの教訓だと受けとめたのであろう。
〇 人は、儲けるために生まれてきたのでも、生きているのでもない。生きていくためには、それも必要だというに過ぎない。病気が治ることが解決ではない。治っても治っても、病気になる可能性はますます高くなるのだから。生きることの意味を見いだして、老病死の苦悩を踏み越える道こそ仏法。
〇 人は競争するために生きているのではない。生きる上では競争が伴うもの。競争に勝ても負けても、生きなくてはならない。勝っても生きる意味は増えないし、負けても減らない。競争は互いを傷つけるためなら、ないほうが良い。それは傷つけあいに過ぎないから。高めあうための競争なら、意識しようとすまいと、みんなが参加しているものが人生競争。
〇 浄土真宗の利益とは
一、無量寿経に学ぶ
──仏教の利益は転迷開悟・出離生死
──三悪道を離れ、金色身を得、美醜の離れ六神通を得て仏となる
──「生死勤苦の本を抜く」「空しくすぐるひとぞなき」
──「不可称不可説不可思議の功徳は行者の身にみてり」
──「恵むに真実の利を以てす」「光顔巍々」たる仏果を得しめる
二、親鸞聖人の教えに学ぶ ―― 真宗の利益は、現生正定聚・往生成仏
〇 『正信念仏偈』の中で最も多くの字数を費やしてあるのは信心に伴う現世の利益について述べた一段。(能発一念喜愛心~是人名分陀利華)その主旨は、大いなる勇気づけと励ましが得られること。
〇 『和讃』
「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」『浄土和讃』諸経讃『現世利益和讃』には、信心の行者は成仏確定の身ゆえ、天神地祇、観音勢至、十方諸仏、阿弥陀仏に護られると示す。「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」『正像末和讃』「如来の回向に帰入して 願作仏心をうるひとは 自力の回向をすてはてて 利益有情はきはもなし」同右「憶念の心はたえぬなり」「等正覚にいたるなり」「この度さとりをひらくべし」「大般涅槃をさとるべし」「無上覚をさとるなり」「仏恩報ずるおもひあり」「不可称不可説不可思議の功徳は行者の身にみてり」「智慧念仏さづけしむ」「仏恩報ずる身とはなれ」「すなはちわが親友ぞと教主世尊はほめたまふ」
〇『ご消息集』を見れば、信心の人を、「釈迦如来はわが親しき友なりとよろこびまします」「真の仏弟子といへり」「正念に住する人」「金剛心をえたる人」「上上人とも、好人とも、妙好人とも最勝人とも希有人とも申すなり」「正定聚の位にさだまれるなり」「弥勒仏とひとしき人」「等正覚の位」「補処の弥勒とおなじ位」「このたび無上覚にいたるべき」「心はすでに如来とひとし」「その心すでに浄土に居す」「如来とひとし」「また願成就の文に十方恒沙の諸仏と仰せられて候ふは、信心の人とこころえて候。この人はすなはちこの世より如来とひとしとおぼえられ候ふ」「摂取不捨の利益にあづかるゆゑに不退の位に定まる」「諸仏とひとし」「補処の弥勒とおなじ」「阿弥陀経には、十方恒沙諸仏護念すとは申すことにて候へ。安楽浄土へ往生してのちは、まもりたまふと申すことにては候はず。娑婆世界に居たるほど護念すとは申すことなり」と示してある。
〇 菩薩道を歩む凡夫、勇気づけ励まし。
現生十種の益──浄土の大菩提心に生きる者に与えられる徳
──勇気づけ励まし、使命の発見
┌①冥衆護持の益 天神地祇も敬伏し魔界外道も障礙することなし
├②至徳具足の益 諸善も及ぶことなき
├③転悪成善の益 罪悪も業報を感ずることあたはず(信心の人)
├④諸仏護念の益 百重千重囲繞してよろこびまもり
⑩入正定聚の益┼⑤諸仏称讃の益 わが親友ぞと教主世尊はほめたまふ
(必ず仏に ├⑥心光常護の益 弥陀の心光照護して・真実信心をまもる
なる凡夫)├⑦心多歓喜の益 初歓喜地(うべきことをかねてさきより
├⑧知恩報徳の益 如来大悲の恩徳は・自信教人信
└⑨常行大悲の益 世の中安穏なれ、仏法ひろまれ・誓願に入れ
①②③-おそれなき道。
④⑤⑥-認め、ほめ、護られる。
信心の行者は必ず仏になるべき者として、如来と等し、次いで弥勒の如し
(等覚の位)と言い。東宮に譬える。白蓮華・妙好華と讃える。釈尊は親友と
誉める。
⑦⑧⑨-勇気づけられ励まされ、使命を見出し、使命に生きる身に。
⑩-信心(浄土の大菩提心)の行者は仏の前生を生きるものとの位置づけを与え
られる。それは十方衆生に向かって開かれた使命感が与えられることであり
迷いと苦難を免れない凡夫でありながら、弥陀の本願をよりどころとして生
きる智慧と勇気があたえられることでもある。
三、親鸞聖人の生涯に学ぶ ―― 苦闘の中の救いとしての現当二益
① 自らは求めぬ縁で幼くして出家
② 修行に悩んだ末、比叡山からの離脱 ―― 聖徳太子(観音)の導き
③ 本願の念仏に遇う ―― 法然聖人との知遇
④ 流罪と念仏停止令 ―― これなお師教の恩致なり
⑤ 弾圧の中で同行とともに ―― 如来の大悲を仰ぎ、自信
○ 現代とは
①『教書』によれば、人類がいまだかつて経験したことのない変動の時代
イ 科学と技術の発達
ロ 産業の発展
ハ 都市化による地域共同体の弱体化や大組織による人間管理の強化
二 欲望の増大(自己中心的で他の人々に対する顧慮を欠く)
ホ 新たな差別と不平等の増大(南北格差など)
ヘ 人間の絶対視と争いや不安の助長
ト 生命と人格の尊厳性に対する感性の希薄化
チ 近隣社会、親族社会、宗教組織による人間性擁護力の弱体化
リ 人間性喪失の危機、人類存亡の危機
② 近年の研修会で話題になったこと
・ 産業構造の大変化(家業の消失、女性の就職、 村社会・家社会の崩壊)
・ 家と家族の崩壊(核家族から単独世帯へ)
・ 生活規範の多様化乃至は喪失(個人自由選択の幅が広くなり過ちの機会増える
・ 伝統的宗教基盤の崩壊(寺檀関係・葬儀・法要を支える社会基盤が崩壊)
・ 少子高齢化社会の到来(まだ生きている祖先、存在しない子孫)
※ 人間としてのバランスを保ってついていける限界を越えて変化が進行しつつあ
る。
②手段の飛躍的進歩が、人間そのものを手段化する傾向を生んでいる時代
A 情報化の時代(農業の始まり、工業化の始まり以来の大変革)
B 資本による人間支配の時代(人が金を使う時代から、金が人を使い、金が金を
動かして人間を支配する時代へ)
C 欲望化社会(利潤追求のために欲望を刺激して需要を起こさせる時代、人間が
家畜化していく社会)
※ 遺伝も、お金も、欲望も一種の情報として理解され、人間がロボット化しよう
としている。
○ 真宗の果たすべき役割
① 人間性回復への方向と道筋を提示すること
―― 究極の拠り所としての本願、罪悪生死の凡夫としての目覚め、喜びと慚愧
の生活、如来の大悲のもと人間相互の信頼を確立した御同朋御同行の生活、
自分の殻に閉じこもらず、人々の苦しみに共感し積極的に社会にかかわって
いく態度
② 宗教の違いからくる集団エゴ克服の論理を提示すること
―― 自らの信に基づきつつ、他の信仰者の存在を認め、共存し連帯する考え方
―― 「たとい牛盗人とは呼ばるとも、仏法者後世者と見ゆるやうにふるまふべ
からず」という真宗の掟
――「我に仏法あり」という護教者ぶるまいをしてはならない
③ 新しい時代に相応した人間の絆の基盤を提示し、文化伝統継承の場を拓くこと
―― 蓮如上人に学び、場(家庭・講)、教材(本尊・正信念仏偈勤行・御文)
人(信心の行者)の再構築を図ること
―― 連研の充実と法座の再生