10. 宗教界から靖国神社の公式参拝に批判があるのはどういうことか

一、この問いを取り上げたねらい
  国家と宗教の癒着は、信仰の空洞化をもたらすばかりでなく、政治の批判を許さぬ硬
 直化を招き、逃げ場所のない思想弾圧体制をもたらす。特に靖国神社は戦死礼讃の宗教
 故に、これを国家が利用することは、危険というより恐ろしいことである。信ずる宗教
 の違いを越えて、これを阻止することは信仰をもつ者の使命であることを確認したい。
二、さまざまな意見──話し合いのヒント
 ア国のために死んだ人を、国が慰霊するのは当然ではないか。
 イ国家護持や公式参拝に反対するのは、戦死者を粗末にすることのように感ずる。
 ウ日本はもともと神国なのだから、神道儀礼で追悼されるのは自然であろう。
 エ戦死を名誉と讃えなかったら、国のために命を捨てて戦うものがいなくなる。
 オ宗教者は国家や政治のことに口を出すべきではない。
 ・戦死者は国のために死んだのだから、他の死者とは違うはずである。
 ・かつては真宗も認めて協力していたのに、今になって反対するのはおかしい。
 ・神社だからいけないというのは宗派エゴではないか。
 ・それぞれの宗教的信念からの意見は国家的なまとまりを失わせる。

三、話し合いを深めるために
  念仏のこころで戦死者を追悼することは、靖国神社での慰霊とどこが違うのでしょう
 か。

〔参考〕

  ○靖国神社とは
   明治二(一八六九)年、東京招魂社を創り、戊辰戦争における官軍戦没者を国事殉
  難者として祀る。同十二年、靖国神社と改称、別格官幣社に列す。主役が個々の戦死
  者から国家へと転化。戦争そのものを神聖化する機能をになう。「靖国で逢おう」「
  靖国の英霊」を合言葉として戦争推進の精神支柱となった。まさしく、国のために死
  ぬ人間を養成するために、戦死を名誉と讃える施設として、国が作った神社であった
  のである。
   戦後、国家神道を、戦争を引き起こした元凶の一つと見なしたGHQから「神道指
  令」が発せられ、国家神道は解体され、靖国神社は一宗教法人として再出発した。
   靖国神社は顕彰施設であって、追悼施設ではない。このことこそ靖国の本質的特徴
  である。「顕彰」とは功績などを世間に表彰して知らせることである。戦死者を悼む
  ことと、讃えることには本質的な違いがある。
   宗教法人としての靖国神社はその『靖国神社法』の中で、戦死を偉業と讃え、英霊
  として祀り、その霊を慰めることをうたっている。戦死を讃えるのであって戦争犠牲
  者として追悼するものではない。戦死讃美ということこそ靖国神社の本質である。

  ○「国家神道」──富国強兵のために国家が作った新興宗教
   歯止めのない戦争への傾斜を促したものは「天皇」を神格化することで国家そのもの
  まで神格化した「国家神道」であった。国家神道とは、神道は一宗教などではなく、国
  民道徳であり、国家存立の基盤であるとして、すべての宗教を超えて国民である以上誰
  もが信奉せねばならぬとした。天皇を神格化し、国家を神格化した。この教典が「教育
  勅語」であり、「国体の本義」であった。
   国家神道を受け入れ、国家の神格化を許したとき、日本の諸宗教は国家の過ちと暴力
  から人々の心を護る力を失ったのである。「非国民」狩りから逃げ場所のない恐怖社会 
   ができあがりった。「非国民」として追われたとき、駆け込める寺も逃げ込める教会も
  なかったのである。
   国家が宗教と結びつくことは、国家が結びついた宗教を権力化してモンスターにして
  しまうだけではない。他の宗教を圧迫して、信仰を捨てるか、空洞化させるかしなけれ
  ば生きてゆけない状況に追い込むことを意味する。これに抵抗するには殉教闘争しかな
  くなるわけである。政教分離の原則によって、信教の自由を保証しなければならないと
  いうことは、このためである。信教の自由とは、国家による関与介入からの自由という
  ことである。

 ○国家神道下の浄土真宗と諸宗教 ―― 日本的無信仰はこうして生まれた ――

 法然・親鸞両聖人の時代以来、仏教界から排斥され続けてきた本願寺の後援者となっ
 たのは朝廷であった。その歴史を引き継いだ西本願寺は薩摩・長州の門徒を擁する堅い
 勤皇派でもあった。薩・長藩閥政府と呼ばれた維新国家のもと、国家神道による政教一
 致体制が敷かれると、政教分離の原則を掲げて国家神道の脱宗教化を訴えるという形で
 の抵抗が試みられたものの、忠君愛国・敬神崇祖・皇上奉戴の三条の教則を国民に浸透
 させるという文教政策の推進役を担うこととなり、富国強兵・殖産興業の国策に従順に
 従うこととなった。広如上人の遺訓を明如上人が開示するという形で流布された『御遺
 訓の御書』には、「現世には皇国の忠良となり」「来世には西方の往生を遂げる」とい
 う二本立て主義が説諭されている。以後、国策に忠実であることが宗門方針となり、戦
 争政策に全面協力して、敗戦を迎えることとなる。
  戦争政策の中で「国民精神総動員令」が発せられ、仏教各派は合同して「全日本仏教
 会」を結成し、キリスト教各派もまたカトリック・プロテスタントを問わず合同して「
 日本キリスト教団」を結成して、ともに「大政翼賛会」の傘下にいちすることとなる。
 敗戦以前に、日本の伝統諸宗教は、国家権力の戦争政策に敗北降伏したのである。
  欧米各国に共通のこととして、二十世紀は宗教我国家の権力に屈した世紀であったと
 いえる。戦後「世界宗教者平和会議」が発足したのは、宗教者共有の課題を、戦争に向
 かおうとする国家をどう歯止めするかということに見いだしたからである。
  日本において、生きるよりどころ、根本規範としての宗教を軽視し、無信仰を公言す
 る人が大量に登場したのは、このような歴史経緯からであり、宗教に代わって国家が信
 仰対象であった時代のなごりであると見られる。
  十五年戦争の時代を門主として生きた大谷光照前門主は、一九八○(昭和五十五)年
 「わたくしのように先の戦争を体験したものが、いつまでも門主の地位にあることはふ
 さわしくないと考え」たと述べて、蓮如上人以来数百年ぶりに生前に門主の地位を退か
 れた。後を継がれた現在の即如門主は、千鳥ケ淵募苑で全戦没者追悼法要を始められ、
 法話の中で、明確な反省の意を繰り返し述べられた。その後、宗門の議会において先の
 戦争に対する反省の決議が行われ、戦時中に出された門主の消息の失効が通達された。
  靖国神社国家護持や政府要人の公式参拝反対は我が宗門の重要方針となっている。

○「国のために死んだひとを国が祀る」とは
  日本語の「国」には、故郷と言う意味と、国家機構という意味と二つの意味がある。
 「お国自慢」「国に帰る」という時の国は故郷という意味であって、統治組織としての
 国家機構のことではない。「国のために死んだ」とは、「故郷を守ろうとして死んだ」
 ということであって、「国家機構を守るために死んだ」ということではあるまい。
  また,「ために」には、「それを目的として」という意味と「それのせいで」という
 二つの意味がある。「国家機構をまもることを目的に死んだ」人とはいえないかも知れ
 ぬが「国家機構のせいで死んだ」とならいえるであろう。
  方向を誤った「国家機構のせいで」「故郷を守るため」だと思わせられて,戦死した
 人々を、今の国家機構が祭ろうとすることは、当然であろうか。国家の過ちを覆い隠し
 再び戦争を準備することを受け入れさせる準備工作とはならないであろうか。

 ○公式参拝は、国家護持、国家神道復活へのステップ。しかし、靖国神社そのものが、 
     これに反対を表明。
   その理由 ①靖国神社国家護持法案(既に廃案)によれば、神道伝統の宗教色をなく
         するという。名前は残るが、実質的には神社ではなくなってしまう。
        ②政府の庇護をうけ、それに縛られていると、とんでもない政権が現れ、
         どんな目にあうかわからない。
                     ──『靖国神社をより良く知るために』一九九二年靖国神社発刊
        ③『靖国』奉仕十四年の無念 あの総理大臣(中曾根)の(神道儀礼を無
          視した)無礼な公式参拝は忘れられない 政治勢力との癒着を後任に
          戒め私は職を離れた
                     ──松永永芳靖国神社宮司(一九九二三月退職)の講演録

 ○追悼と慰霊の違い
  「追悼」は、過去への反省と将来への責任観を含むものでなければならない。それが 
「慰霊」との違いである。「慰霊」においては自分のこれからの生きかたが問われるこ
 とはない。目は死者のみに向いているのであり。自分の責任が問われることはない。死
 者を慰めることを通して、自らを許し、自らを慰めるのである。
  そもそも、戦争についての反省は、自分たちを加害者と認めるところから始まる。そ
 こから、過去のこととして水に流すのでなく、現在と未来に対する責任も見いだされる
 のである。被害者でしかないとしたら、反省のしようがないのであって、不運を嘆き、
 慰め合うより他はない。「慰霊」ということは、加害者としての日本を認めようとしな
 い思想なのである。
  『日本国憲法』前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやう
 にすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
 という言葉は、まさしく日本が行った大戦による全ての死没者への「追悼文」であると
 いえよう。『日本国憲法』は「全戦没者追悼憲法』でもあったのである。しかし、これ
 を再び「慰霊」の憲法と置き換えようする動きがある。

 慰霊 ・鎮魂(しずめる)───困惑と愁嘆──国家に使い捨てられた怒り
    ・慰霊(なぐさめる)──国家故の無意味な苦難──消えぬ遺族の怨み
    ・祭祀(まつる)  ───国のため・英霊と祭る──国を神格化してまつる
    ・人柱(人身御供)───国家利害(実は支配層の利害)のために民の命を消費
    ・水に流す        ───過去のこととして容認し加害者が誰であったかを不問
                に付す。過去を置き去りにした日常と、経済優先の繁 
                 栄を謳歌
 〇慰霊のこころ
    「日頃おき去りで、ほったらかしでごめんなさい。うらまないで下さい。災いや
     害をもたらさないで下さい。忘れたわけではないのです。感謝しています」
    ・今の責任を問わない。今を是認するための手続きとしての慰霊。
    ※ 国家による死者管理、追悼管理こそヤスクニの本質。

 〇追悼 追善追福 供養 回向
     追弔 弔問(とむらう・いたむ)
     追悼(おもいおこして、いたむ・かなしむ)

    ・戦没者一人一人のこころに想いをはせ、そのいのちの意味をたずねる。
    ・過去への反省に立って、未来への責任を今、背負おうとする。
    ・日々の生きかたの全体をもって応えていこうとする。
    ・生死を離る「いのちのありのままを受け入れて(信楽)、そのいのちに安らぎ
     あり(無三悪趣)、不滅のかがやきあり(悉皆金色)、みずからの使命にいの
     ちを燃やす(必至滅度・還相回向)ようにさせたい」との如来の願いに立つ。
    ・念仏して急ぎ仏になりて大慈大悲心をもって神通方便をもって度すべしと宗祖
     がいわれたのは、捨てておけない現実の人々があったから。
    ・個々のいのちを見つめ、現実を直視して戦況勝敗を問わず

  ○日本は神国か。日本は日本の神々を崇める人ばかりの国か。

    ──国家は国民によって支えられるもの。国民以上の存在が国民を支配してはならな

       い。国家のための国民ではなく、国民のための国家であるからであり。国民も国

       家も、他の国民と国家に対し、責任と義務を背負っているからである。世界のど
       こにも、神の国も仏の国も存在しない。存在を主張してはならない。    

   ○日本は神国であるということは既に鎌倉時代からいわれていたことであるが、その時
    代は天皇が早々に退位して出家し法皇となることが常識であった時代でもある。もちろ
    ん戦で死んだ者の追悼が全て仏式であったことはいうまでもない。天皇家は千数百年に
    わたって仏に仕えてきた最も長い歴史を持つ仏教徒一族であった。それが、明治に入っ
    て国家神道体制のもと、仏教から切り離され、信教の自由を奪われたのである。

  ○ 靖国神社とは
   明治二(一八六九)年、東京招魂社を創り、戊辰戦争における官軍戦没者を国事殉 
   難者として祀る。同十二年、靖国神社と改称、別格官幣社に列す。主役が個々の戦死
  者から国家へと転化。戦争そのものを神聖化する機能をになう。「靖国で逢おう」
   「靖国の英霊」を合言葉として戦争推進の精神支柱となった。
   戦後、国家神道を、戦争を引き起こした元凶の一つと見なしたGHQから「神道指
  令」が発せられ、国家神道は解体され、靖国神社は一宗教法人として再出発した。

  〇国による新たな追悼・平和祈念のための施設に対して
   追悼がそのまま平和祈念になるためには、その追悼の対象が、軍人軍属に限らず、日
  本の行った戦争で命を失った全ての犠牲者・被害者でなければならない。中国・ロシア
  アメリカの対日戦争犠牲者にとどまらず、アジア各国の犠牲者はもちろん、国内の反戦
  思想家・危険思想家として刑死・獄死した人々の名誉を回復し追悼するものでなければ
  ならない。日本の戦争によって生まれた国外の被害者をなおざりにし、過去の戦争反対
  者を犯罪者扱いにしたまま、平和祈念ということがいえる道理はないからである。
   しかし、このような意味での追悼や平和祈念が国政の中で語られたことはない。今、
  懸案となっているのは、靖国神社の代替施設としての追悼施設に過ぎない。
   過去の歴史に照らして考えれば、国家が特定の思想・信条・宗教観念を国民に押しつ
  け、あるいは戦争讃美に利用する危険を避けるため,国家主催の追悼行事を行うことは 
   慎むべきである。ましてや、そのための国立施設は甚だ危険な存在である。
   有事関連法案が提出されている一方で、「有事には信教自由の権利の一部制限もあり
  うる」という福田官房長官の発言が飛び出すような現在の政治状況を考えるとき、「国
  による新たな追悼・平和祈念のための施設」とは第二の靖国そのものであり、新たな
  「国事殉難者」が出るための受け皿作りであり、戦争の準備以外の何ものでもない。

  〇千鳥が淵全戦没者追悼法要について
   ・日本武道館で、「戦没者の霊」を「慰霊」する「戦没者追悼式」が行われているのに
   対して、国家による儀礼(神道的・自国中心的)によって染められていないこと。
  ・特定の政治団体、宗教団体に属することなく、国立であって、かつは国家によってそ
   こでの追悼のしかたを規制・管理されることがないこと。

  〇国家と戦没者追悼について
   そもそも、国家というものが、「追悼」という極めて宗教的ならざるをえない行為を
   なしてよいのか、その権限を有するのか、という問題が大きく横たわっていることに気
   づかなければならない。国家が公式追悼式を行うかぎり、何らかの意味で国家による宗
   教行為とならざるを得ず、政教分離の原則は根底的に破られるのであり、信教の自由は
   侵されざるをえない。
    国家は墓地を提供し、礼拝施設を提供しえても、そこでの追悼行為は民間に開放すべ
   きであって、一切の規制は許されず、まだ自らが追悼行事の主催者になってはならなか
   ったのである。その意味でこそ、千鳥ケ淵墓苑がふさわしい追悼施設であったのだとい
  わなければない。

   ○政教分離・信教自由とは、宗教が国家や政治に口を出すことは認めるが、国家が宗教
    に口を出すことは許されないという道理を法律化したものである。
    ──国民あっての国家であって、国家あっての国民ではない。その国民が、自分あっ
       てのこの宗教ではなく、これあればこその自分であると、自らのよりどころとし
       ているものが宗教である。国家は国民が便宜上作るものであり、宗教は国民が自
       らの根源とするものだからである。国民は自らのよりどころである宗教に立って
       国家を作り、批判し、是認する権利を有するのである。
         ただし、ここで宗教がというとき、何らかの宗教者である国民はという意味で
       あって、(職業的)宗教家はという意味ではないことは、政治が政治家を意味す
       るのでないと同様である。

   ○宗教家の政治に対する態度について
     政治のあり方に口をつぐんで無批判な態度を取る宗教者は、政府与党の支援者以外の
     何者でもない結果を生むことは明らかである。その意味で彼は甚だ政治的な宗教者であ
     るといわねばならない。政治と無関係に生きられる場所などどこにもないのであり。国
     内に生きる以上は応分の責任を負っているのである。宗教者の宗教的信念から出たどの
     ような発言や行動も、政治的観点から見れば、政治的意味を持っているのであり、逆に
     どのような政治も、宗教的観点から見れば宗教的問題をはらんでいるわけである。宗教
     者は政治にかかわる発言や行動をすべきでないという考え方は、大政翼賛体制下の宗教
     観念そのものである。