第二条 よきひとの仰せをかぶりて
第二条 よきひとの仰せをかぶりて
〔本文〕 一 おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめし ...
〔本文〕 一 おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命を ...
〔本文〕 一 おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめし ...
〔本文〕 一 おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命を ...
〔本文〕 一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこ ...
〔本文〕 一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや ...
〔本文〕 一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごと ...
〔本文〕 一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲 ...
〔本文〕 一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を ...
〔本文〕 一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏 ...
〔本文〕 一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候 ...
〔本文〕 一 専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子 ...
〔本文〕 一 念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。 〔取意〕 念仏者は何者にもさまたげられ ...
〔本文〕 一 念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんと ...
〔本文〕 一 念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行非善なりと云云。 〔取意〕 ...
〔本文〕 一 念仏は行者のために非行・非善なり。わがはか ...
〔本文〕 一 念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、 ...
〔本文〕 一 念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそか ...
〔本文〕 一 念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。 〔取意〕 他力の念仏においては、自力のはからいを捨て離れたことをもって、如来の御はからいにかなったよきはからいとするのです。 何故ならば、人間の思いは ...
〔本文〕 一 念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不 ...
〔本文〕 そもそもかの御在生のむかし、おなじくこころざしをして、あゆみを遼遠の洛陽にはげまし、信をひとつにして心を当来の報土にかけしともがらは、同時に御意趣をうけたまはりしかども、そのひとびとにともなひて念仏申さるる老若、そのかずをしらずおはしますな ...
〔本文〕 そもそもかの御在生のむかし、おなじくこころざし ...