一、この問いを掲げたねらい
・神を祭るこころの内実を問うことを通して神と仏の違いをあきらかにしたい。力に
よってエゴイズムを果たそうということでよいのかを自らに問いなおしたい。
二、さまざまな意見──話し合いのヒント──
ア 神さまとは、我々みんなのご先祖様ということだと思っていた。
イ 神仏一体と聞いてきたし、家には仏壇も神棚もある。寺も神社も同じようにお守り
を売っているではないか。
ウ 生きる上では神様、死んだ後は仏様をたよるのが、常識ではないか。
エ 仏様だけを大事にして、神を拝まないわけにはいかないのが、現実社会。
オ 神仏に幸せを祈ることは間違っているのか。
・ 仏様には感謝・願い事を、お祈りするときは神様だと思う。
・ それでは二股膏薬ではないか。保険をかけるみたいだ。
・ 信心が大事だというが、心から祈ることが信心だと思う。
三、個人や集団のエゴイズムを容認・助長する宗教か、それに目を向けさせ、のり越えさ
せる宗教か、という観点から考え直してみましょう。
〔参考〕
〇神と仏の問題は、神や仏という対象の問題ではなく、祭りや祈りの宗教と聞信の宗教
という信者の姿勢の問題としてとらえなおすことが重要。
──神を崇め恐れる心から仏を信ずる道へ(力を求める心を転じて、願いに目覚める
道、合掌のこころ)
・日本における神仏二道の相剋の歴史、混淆の歴史
──神仏一体は仏を神に祭り上げてしまい、教えを聞こうとしない発想。
──インドでは仏陀はビシュヌ神の化身とされ、神仏一体となって仏教が滅んだ。
拝むだけなら今も仏陀は神として拝まれ崇められている。
〇日本の神とは何か
・神は上-上位の者、先行する者、目上のもの-「かわかみ」「おかみ」「かみよ」
「うじのかみ」(権威・権力・威力・競争力のシンボル)──まつる・へ
つらう・まつりごと
・古事記・日本書紀の神とは権力者のこと──越中の守
・まつりごと(祭)とまつりごと(政)の区別がついていなかった時代の宗教。
・恐れ崇める者の迷い。力への恐れと願望 権力者・やくざ
〇仏教からみた神々
・仏教においては神も迷いの存在、梵天・帝釈天等、聞法歓喜、護法の誓い
・現世利益和讃の意──神は念仏者を崇め護る-冥衆護持──必定成仏の人ゆえに
・御文章(帖外)──「八幡大菩薩悲しみの袖をしぼる」──仏法信ぜぬを嘆いて
・顕浄土真実教行証文類化身土巻──「人いずくんぞ鬼神につかえんや」
・まもるということ 1外護 諸神諸菩薩──護持養育
2内護 一切諸仏 ──護念証誠
3照護 弥陀如来 ──心光常護
・何を護るのか──真実信心をまもる──鎮護国家・鎮守・お守りとの違い、
・まもられるとは、したがうべき真実の道が明らかになること。
〇人間のエゴを守るのか、人間をエゴから護るのか。
・力を恐れ、力を頼る生きかたでよいのか──力は力だけでは空しいもの
・神仏一体のゆくえ-仏陀が神となって仏弟子がいなくなったインドの二の舞の恐れ
・仏教からすれば神道は外道、外道の限界は、見愛我慢の心を離れず、愛見の坑にお
ちること(『化身土巻』参照)
・エゴイズムの克服こそ宗教の鼎の軽重が問われる要点
・祈りと信は反対向き。仏法と鉄砲
・政府が作った新興宗教──国家エゴ、民族エゴの宗教化としての国家神道──敬神
崇組の宗教政策──軍国の宗教──日本的「無宗教」の
内実となって今も健在。