靖国神社の国家護持に、私たち真宗者はなぜ反対するのでしょうか。

 佛の遊履する所、國邑・丘聚化を蒙らざるは靡し。天下和順に、日月清明に、風雨時を以てし、災レイ起らず、国豊に民安く、兵戈用ふること無く、徳を崇び仁を興し、務めて禮讓を修す。
(大経下巻 註釈版 P73 )

 靖国神社問題ということで、非常に大きな政治問題になっているにもかかわらず、個人個人の方が掘り下げてお考えになることの少ない問題になっておるのが現状のようでありまして。ある意味では靖国神社問題が、どういう意味で問題なのかということは、先程のご発言にちょっとありましたが、宗教、自分自身が一つの依り所とする教えというものをもって、そこで考えてみないと、問題性が見えて来ないということが、あるのではないでしょうか。
 今日、靖国神社の国家護持法案や公式参拝の動きに関して反対の意志を表明しております団体は多くございますけれども、ほとんどの宗教団体が実は反対を表明している訳ですね。ただし、ほとんどの宗教とはどういうことかと言いますと反対を表明しておられますのは、その宗教団体の代表の方でございます。その信者はどうかというと、どうもあんまりはっきりしないというのが多いというのもこれまた実態なんですね。靖国神社の国家護持に賛成だという宗教団体も僅かでございますが、あります。例えば、成長の家ですとかね、幾つかの宗教団体は賛成を表明しておりますが、ほとんどの宗教団体は反対を表明しておるというのが現状です。しかし、その事さえも余り話題とならないという具合に、日本というのは宗教が無視される国だなあと思います。

靖国神社

 靖国神社とはどういう神社かという事でございますが、ご承知の通り靖国神社は明治時代になってできた神社でございます。靖国神社という名前になりましたのは明治一二年でございます。それまでは、東京招魂社というておりました。その東京招魂社のもとをたずねてみますと、かって明治維新の先に鳥羽伏見の戦いなど国内の内戦がございまして、たくさんの兵士が死にました。その時に、勤皇派のですね天皇の側について戦った人達の霊を祀るということで造られたのが、これが京都に造られました招魂社の初めでして、それがやがて東京の九段に移され、そして明治一二年に靖国神社に改称されるに至ったという事でこざいます。
 この靖国神社と申しますのは、日本の伝統から申しますと特異の性格を実はもっているわけでございまして、わかりやすい言葉でいえば、明治時代にできた新興宗教だと言うことができるかと思います。
 おおよそ慰霊ということはいつの時代も戦などが終わりますと行われる訳でございますね。ご承知の謡曲。あの中に船弁慶というのがあります。その船弁慶というのはどういうのかというと壇の裏で、戦いに死んで行った平家の武将達の亡霊が現れるのを弁慶がですね船の中で追悼をして、霊が退散するということをテーマにした謡曲なんですね。それに見られますように古来から日本人は、一度戦が終わればそんな敵味方なくその霊を弔うということを長い伝統にしておった訳でありますけれども、この時に始めて、味方だけを祀って敵には一顧も与えないという新しい方式の祭式が登場した訳でございます。これは世界に類例がないことかも知れません。
 詳しいことはよく分かりませんが、例えば私の父がオーストラリアに行って参りまして、感心して帰って参りましたのは、オーストラリアの軍艦ですか、それに日本の特攻隊が体当たりをしましてね、日本軍によって大変な被害を被った訳ですが、そうして戦死した日本人のために顕彰碑を建てておるということです。つまり、日本の英雄であると。それを見て私の父はいたく感心を致しまして、オーストラリアという国は大変な国だと、かつまたオーストラリアの人達にも日本の兵士たちの勇敢なのは称賛される程であったと喜んでおりました。
 実は、英国、オーストラリア他皆そうですけれども、戦が終わったときに必ず敵の兵士たちの武勇を讃えるということが普遍的で伝統的な倫理であったようでございます。それを見て驚いたりびっくりしたりするような日本人の感受性がいつからできてきたかというと、実は靖国神社から始まったわけでして、つまり如何に靖国神社というのは宗教的に見ますと特殊な思想をもったものであるかということでございます。
 ラグビーという競技をご存じでしょうか。ラグビーというのは競技終わりますとノーサイドというんですね。ノーサイドというのは、こちら側とかあちら側とかというサイドが無くなるんです。ノーサイドになるんですね。つまり、慰霊というのはいつの時代もノーサイドであったんですね。それによって戦は初めて終わった訳でございます。
 元が日本に攻めて参りました時も、やはり攻めて来た元の兵士の墓をやはり日本人は建てておると聞きます。追悼もしているんですね。多くは知りませんが、今の英国なんかにも伝統としてあるそして日本古来の伝統であったそういう精神を見失って、天皇の名において働いた者だけという、何故こんなことが起こって来たのかと言えば、それはやはり天皇というものの特殊な権威に拠っておる訳ですね。つまり天皇の側の軍隊と天皇に反旗を翻した者達ということで、実は敵味方ではなかったのですねこれは、つまり賊なんですね。敵以下なんです。皇軍に反坑して死んだ人達は。だから西郷隆盛などは敵であっただけじゃなくて賊であったから永久に弔いは行われないというこういう思想がここで誕生して来たのです。これがいわゆる国家神道というわけでございますね。
 ノーサイドが永久にないのです。靖国神社に於いては今も尚そこには敵味方が生きておるということでございます。ノーサイドは永久に来ない訳です。決して靖国神社では日本軍と戦って死んだ人達の追悼は行われない。そういう性格の、つまり日本の伝統になかった新しい宗教がここに誕生して来た訳でございます。
 そしてそれはご承知のように管轄が軍隊。軍隊の神社なんですね。これはわかりやすく申せば戦争の神社なんでございます。その神社が果たす機能は、それは誰がお考えになっても分かりましょう。戦争で我が息子を失い夫を失い、兄を失い弟を失った人達は、誰だって戦争に対して怒り呪い嘆き、まあ早い話が戦争なんか大嫌いだと言うことになるのが自然の情でありますけれども、それを逆に転換して、戦争推進の力に方向転換させるのが実は戦争で亡くなった人達を 英霊として祀って神として称えるということでございます。国家によって神として祀られた以上、戦争なんかは真っ平だとは、あんな馬鹿な所へやらねば良かったとか、誰がうちの息子を死に至らしめたんだとか、一切言えなくなるのでございますね。つまり神になって称えられているわけですから、言えないわけです。本当はたくさんの兵士が死ねば、どんどんどんどん厭戦、つまり戦いはもう厭だと厭戦気分が盛り上がって来るはずなのに、むしろ逆に沢山人が死ねば死ぬ程いよいよ後には引けないというふうに国民の心が動くような宗教システムとして造られたのが靖国神社ということでございます。それに批判を加える者は、そうなって参りますと当然、非国民、人の道を外れた者だということに自ずからなってくるわけでございます。
 つまり、靖国神社というのは、戦争が宗教になっておる訳ですね。戦争そのものが宗教。だから靖国の思想に於いては、戦争することが神事という意味があります。そして、そこで死ぬことこそ最も素晴らしい模範生という事になって来る。そういう性格を持ったものとして、出来あがって働いて来たのが、靖国神社であったわけです。
 しかもそれは宗教ではないとされました。超宗教であったのですね。宗教だったら日本人はいろんな宗教があるんですね。天理教の人もいる、キリスト教の人も浄土真宗の人もいる。それぞれの立場の違いが出て来ます。宗教じゃない。信仰はどれだけ違っても日本人みんなが従がっていかねばならん日本人の国民的な倫理なんだという事になりますと、これは超宗教でございまして宗教以上なんですね。宗教以上であったわけです。だからどんな宗教的な論理もこの前には通用しない、どのような信仰を持っていようと有無は言わせないということでござい ます。その宗教が靖国神社を問題にするような宗教であればそれはけしからん宗教だということで弾圧を被ると。こういうことですから、ちゃんとぶつからんようにやっていくよりほかなかったんですね。キリスト教団も仏教教団も皆いわばそういう国家神道というものを容認し、それに協力する形でずっと動いて来たというのが戦前の歴史の現実でございます。

戦争の因縁

 それが敗戦になりました。アメリカの占領軍は、戦争というものを引き起こしたポイントは何だったかという事で、幾つか改革をやりました。一つは農地解放でありました。所謂軍隊に喜んで入って行くというのは何かと言うと、非常に農村が疲弊して貧富の差が激しいという。で、ほんとに軍隊へいってご飯さえ食べられたら、それで喜んで軍隊へ行くような農村状況があり、それが戦争の起こって来た大きな支えであった。どんどんどんどん中国に侵略して行く背景には、農村の貧しさがあるんだと。いうのが農地解放令が出された理由ですね。もう二度と戦争が起こらない為にやったのが農地解放であったというのが象徴的な事であります。それともう一つは、神道指令、つまり神道を超宗教的な位置に置いてはならんと。神道だって宗教じゃないかという訳ですね。それで神道も一宗教団体ということ、靖国神社もその時に宗教団体という地位に置かれた訳でございます。それから所謂天皇の地位についてもそうですね。それから、教育でございます。教科書を全部取り替えたということこそ大きな改革だったのではないでしょうか。つまり、私達のものの考え方まで、日本人のものの考え方まで変わったということですね。新しい教育によって考え方が変わったということは、かってのものの考え方はかっての教育によって支えられておったということでございます。
 靖国神社は、戦争賛美の宗教だということでございます。それが今日一宗教団体ということであるわけでございますが、その思想基盤ということでございますが、やはり靖国神社というのは国の為という、これが大きな思想の支えになっている訳です。国の為ということで、国民の、民意ですね、国民の心を皆統一していこうという、国の為という一言で国民の心を統一していこうというところに、ある訳でございます。それから戦争というのは、これは避けられない止むを得ない事である。国難であるという考え方ですね。戦争は人間が、自分達がやっておるんだという観念じゃないんです。国難なんです。災難なんです。こういう考え方は今でもありまして戦争というのは、時期が来れば起こるもんだ。仕方がない。災難のように考えておられる方が非常に多いんですね。そうじゃなくて、戦争というのは人間がやるもんなんです。起こすもんです。計画的に起こすもんですね。結局、紛争の解決を軍事的にやろうということなんですから。紛争が起こって来るには、今も例えば日米経済摩擦というて、あれはまだ摩擦であれがひどくなると紛争なるんですね。しかし、なんぼ紛争がひどくなってもそれを軍事力で解決しようといない限りは戦争にはならんわけですね。やはり戦争は人間がやるもんだ。今考えればそうなんですが、国難だという考え方で靖国はできているんです。国難が襲うて来た時にそれを払い除ける為に雄々しく立ち上がった人だと、こうなるんです。

靖国思想

 それから、神を祀る事こそ日本国の伝統だという考え方でありますから、そうでないという者は異端分子ということで非国民呼ばわりされて、そういう者は抹殺しようという方向へ動きます。それから、日本さえ良ければということで、日本人だけが人間のように思えて参りましてね。鬼畜米英だとか、中国や朝鮮についてはどういう呼び方をしておったかはご承知の通りであります。人間が人間に見えなくなって来る訳でございます。そしてその神様というのは誰が作るか、この靖国神社法案では、内閣総理大臣が神様を作るということになります。つまりね。日本人の宗教心が非常に低下した。ここにあるのですね。よく考えてみたら。神様というのは人間が決めて作るのですから。そういう事をずっとやって来たことによって、つまり宗教というものを何か所詮は人間の思い次第で成って行くものというような、宗教というものの本当の超俗性というものがいつの間にか日本人の感性から抜けてきたという事も、実はこういうことが大きな影響力をもっていたのではないかなと思われます。
 この靖国神社を国家で護持しようという事に成りますというと、つまり国家とその宗教とが結び付きます。国家というのは私達は日本人でありますから国から出て行く事ができないわけです。誰も避けられん。もうすでに日本人であって選ぶことができんのです。日本人である事は選ぶことができないのです。ところが、そのことと靖国神社とが結び付きます国家護持ということになれば、私達は靖国神社の信者であることを選ぶ事はできない。厭だということができないということになってまいります。つまりはその政治が靖国神社という宗教を介して私達の心の中へ直接介入してくるということになる訳ですね。政治と宗教が結び付くとはそういうことなんですね。そうなってまいりますと靖国神社の考え方と違う考え方を持つ宗教は、当然これは圧迫と弾圧を被らずにはおられないということになります。どの教、宗派も困ると言うているのはそういうことですね。靖国神社的な宗教感情が国民皆んなが従わねばならんということになれば、大変な圧迫を被らねばならんから、それは困ると皆言うわけです。その国家護持を要望する軍人それから旧軍人、遺族の一部に非常に根強い要望がございます。これは考えてみればよくわかることですね。実際に国の名において駆り出されて亡くなっていった。あるいは国の名に於いて自ら志願して死んでいった。その国家が、終わってみれば知らん顔ではどうもおかしいのではないかと、思うのは当たり前のことですね。しかし、考えてみますと人間の死とそしてその死の意味、遺族にとっての意味まで国家は責任を持てるというものなのでしょうか。もともと国家というものが、実は国家というものでは責任を持てないことを責任持とうとしたということでないでしょうか。現実に亡くなって行ったのは、国民という抽象的なものでなくて、どこどこのあんちゃんであり、どこどこのおっちゃんであり、だれだれの亭主であり、息子なんですね。その人の死を悼むのは生身の人間であって、国家というものが悼むのではありませんね。そうでしょ。国家に悼んでもらいたくて、じゃないでしょ。送り出すときに涙して送り出した者が死したとき涙を流すのであって、それを国家が掌握しようというところに靖国神社があったし国家神道があった。それは国民を一つの方向に引っ張って行くのには、誠に強力なものであったはずです。武力で脅かして人間は動きませんからね。人間の心の中から人々を引っ張って行く、そういうものとして国家神道はあったのだということです。しかし、そのことは今日になれば簡単に申せますけれども、やはりその時代を生きて来た人にとっては、それが血肉化した、体についた自分自身の思想なんですね。そうしました時に、国家護持の動きが出て来ますことは当然だとも言えるわけでございます。しかし、それをそのまま認めてしまったのでは、誠に何とも言えないことでありますね。

反対の理由

 浄土真宗の真宗者が、何故反対するのかということでございますけども、戦争が行われて沢山の人が亡くなった。そのことを私達一人一人がどう受け取って行くのか。今日から未来に向かって私達が生きて行く上で、そのことをどのように受け取り、そのことから何を学び、そのことをどう踏まえて生きて行かねばならんのかということは、実はそれこそ国民一人一人、その戦争の後を生きる私達一人一人に課せられた宿題であります。そして、浄土真宗の教えに生きる者にとっては、お念仏の教えに照らしてどうなのかということは、これはですね、他の誰からも強制されてはならん一番大事なものでしょ。浄土真宗のみ教えに照らしてあの戦争は何であったのだろうか。私達はどうその死を受け取って行かねばならんのか。これは非常に大事な問題でございます。
 その時に靖国神社のあの考え方は絶対に浄土真宗の御本願とる相容れないということがあるわけです。十方一切の衆生を、いや、如来に背くものだからこそと呼びかけられた阿弥陀如来の御本願を思うとき、どうして日本人だけ、しかも軍人として行った人達だけを祀っておる靖国神社を以て、戦争で亡くなった方々を思う基本姿勢とすることができるでありましょうか。無理ですね。まして、仏法でございますから仏になれよという教えなんですね。仏になれよということは限りない知恵と果てしない慈悲心の持ち主に成れと教えているわけであります。そうしてみたら、とてもではないですが靖国神社のあり方を、あれが国家護持されて行く、あれが国家の方針になって行くということはこれは、「うん」というわけにいかんわけですね。
 そういう考え方の方がおられることは、これは事実でございますからそのことを、あなたの考え方変えろとと強制することは勿論できません。しかしながら、それが国民全体に、法律化されて有無を言わせずそれに従えということになるということは、これは毛頭「うん」ということのできんことでございます。まして浄土真宗は神祗不拝。神を祭らないということをもって立っておる宗教でございますから、靖国神社に神様となっているのだということは、はいその通りでございますと言うわけにはまいりませんね。
 それなら全部、靖国神社を止めて靖国寺にしてね、全部浄土真宗でやったらどうか。同じことですよ。それだけは絶対認めないというのが浄土真宗ですね。だから蓮如上人の言葉にあるように他宗他門の人に、決して押し付けがましい、俺は浄土真宗の念仏者だからと言うような物言いさえしてはならんというてあります。

信教の独立性

 宗教戦争というのはそこで起こるんですね。皆んながね、皆んなが自分達のこの宗教になれば良いんだ。本人が思われるのはこ自由でございます。私も思うているんです。みんなが浄土真宗の門徒になればいいと思っていますよ。だけどそれはね、決して力によって行われてはならんということです。そうでしょ。それが力によって行われようとする時、宗教というもの程恐ろしい暴力装置はなくなってしまうんですね。いつも浄土真宗の教えに背く人達こそと、そこに目が向いておるのが阿弥陀様の御本願ですね。浄土真宗に背いている者をお目当てとして、どうぞ聞いて下さいよと、呼びかけられておるのがお念仏ですね。決して強制はない。浄土真宗が国家護持されたら浄土真宗で無くなってしまうのです。
 心配しなくても全部浄土真宗に成ってしまうということはありません。何処までも人間は、自分達さえ良ければいい、俺の国さえ良ければいいとか、そんなことばっかり思うておるもんなんです。エゴイズムで動いておるわけですから全部浄土真宗になる事はありません。もしそうなったら、この世はお浄土になります。そんなことはもう無いので、そうで無いからこそ浄土真宗がある訳です。人間がいつも真実に背き法に背いて動いている者だからこそ念仏の教えは現れて来たんです。日本の国はいつもね念仏の教えに背いた事ばかりで態勢が動いておるからお念仏の教団がなければならんのであって、これが全部を支配するくらいなら要らないのです。ですから決して、神社だから気にくわん、これなら良いとそういう事ではないのです。一つの「これ」が押し付けとなっては困ります。

信教の自由と政教分離

 人間の、私達一人一人の、その人の死をどう受け取るかというのは、誰にも譲ってはならんまた犯されてはならん、それこそ人権と言いますか、人の道なのであって、それを犯すようなものは一切許してはならんということです。だから、靖国神社の国家護持は絶対に許してはならん。それがたとえ天理教式に成ろうとキリスト教式に成ろうと浄土真宗式であろうと許してはならん。それが浄土真宗でございましょう。
 浄土真宗の教えに照らして考えてみました時に、やっぱり一切の有情は世々生々の父母兄弟なりと示された通り、敵と味方があるのじゃない世々生々の父母兄弟、父母兄弟どうしが殺し合うのが戦争です。成る程戦争は何時の時代にもあります。今もあります。そして果たして確かに無くなる時が来るだろうか。いや来るのかも知れません。とにかく武器さえ取らねば良いんですから、しかし争いは何時もありますね。無いわけがないです。しかし、その事を、それこそ父母が父母兄弟が争うておるのだ殺し合をしているのだという、そこに浄土真宗があるはずですね。
 そういう所に立った時に靖国神社という神社が、まして国家護持される、公式参拝などされるという事は、誠に嘆かわしい事で認められんということでございます。そういう事を憲法の上から申しますと、保証しようということで信教の自由ということ、それから政教分離ということが言われているのですね。これが戦後の憲法の中で示されたもので、信教の自由というのはこれは一人一人の人間が教えを信じることは自由。自由ということはどういうことかというたら、如何なる政治的な、国家による、干渉も受けないという事でございます。自由というのはね。法律的に政治的に一切どのような宗教を信じようと、宗教活動しようと法律や政治は介入しない自由であるということです。勿論、お母さんが叱るという事はありますよ。「おまえ何言うとっがいか。そんなとこ(宗教)行ったらあかん」。そりゃ言うのもまた自由ですからね。ただ政治、国家権力からの介入から自由であるということ。そのためにはどうか言うたら、国家の方は政教分離。政教分離という、これは国家の制度としては政教分離。そうで無かったら介入されるわけですから。個人が信教の自由を確保するためには、国家のあり方が政教分離でなければならんというのが、憲法の原則になっております。
 今の靖国神社問題というのは政治と宗教とが結び付こうということなんです。どういう形でかと言えば、これは国民的習俗であって宗教とは言えないという事を言うて、何とかむすびつけようと今一生懸命やっているわけですね。で、公式参拝してもこれは所謂そんな宗教行事ではないと。靖国神社も今のままではどうも宗教臭いから、もうちょっと宗教色を抜こうとしている訳です。ところが靖国神社は嫌やと言うている。何とか結び付けようという事ですが、結び付いては困るのです。
 身近な所で言えば、神社の賄いを自治会で金を集めてなどというのは、政教分離の原則に反するわけですね。結び付いている。その村に住んだら嫌でも、という事でしょ。嫌でもという。それに文句を言うとお前みたいな者はここから出て行け。村ぐらいなら無理すれば出て行かれますが、国は出て行けませんよね。エライことなんです。だから実は私達の身近な所にもそういう事の支流が流れておりまして、よく注意をして行かねばならんですね。今現在そういう事をはっきり言うてね。問題を起こしている人は、大抵、創価学会の会員とかクリスチャンですよ。この方々ははっきり言われます。そのお陰でみんなが助かるんです結局は。我と思わん人は、はっきりものを言うて下さい。私が言うと「またご坊はんの勝手な意見だ」と、中々素直に聞いてもらえんですがね。
 そういう事で政教分離というものの制度的な裏付けによって、信教の自由を保証しようという憲法がありながら、その憲法がいつの間にか、ただ名前だけで、実質的に空文化していくというか、なし崩しになろうとしているのが今の公式参拝なんです。法案がうまく通らないので順番に既成事実を積み重ねて、一歩づつ迫ろうというのが方針なんですね。そういうことがあるものですから、公式参拝の問題についても宗教界が非常に反対を表明しておりまして、真宗十派連合でも先般も公式参拝反対の陳情書を提出しております。今年の八月の二十日頃でしたか、出しております。

真宗者の責任

 さて、ところがですね。靖国反対ということを今日初めて聞いた。浄土真宗がそんな事言うているとは知らなかった。聞いてもまだ合点がいかん。つまり、靖国神社反対がね何やら変に思える。真宗が反対している。エッおかしいなと思えるというのはどういう事かということです。それは、実は浄土真宗が先程申しました様に、国家神道とぶつからないような形で、むしろ協力する形でずっと歩いて来た歴史があるからです。「お坊さん方がもっとはっきり言えば良いのに。わしら知らんであたり前」ということになりそうですが、坊さん方も言いにくいのですね。言いにくい道をずっと歩いて来たからです。
 だから今日、靖国神社の国家護持反対や公式参拝反対という時ただではすまんわけですね。「じゃあんた方が今まで昔から言って来たことは、あれはどうだったんだ。やって来たことはどうだった。ご門主自身がサーベル下げて行ったじゃないか。真宗門徒達は皆ね。ご門主様さえ行かれるんじゃものと思って行ったのじゃないか。どうなんだ」と。これを通らずしては、言われないわけです。そうすればその世代を生きて来た方々は、なかなかつらくて言えないだろうと思います。言いにくい。だけど言わんでは責任はまたあい済まんのでしょう。まして宗教者と申しますのは、まさにその事を責務として生活しているんじゃないかと思うのです。やっぱりここは言わねばあかんですね。片方では命を落とした人さえある事を思えば、少々ぼろくそに言われたぐらいは辛抱してやっぱり言わねばならんと。思うて私などはおるわけであります。
 私共は怖いもの知らずですね。そういう戦後教育を受けて参りましたので、戦前のそういう教育を受けていないから怖いという感じが無いのですね。だけども、そういう事をあからさまに言うことが何かしら、不安な怖い感じをどうもやはりお持ちの方が全体的には、多い感じが致します。しかしそれもまた、考えてみれば当然と言えば当然のことであって、日本人が長い歴史の中で背負うた重荷であり今日から後も負うて行かねばらなん重荷でありましょう。決して簡単に理屈で済ましたり水に流してはならん大きな問題があるのだと思います。特に世界の平和ということの中で日本が果たすべき役割ということを思いました時、本当にこの問題を国民みんなが、自分自身の責任として考えて行かねばならん事だなあということをつくづく思うのであります。
 浄土真宗の歴史から申しますと真俗二諦ということで、この世の事は国家の方針に従いなさい。後生の事は浄土真宗だとこういう形で両立するようにして来たわけですね。そして、浄土真宗の門徒達は皆神棚を持つようになりました。仏檀と神棚と両方成り立つような考え方を門徒達は段々するようになって来た訳ですね。そして、皆氏子だという事ですね。かって江戸時代は、寺請け制度で嫌でもおうでもどこかの寺に所属しなければならなかった。今度は嫌でもおうでもお宮さんと言うことですね。それが、今現在は二重になっているんですね。皆んなどこかの氏子で皆んなどこかの壇家でという、そういう事ですね。歴史の現実であります。そのことを今私達が、お念仏の心に照らしてどう受け取って行くか、私達一人一人がやっぱり考えて行かねばならんので、答えを早く聞かせて下さいという訳にはいかないのでないでしょうか。
 さて、そういうことを思いました時に、今日教科書の問題ですね。話題になっているでしょ。教科書の内容が段々変わって来ようとしている。教育の点から言えばそういう事。それから宗教の方ではそういう靖国神社の問題。それから日常の習慣から言えば日の丸だとか君が代をまた徹底しようという、そのこと自身は必ずしも元へ戻そうということで無いにしても、やっぱり心配な感じがしますですね。戦争は人間がやるものであります。そして、過去の問題ではなくて現在の問題だと思うのですね。つまりその準備というものは、急にパッと起こるものではなくて、やっぱりものの考え方や経済運営や国家の状況や外の国との関係やそういうことが積み重なって来る訳ですから、だからいつも戦争は過去の問題ではなくて未来の問題、起こるかもしれない、いや起こしてはならん。じゃあ今どういうところに気を付けねばならんか。いつも今の問題だということでございます。その事をお互いが浄土真宗の教えに照らしながら、考えてみなければならんなあという事で、この靖国神社問題が取り上げられておる訳でございましょう。非常に大きな問題だという事ございますね。