一、蓮如上人のご事跡
- 誕生
- 母の出奔
- 東国への旅
- 結婚
- 聖教の書写
- 継職
- 一宗建立
- 本尊制定
- 寛正の法難
- 近江の教化
- 吉崎で北陸教化
- 御文章製作
- 正信偈和讃開版
- 一揆の制止
- 山科御坊・石山御坊建立
- 平座の教化
- 親鸞中心主義
- 信心の再興
- 六字名号の製作
- 五人の妻十三男十四女
- ご往生
蓮如上人の教え-その肝要
1後生の一大事
- 仏法は生死出離の道
・それ人間の生を受けたることは別のゆえに非ず、仏法をききて生死を離るべきためなり
・世間のひまを闕きてきくべし、仏法には明日といふことあるまじき
・曠刧来流転 多生曠刧この世まで・流転輪廻の際なきは疑情のさはりにしくぞなき
・前生・現生・後生
・現世(の幸福)を祈る行者をばこれも雑修と名づけてぞ千中無一ときらはるる
・世間は一旦の浮生、後生は永生の楽果
・今生にこの土において悟りを開かんとするは自力聖道門 - 後生とは往生浄土ということ
2雑行を捨てて後生たすけたまえと弥陀をたのめ
- 信心の再興はこの教えによってなされた聖人の御流はたのむ一念のところ肝要なり。故に、たのむと云うことをば、代々、あそばしおかれそうらえども、くわしく、何とたのめと云うことを、しらざりき。しかれば、前々住上人の御代に『御文』を御作り候いて、「雑行をすてて、後生たすけたまへと、一心に弥陀をたのめ」とあきらかにしらせられ候う。しかれば、御再興の上人にてましますものなり。 『御一代記聞書』第一八八条
〔「たのむ」とは信=如来の呼びかけを我がためと受信すること。今日世間で言う「頼む」ではないので注意〕
3信心為本
- 宗祖の教えの原点に帰る
「しかれば祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心ひとつにかぎれり。これをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって真宗のしるしとす」 『御文』二帖三通 - 弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。南無阿弥陀仏の主になるといふは信心をうることなりと云々。 『御一代記聞書』 第二三七条
真実の信心に住して、今度の報土往生を決定せずは、まことに宝の山に入りて手を空しくしてかへらんにことならんものか『御文』三帖目八通 - 信心正因・称名報恩
口に称える前に、如来の大悲を聞き信ずる中に救いあり。称えるは報謝のいとなみ
4信心の体は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の体は
- 六字の体、六字のすがた、をよくよくこころえわけ弥陀をばたのめ
- 六字のこころ、南無という二字、阿弥陀仏の四字
- 機法一体の南無阿弥陀仏
5平生業成 (たのむ一念のとき往生一定)
- 信心の利益
- 来迎をまたず
- あらとうとやあらうれしや
6王法は額に、仏法は内心に
- 南無阿弥陀仏の信心以外の仏法修行は雑行。宗教のおしつけは駄目。他の信仰に生きる人に対しては世間通用の倫理(王法・世法)の範囲で。信仰が違えば価値観も違う宗教の違いで争うことのないように、他の宗教の人と共有しうる世俗倫理を重んじつつ、揺るがぬ信を内に秘め、拠り所として生きること。