【後記】第一段 第一節

〔本文〕

但し、蓮如上人書写本の原本の段階から錯簡があったものと見なして校訂を試みた楠 顕秀氏の説に従って、順序を入れ替えてある

 右条々は、みなもつて信心の異なるよりことおこり候ふか。
 故聖人の御物語に、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおはしけるなかに、おなじく御信心のひともすくなくおはしけるにこそ。親鸞、御同朋の御なかにして御相論のこと候ひけり。そのゆゑは、「善信が信心も聖人の御信心も一つなり」と仰せの候ひければ、勢観房・念仏房なんど申す御同朋達、もつてのほかにあらそひたまひて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と候ひければ、「聖人の御智慧・才覚ひろくおはしますに、一つならんと申さばこそひがごとならめ。往生の信心においては、まつたく異なることなし、ただ一つなり」と御返答ありけれども、なほ「いかでかその義あらん」といふ疑難ありければ、詮ずるところ、聖人の御まへにて自他の是非を定むべきにて、この子細を申しあげければ、法然聖人の仰せには、「源空が信心も、如来よりたまはりたる信心なり、善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と仰せ候ひしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候ふらんとおぼえ候ふ。

〔取意〕

 ここに掲げたさまざまな異義は、どれもみなそれを主張する人々の信心が親鸞聖人の真実の信心とは異なっていることから生じたものかと思われます。
 故聖人からうかがったお話に次のようなものがあります。法然聖人ご在世の頃、お弟子方は大勢おいでになったとはいえ、法然聖人・親鸞聖人と同じご信心の人は少なかったということでしょうか。親鸞聖人が同門のご朋輩との間で論争をなさったことがおありだったというのです。それというのも、親鸞聖人が、「この善信の信心も、法然聖人のご信心も同一のものである」と仰せになったところ、勢観房、念仏房などなどのご朋輩が意外なほど激しく反論なさって、「どうして法然聖人のご信心と善信房の信心が同一であるはずがあろうか」と申されたので、「法然聖人の深い智慧や広い学識に同一だと申すのなら、心得違いであろう。往生の正因である信心においては、少しも異なることはない。まったく同一である」とお答えになりました。それでもまだ、「どうしてそのようなことがあろうか」と非難されますので、結局のところ、法然聖人の面前でどちらが正しいか決着をつけようということになりました。ことの次第を申し上げたところ、法然聖人は、「この源空の信心も如来からたまわった信心であり、善信房の信心も如来よりたまわられた信心です。だからまったく同じ信心です。これとは別の信心でいらっしゃる人は、この源空が往生する浄土には間違っても往生はなさいますまい」と仰せになったということです。
  このことを思えば、今の専修念仏の人々の間でも、親鸞聖人のご信心とは異なっていらっしゃることがおありなって不思議ではないと思われます。

〔参考〕

・御同朋

 「御」は師である親鸞聖人の同朋ゆえの敬称。
 「同」も「朋」も「とも」の義。「朋」は同門・同師の義。ともに吉水の草庵に集って法然聖人を師と仰ぐ朋であるの意。同じく専修念仏の道を歩むものという意味の「同行」や、「善友」「親友」「善知識」(よきひと)に対す。

・善信

 善信房綽空がこの時期の名。法然・善信等の房号は日常的な呼称で、本人も他人も日常的に使う。これに対し源空・親鸞等の法名は師弟関係の象徴であり、諱号であって他人が呼ぶことは憚られた。本人が名乗ることは差し支えないが、居住まいを正した際の自称であったとみられる。「源空が信心」や、「親鸞におきては」などがそれである。

・親鸞

 「呼び捨て呼称」 唯円が自分の恩師に対する敬愛を示した言い方。この時代の慣例であった。「親鸞」は法然聖人の肖像画を許されたときに与えられた名。実際には、流罪以後、名乗られた名。

・もつてのほかにあらそい

 予想外に激しく論難して

・自他の是非

 あなたとわたしのどちらが正しく、どちらが間違っているか

〔私釈〕

 後記は三段に分かれる。歎異抄中ここまでの記述が、前序と、親鸞聖人から口伝の真実信心とは何であったかを明らかにする証文としての真信編前十条と、問題とすべき異義を批判した後八条とに分かれるのに対応している。
 後記の第一段は後八条の異義編に対応し、第二段は前十条の真信編に対応し、第三段は総序に対応していると見ることができる。
 後記の第一段の前半に当たるこの部分は、まず、法然門下における信心一異の争論を取り上げて、法然聖人ご在世の時から法然・親鸞両師の信心とは異なる人々が多かったことを示唆し、今日の親鸞門下の異義(後八条に挙げられた異義)も、全ては聖人とは信を異にするところから起こったものであることを指摘するものであり、中序において「上人のおほせにあらざる異義ども」と掲げたことの押さえとしている。