本文
そもそも、毎月両度の寄り合いの由来は何のためぞといふに、さらに他のことにあらず自身の往生極楽の信心獲得のためなるが故なり。しかれば往古より今にいたるまでも、毎月の寄り合いといふことは、何処にもこれありといへども、さらに信心の沙汰とては、かつてもってこれなし。殊に近年は何処にも寄り合いのときは、ただ酒・飯・茶なんどばかりにて、皆々退散せり。これは仏法の本意には然るべからざる次第なり。如何にも不信の面々は、一段の不審をもたてて、信心の有無を沙汰すべきところに、何の所詮もなく退散せしむる条、然るべからずおぼえ侍り。よくよく思案をめぐらすべきことなり。所詮、自今已後に於ひては不信の面々は相互いに信心の讃嘆あるべきこと肝要なり。
それ、当流の安心のおもむきといふは、あながちに我が身の罪障の深きによらず。ただ諸々諸々の雑行のこころをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへと、深くたのまん衆生をば、悉くたすけ給ふべきこと、さらに疑ひあるべからず。かくの如く心得たる人はまことに百即百生なるべきなり。この上には毎月の寄り合いを致しても、報恩謝徳のためと心得なば、これこそ真実の信心を具足せしめたる行者とも名づくべきものなり。
明応七年二月廿五日 書之
毎月両度講衆中へ
八十四歳
取意
(まず、毎月二度、二十五日と二十八日に寄り合いする慣習の目的は、各自が往生極楽を果たすための信心を獲得することにあったのだと示す)
そもそも、毎月元祖法然上人・宗祖親鸞聖人のご命日の二度にわたる寄り合いの始まった由来は何のためであったかといえば、決して他のことではありません。それぞれが自分自身の往生極楽疑いなしという信心を獲得するためでありました。
(次に、信心を問題は棚上げして、飲み食いだけに終始するありさまは間違ったことであると指摘する)
そうでありますからこそ昔から今まで、毎月の寄り合いということは何処でも行われて来たわけですが、肝心の信心についての話し合いはさっぱり行われて来ておりません。特に近年は何処でも寄り合いの際はただ酒・飯・茶などの飲み食いだけで解散する有り様です。これは仏法の本旨に背いたことです。どうあれ、信心を得ていない方々は、ことさらに問題提起でもして、信心の有る無しを論ずべきところであるのに、何の目的意識もなく、ただ時間が来たらお帰りになるということですが、そんなことでは駄目だと思われます。よくよく考えて頂かねばならないことです。
(さらには、今後は心掛けて信心の尊さについて語り合うことこそが肝要であると諭す)
結論をいえば、今より後は信心を得ていない皆様方はお互いに信心の大切さ尊 さを語り合われることが肝要でございます。
(ついては、信心とは何かを要約して示す)
そもそも、親鸞聖人のお伝えくださった安心の内容と申しますのは、我が身の罪障の重いことは決して問題にはならないのです。ただ、覚りに近づこうというさまざまの行き方を止めて、これより他はなかった、これこそただ一つの道と阿弥陀如来の仰せによろこんでお従い申し上げて、この一生を迷いの最後として後生には覚りを得させて頂くのでございますねと、深く確信する人をば、悉くおたすけ下さることはさらさら疑いようのないところであります。このように心得た人は、百人は百人ながらそのまま往生するでありましょう。
(最後に、毎月の寄り合いを報恩謝徳のためだ心得るならば、それこそ信心の行者であると励まして結ぶ)
この上は、毎月の寄り合いをするというのも、阿弥陀如来のお慈悲に応え、お力を世に示すためであると心得たならば、これこそが真実の信心を具えた念仏行者と名づけることができましょう。
まことにもったいないことでごさいます。謹んで申し上げた次第でごさいます。
明応七年二月二十五日 これを書く
毎月両度講中へ
(蓮如)八十四歳
参考
- 毎月両度
月に二度ということ。法然聖人のご命日の二十五日と、親鸞聖人のご命日の二十八日の二度、集いがもたれていたこと。 - 寄り合い
この時代、農業の先進地域において、力をつけた自作農たちによって各地に形成された惣村における会合。念仏の法座を兼ねたものとして各地に普及していたことがわかる。 - 信心獲得
五帖目第五通の「信心獲得の章」を参照。 - 往古より
昔からということ・信心の沙汰 信心についての話し合い - 酒飯茶
かっては庶民には手の届かなかった贅沢な飲食を、村人がこぞってするほどに暮らし向きが向上した時代であったことを知ることができる。庶民の時代の象徴といえるであろう。それに支えられて、蓮如上人の浄土真宗は、爆発的に広がり得たことが想像されるところである。 - 不信
未だ信心を得ていないこと。 - 不審
つまびらかでないこと、よくわからないこと、疑問に思うこと。 - 自今已後
今より後は - 讃嘆
その尊さを語り合うこと - 罪障
つみ・さわり - 百即百生
百人は百人ともに往生を遂げること。 - 報恩謝徳
如来の大慈悲(恩)と、願力の救い(徳)に対して感謝の念をもって応えること - 具足
身にそなえること、身につけること。
私釈
上人が生きられた時代の庶民の暮らしの一端がうかがわれる一章である。やがて、一向一揆が各地に起こり、加賀の国は「百姓の持ちたる国」となって、百年間も続く。その精神支柱が真宗念仏であり、報恩謝徳の念であったことは間違いなかろうが、しばし ば御法義棚上げの面もあったであろうことが想像される。武士の抑圧支配に対して、武力で対抗しても、村々の自治を守ろうとする一揆の動きを一貫して制止し続けた上人の立場には複雑なものがあったであろう。しかし、結局のところ何より優先すべきは、一人ひとりの信心獲得であるという確固たる思いがよく示されている。