人間であること

1999年 岡西法英

人間は生き物、苦悩の生き物

 仏法は何のために人の世に現れたのか、二千五百年前のインドの話ではありません。今ここにいる私は人間である。その人間であることの意味を明らかにしようとするのが仏法なのです。
 人間とは何か。人間はまず生き物です。生まれてきた。老いてゆく。病むことのある。そして必ず死ぬ。それが生き物です。折角生まれてきたのに、結局は死ぬというのではありません。生まれたものは死ぬ、その死んでいく命を引き継いで生きるために生まれてきたのでありましょう。
 現在地球上には五十億を越える人間が住んでいますが、そのうちの三分の二程の人々はキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の信者だそうです。これら三つの宗教が共通に持っているのが旧約聖書に書かれた天地創造の物語だと聞いています。随分前ですが映画にもなりました。
 それによれば、神はこの世界を作られた後で、自分の姿に似せて人間をお作りになった。最初は、土の塵をかき集めて息を吹き込み、人ひとりだけを作られ、エデンの園という楽園に住まわせ、次のように言われた。お前はここで好きな木の実をすきなだけ食べよ。ただし、善悪を知る木の実だけは食べてはならぬ。食べれば必ず死ぬと。
 この人アダムは神が作った全てのものに名をつけた。そして神はアダム一人では寂しかろうというので、もう一度アダムを眠らせ、脇腹の骨を一本取り出して、それで女を作られた。で、アダムは男ということになったわけです。
 エデンの森に住んでいた生き物の中で一番こざかしかったのは蛇であった。蛇は女を惑わせて、エデンの園の真ん中に生えた善悪を知る知恵の木の実を食べるように勧めた。「なーに大丈夫、死にはしないさ。お前たちがそれを食べれば知恵がついて神のように善悪がわかるようになるのを恐れているだけだ」と。女は美味しそうなその実を見てこれを食べればそんなに賢くなれるのかしらと思い、とうとうその実を取って食べ、夫のアダムにも食べさせた。途端に知恵の眼が開いて、二人は自分たちが裸であることに気づき、無花果の葉で前を覆い隠す腰巻きをつけるようになった。そして、神がやって来られると木の間に身を隠した。
 神は二人からことの次第を聞くと、罰を与えられた。蛇はどんなけものたちよりも呪われた存在として大地を這って歩き、末代までも全ての女たちから嫌われ危害を加えられるように、女は妊娠と出産の苦しみを背負い、夫に支配されように、そしてアダムは神に背いて禁断の木の実を食うことによって土を汚したが故に、罰として生えたいばらの大地から額に汗して働いて野菜を採って食べ、最後は死んでもとの土の塵に帰るようにさせられた。アダムはその妻をイブと名づけた。すべての生けるものの母となったからである。
そして二人はエデンの楽園を追い出された。失楽園とはこのことをいうのです。
 これによれば、人間は神に似せて神が作ったもので、もとは産んだり生まれたりするものではなかったというのです。それが、神に背いた。知恵を身につけてしまった。神から身を隠すようになった。その罰として人は死ぬようになった。だから、跡継ぎを女がお産の苦しみの中から生まなければならなくなった。人は生まれ、人は死ぬようになったというのです。

 男は妻子を養うために労働の辛さに耐えながら大地を耕し食べ物を得なければならなくなったというわけです。わたしたちはこのふたりの罪人の子孫である。二人が犯した罪こそ全ての罪悪の大本である原罪であるというのです。
 人が生まれ、老いて病んで死ぬのは罰であった。出産の苦しみも罰、労働の苦しみも罰であるということになります。キリスト教圏の女性が子を産みたがらず。給料よりも労働時間を短くすることに熱心なのもうなづけます。罰は少ないほどいいですからね。
 何の罰か、神に背いた罰。その中身は何か、知恵を身につけたこと。けものにはない知恵、しかし神の知恵とは違う神に背く知恵、要するに不完全で中途半端な知恵が災いのもとだということではないかと思います。
 これより先、ギリシャの人々は、話は全く違いますが共通点もある神話を持っていました。スフインクスにまつわる物語です。そうです。エジプトのピラミッドのそばのあれがスフインクスの像です。ギリシャ神話がエジプトに伝わったのですね。これも映画になりました。「アポロンの地獄」という題名でした。
 古代ギリシャの都市国家の一つテーバイの王ライオスはオリンポスの神のお告げによって、今度産まれてくる子が成長したならば、父を殺し母を妻とするであろうと知らされました。そこで、人に命じて殺させようとしました。その人はかわいそうになり子供の足を木の枝にくくり付けぶら下げたまま帰ってしまいました。これを見つけたひとりの百姓は、自分の主人の所へ連れていきました。そこでこの子は育てられて、オイデプスと名づけられました。そして歳月は流れ、オイデポスは青年になりました。そして彼自身もまた、成人式の後の神官からの神の告げとして、自分の恐ろしい運命を聞くのです。彼は今の育ての親しか知りません。ここにいてはならない。そんなことが起こらないようにと、旅に出たのでした。
 さて一方、ライオス王はただ一人の家来を連れただけで、デルポイの町へ出かけて行きました。そして、途中の狭い道の所で、一人の青年と出くわしました。道を譲れ譲らないのいさかいとなり、青年はライオス王と従者の二人とも切り殺してしまいました。その青年こそオイデポスその人だったのです。彼は知らずして父を殺してしまったのです。
 その後間もなく、テーバイの町はある化け物が国境の峠に出没するために他国との行き来が途絶えて難儀するようになりました。それがスフインクスという怪物で、身体はライオン、首から上は女でありました。それが峠に現れては通りがかりの人間を差し止め、謎をかけて、謎が解けなければ殺してしまうというわけです。誰も解けないで、みな殺されてしまいました。ところがオイデポスは解いてしまったのです。スフインクスは尋ねました。「朝には四つ足、昼には二本足、夕方には三本足となって歩くものは何だ」オイデポスは答えました。「それは人間だ。人間は子供の時はよつんばいで歩き、大きくなれば二本足で立って歩く。そして年寄れば杖をついて三本足で歩く」スフインクスは謎をとかれたのを恥じて身をなげて死にました。
 テーバイの人々は喜んで、彼を英雄として迎え、帰っては来ないライオス王にかえて、オイデポスを彼らの王とし、女王イオカステを妻として娶らせました。彼女はライオス王の妻だった人、つまりオイデポスの母だったのです。知らずして彼は母を妻としてしまいました。

 そしてこのことはずっと後になって、うち続く疫病と飢饉の原因は何かと神の告げを求めたとき、すべて明白になってしまったのです。オイデポスはもう何も見たくないと己の目をえぐりもう何も聞きたくないと己の耳を突いて、テーバイの地をさまよいました。悲惨な放浪のの果てにその生涯を終えたオイデポスに最後までつき従ったのは彼の娘であったということです。
 父を殺し母を妻とするという恐ろしい運命を背負ったのはオイデポス個人ですが、生まれ、成長し、そして老い,死ぬというのは万人共通に背負っている運命でした。自分の運命を知らされてもがき苦しんだオイデポスは万人共通の避けがたい運命をも見通すことができました。しかし、彼は知っていながらも、その運命からは逃れられませんでした。逃げようともがいても逃れられない運命を背負って、いのち終わるその日まで苦しみ悶えねばなりませんでした。人間であること、それは悲劇である。人間の苦悩は避けがたい運命であるということなのでしょう。半分人間、半分けもののスフインクスの姿そのものが人間とは何かという謎だったのです。
 運命を知る知恵はあっても、逃れる知恵は持たないのが人間であること。人間の知恵は中途半端なものでしかないこと。それこそが苦脳のもとだったということでしょう。

 人間は何故生まれ老い病み死ぬのか、そしてそれに苦しまねばならぬのか。神に対する反逆への罰だと、旧約聖書は言います。避けがたい運命であると、ギリシャ神話は教えます。では、仏法は何と説いているのでしょうか。釈尊は、自分が生き物であることに対する迷いである、ありのままに事実をみよ、本当の智慧の眼を開けとお説きになりました。 「世の中には三つの誤った考え方がある。ある人は、全ては神の意志によるという。またある人は、すべては生まれる前から決まった運命であるという。またある人は原因も結果もなく、すべては偶然であるという。これらの考えは誤りである。人間が努力する意味を見失わせるからである。どのようなものの見方をし、考え方をし、言い方をし、やり方をするか。どんな生き方をするか、それが問題なのである。勤め励んで、悔いのない精一杯の生きかたをするところに、生きることの尊さがあるのだ」ということを説いておられます。
 旧約聖書とギリシャ神話と仏法と、三者三様のようですが共通点もあります。人間であることが如何に厄介なことであるかということ、そしてそれは結局人間が中途半端な知恵の持ち主であるからだということです。その中途半端な知恵を転換して、本当の智慧を開こう、人間であることに光あらしめようというのが仏法だったのですね。

 人間は生き物です。そして自分が生き物であることを持て余して悩む生き物です。生き物であることは、生まれ、老い、病み、死ぬこと。しかし人間は、その老いを悲しみ、病を憎み、死を恐れ、別れを嘆かずにはいられません。つまりは、自分が生き物であるそのことを呪わずにはいられない変な生き物なのです。
 どんなに幸せな人も未来に不安のない人はいません。先のことはどうなるかわかりません。そしてその不安は必ず当たります。現実となるのです。若かった者は必ず老いる。健やかだったものも衰え、病む。そして必ず全てを失い、全てと別れる時が来る。死ぬのです。どんな幸福も、初めから、やがては失うと決まった幸福でしかありません。

 どれほどの幸運な人生も苦悩の人生であることには変わりはなかったのです。考えて見ますと、私たちは喜び楽しみ安らぎよりもずっと多くの悩み苦しみ悲しみを感じるようにできているようです。痛くて何日も満足に寝られなかったとか、心配で何週間も仕事が手に付かなかったとか、悲しくてご飯も喉を通らない日が続いたとかいうことはよく耳にします。しかし、嬉しくて何日も眠れないほどだったとか、楽しくて何週間も我を忘れただとか、気持ち良くて一日中ぼおっとしていたとかいう話はおとぎ話以外はあまり聞きません。美味しいものも毎日食べれば飽きてきて嫌になります。では不味いものも毎日食べれば不味くなくなるか。なりませんね。苦しみは次から次へとやってきます。そしてなかなか消えません。たのしみは次から次へとやってくることはありません。来たと思えばすぐ消えてしまいます。
 何故なのでしょうか。私はこうではないかと考えています。楽しみや喜びはなくても生きていけるが、痛み苦しみがなくては生きていけないからではないかと。もっとも、よろこび・楽しみ・安らぎがなければ生きていても味気ないですね。よろこび楽しみ・安らぎは人生に、励みとゆとりと味わい、そして華やぎと勇気を与えるものだと思います。両方あってこそ自然にいのちと健康が保たれるということになるのでしょう。
 温度が上がり過ぎれば暑い。下がりすぎれば寒い。食べないでいれば空腹にさいなまれる。食べすぎれば苦しい。動きすぎればしんどい。眠らなければつらい。どこかに病気や怪我でもあれば痛んだり疼いたりする。一方、暑いときの氷水はうまい。寒いときの入浴はけっこうだ。腹が減ったときはただのおにぎりもごちそうです。肩の凝ったときはマッサージがなにより気持ちのよいものです。
 人間の体の健康を保っていのちを支えるのはなかなか微妙で複雑な調節が必要ですね。身体中にさまざまな探知機、信号機をはりめぐらしてあって、それがいのちをまもるバリアーの役目を果しているわけでしょう。
 癌という病気の怖い点は、最初は痛くないといことにあります。痛いとかだるいとか言って、「先生、わたし癌じゃないでしょうか」というのはほとんど癌じゃない証拠だというお医者さんのお話を聞いたことがあります。痛くはないが、出血がある。痛くも痒くもないがしこりや腫れ物があるというのが危険だというのです。実際に痛くなった頃にはもう手遅れのことが多いというのです。ですから、わたしは思うんです。いろいろな癌を治すためのさまざまな薬を作るより。これを日頃から飲んでいれば、癌ができたらぎりぎりとはげしく痛むという薬を発明した方が早いと。そうすれば、みんな早期発見、早期治療で大丈夫ではないか。どんな良い治療法が開発されても、油断して手遅れになる人は多いに違いありません。治療より痛いことの方が先ではないかと思うのです。病気があるのに健康だと思い込んでいることほど恐ろしいことはありませんね。
 深い迷いを抱えながら、自分はまともだと思っていることほど恐ろしいことはないということにもなるのでしょう。
 とにかく暑い寒いだるい痛いと感じる神経が通っているということは大事なことです。いちいち頭で考えていたのではとても手がまわらないわけです。
 まさしくわたしたちのいのちは苦痛というバリアーで守られ、快適というバロメーターで調節されていたわけです。

 そしてこのことは、どうも体のことだけではないようです。 こころの面でいえば、将来に対する不安がある。だから、人はそれに備えることを学びます。努力します。どんな結果になっても悔いることのないようにと、精一杯今を努めることこそが心を安んじて前にすすむ道ですね。
 やり場のない悲しみに出会う。その自分自身の悲しみを通してはじめて、人の気持ちを思いやることもできるようになるのではないでしょうか。そして、人を思いやることをおぼえてはじめて、今までずっと人から思いやられて支えられてきた自分だったことに気がつくのです。感謝とよろこびを知ります。
 苦しみあってこそ、耐え忍ぶこと、助け合うよろこび、のりこえる楽しみを学んでいくのだと思います。
 悩むからこそ何が本当か、何が大事か、どう受け止めていけばよいかを考えます。そこから生きることを楽しむ知恵がわいてきます。
 そして、すべては過ぎ去る。我が身も滅ぶ。二度とない今日なのにこれでよいのだろうかと煩悶するとき、人は耳を開いて道を聞こうとします。先人の英知をたずねることを学びます。そして生涯かけての願いが生まれることもあるでしょう。目標を持って生きるようになることもあるかもしれません。
 このように考えたとき、人間は憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悶えによって育てられていくものなのだなあと思わずにいられません。それと同時に苦しみ悩みのないところに喜び・楽しみ・安らぎ・生き甲斐があるのではなくて、苦しみ悩みが発酵して喜びとなり楽しみとなり、安らぎとなるのではないかと思えてくるのです。
 そして逆にいえば、喜びや楽しみも、忍耐や努力、人への思いやりや目標を失うとだんだんと腐敗して、退屈・しらけ・虚しさ・もの足らなさになってしまうのではないかと思うのです。

意識転換を与えるのが仏法

 実際には、前向きに転換してゆくことが難しいのが現実の私たちです。将来に不安があるとかえって落ちついて今を精一杯に生きることが難しいのです。たとえば明日死ぬかも知れないと思うと、自分を見失ってしまい、最後の一日だから悔いのない一日にしょうとは思えない。こころは乱れ迷って冷静に現実を見つめることはできないでしょう。
 悲しい目に遇いますと、こころふさいで何故わたしが、わたしばかりがと自分の殻に閉じこもってしまい、人の気持ちを思いやる余裕などなくしがちです。
 苦しい時は助け合うどころか、なりふりかまわず自分のことしか考えられなくなりがちです。
 悩みに閉ざされると人の忠告もなかなか耳には入りません。思い過ごしとひとり相撲に落ち込んで、見えるものも見えなくなることが多いものです。
 そして、自分が死ぬのだと思うとき、すべてが空しく無意味にしか見えなくなりやすいのが私たちのすがたではないでしょうか。

 著者の名も、載っていた雑誌の名も忘れてしまいましたが、心に残っている一文があります。

 わが家の庭もすっかり冬枯れのある日、庭を掃除して掃き集めた落ち葉に火をつけて焚き火をした。
 数日前から小春日和が続いていたせいで、よく乾いていたからあろう。よく燃える。手をかざすと、ああ、あったかい。あかあかと燃える枯れ葉を見ていて、はっとした。こんな朽ち果てた枯れ葉がこんなにあかあかと燃えてわたしの手を熱いほどに温める。
 木の枝に青々と繁っている青葉ならいざしらず、すっかり褐色のまだらに枯れ果てて大地に散り敷いた枯れ葉にも、こんなにあかあかと熱く燃えるいのちがひそんでいたのか。わたしは、いのちの不思議な力に大きな感動を覚えずにはいられなかった。
 こういう文章です。細かい点は記憶違いもあるかも知れませんがお許し下さい。
 枯れ葉だって火をつければ燃える。いや、枯れ葉だからこそ火さえつければあかあかと熱く燃えるのです。あかあかと燃える炎の熱も光も枯れ葉のいのちのあかしです。光は燃える炎の放つもの、炎はいのちが燃えて発するものです。
しかし、火をつけられなければ、枯れ葉は燃えません。枯れ葉にひそむいのちもただ朽ち果ててゆくだけです。
 人間にとって生きるあかしともいうべき憂い悲しみ苦しみ悩み悶えではありますが、そのままでは忍耐努力・思いやり・助け合い・知恵・目標を生み出すことにつながらず、喜び楽しみ安らぎを醸し出すことはできないかも知れません。そこには、何か火付け役になる発想の転換が必要なのです。それを教えて下さるのが仏法であると思います。

人間こそ大宇宙の珠玉

 「人身受け難し。今すでに受く。仏法聞き難し。今すでに聞く。この身、今生に向かって度せずんば、さらに何れの生に向かってかこの身を度せん」どんな聖典にも最初の方に出ている『礼讃文』のことばです。
 人間に生まれたことほど大きな幸せはなかった。そしてその人間に生まれたことの不思議さ尊さに気づかないわたくしに、気づかせて下さる仏法があった。それを聞くことができたことは驚くべき幸運である。この一生のうちに迷いを越えて、不滅の真実に遇わなかったら、何時、何に生まれたときに真実に出遇おうというのか。こんな意味だろうと思います。
 人間はいのちに苦悩する生き物なのです。しかし、いのちに苦悩する人間は、ただの生き物ではありません。いのちを知る生き物いのちを知るいのちなのです。いのちを知るからこそ悩む生き物なのです。生まれようと思って生まれてきたいのちじゃない。だから老いようと思わないのに老いていく。病を願うことなどないのに病む、逃げようとして逃げられないのが死です。我がいのちでありながら、我が意のままにならないのがこのいのちですね。しかし、一人一人の自分の命は短いけれど、長い長い大宇宙の歴史の中に不思議にも誕生した地球上の生命の歴史、重ねられてきた数知れぬいのちの営み、そのいのちの歴史を今ここに引き継いで生きている重い存在です。
 いのちを知るいのちである人間ひとり一人、それは大宇宙が生んだまなこ、大宇宙に開いた耳、大宇宙に生じたこころ、大宇宙に芽生えた知恵です。まさしく一人一人の人間こそ大宇宙の輝く宝石であり、地球上の生物三千万種類の中に誕生したいのちの中の花ではないでしょうか。

 考えてみれば、人間に生まれたということほどすごいことはなかったのです。その人間どうしの間で人と自分を比べて、小さな違いを見つけては上だ下だとこだわることほど愚かなことはなかったのではないでしょうか。お互いが人間に生まれ合わせたことほど、驚くべきことがありましょうか。
 老病死に苦悩することは誰もが経験します。一方、限りあるいのちの中に限りない輝きを見いだし、自他のいのちを輝かす道を見いだすことは、先人の深い智慧に学ばなければできないことです。その意味では私たちの持ち前の知恵は、中途半端な知恵です。いのちに悩むことはできても安らぎ喜ぶことのできない智恵です。他人は見えても自分は見えない智恵、いや自分さえも見えない故に他人も本当は見えていないおろそかな智恵でしかありません。
 本当の智慧、あらゆるいのちを輝かす智慧、それが自己との果てしない苦闘の末、釈尊が体得された「さとり」でした。
 いのち故の苦悩を越えて、いやいのち故の苦悩を通して、いのちの限りない輝きを見いだすことこそ仏法のテーマでした。そして人間に生まれた以上、誰でもが背負っている宿題でもあったのです。
 苦しみ悩みから逃げてはならなかったのです。苦しみ悩みから逃げることは、生き物であること、人間であることから逃げることでした。喜びやすらぎの原料を捨てることだったのです。幸せであろうとして、私ははますます不幸のなかへ逃げ込んでいこうとしていたのです。「占いやまじないは人を不幸にする。近づいてはならない」と教えられてきた意味がはっきりわかったような気がします。

言葉によっていのちに目覚めた

 さて、それでは何故人間だけがいのちに目覚めたのでしょうか。わたしは、言葉というものによってであると思うのです。言葉がなければ、自分が生まれてきた身であることはわからないでしょう。この人が親であり、祖父祖母であり、そのまた前にはといのちの系譜のあることは意識できないのではないでしょうか。生まれてきた、生きている、そして死ぬとはいいますけれども、私たちは、今自分が誕生したという覚えはありません。そして、今わたしは死んだと自覚することはできませんね。実は、自分自身のことでありながら、確かに生まれたのであり、死ぬのではありますが、私自身それを体験できないのが、誕生と死です。物心のついたときには、既に生まれていたのであり、死んだときには既に意識はないのです。私達の体験できるのは物心のついてから、意識を失うまでの間だけにすぎません。誕生も死も、自分としては体験できないのです。言葉によって想像し、考えているのです。
 人類は何時ごろ地球上に登場したのか、興味のあるところです。二百万年前とも三百万年前からともいわれているようです。人類と類人猿との違いは何か。立って歩くこと、火を使うこと、道具を作ることだといいます。ですから、骨の形から立って歩いていたとわかれば、これは人類、火を使った形跡があれば人類、どんなに原始的でも道具がそばから見つかれば人類ということのようです。そして、死者を葬った形跡があれば、これは紛れもなく人類です。言葉を持ち、親子兄弟という観念を持ち、家族をなしていた証拠です。
 産んで育ててきた親は、これは自分が産んだ子だということはわかっていても、子供の方は、物心がつくまでのことは知りません。産んでもらったことも、それまで育てられてきたことも、聞かなければわからないことです。ですから、言葉がなければ親子関係というのは成り立たない面があることがわかります。子供が親の世話をするのは人間だけの特徴です。親孝行の孝という字は、老人の老という字を子という字の上につけて、年老いた親を子が背負っている姿をあらわすのだと辞書には書いてあります。古代の中国人が孝ということこそ人間道徳の根本だと考えたのももっともです。それが人類と他の動物を分ける決定的な違いだと見たからでしょう。しかしそのもとは、言葉を持つということにあったといえないでしょうか。人は言葉によって、親兄弟・祖先を知り、言葉によって自分の誕生と死を知り、言葉によって、いのちということに目覚めたのではないかと思います。 立って歩くこと、火を使うこと道具を作ることは、確かに人間の特徴に違いありませんが、それはただ動物として生きるための技術に過ぎないと言えるかも知れません。しかしことばを持つようになった。誕生と死を知った。聞いて考えるようになった。これは他の生き物と決定的に違う生き物が現れたということです。
 言葉は単に人間がつかう道具や手段ではありません。確かに意思伝達の手段として、ものに名をつけ、言葉を使うということがあります。しかし一面、親から言葉によって名乗られ、語りかけられ、やがて言葉に目覚めて人間になってきたということがあります。言葉は人間を呼び覚ますもの、人間を人間にするものであるという一面があります。
 仏法は釈尊の覚りが言葉になったもの、わたくしたちを呼び覚まして人間であることの意味に目覚めさせるものだということだったと思うのです。
 言葉によっていのちに目覚めた人間は過去未来現在という時の観念を持ちました。そしてそこに現在を作り上げた過去、現在が作ろうとしている未来という因果関係を見て、現在の生きかたを考えるようになりました。過去を振り返り、未来を想像しながら現在の生き方を選ぶのが人間だということです。

人生は不可解

 記憶喪失になった人を題材にしたドラマが流行ったことがありました。それを見ていて気づいたことがあります。過去を失ったら、現在をも見失う。現在の中身が空になる。現在の意味がわからなくなる。「私は何者。ここはどこ。何故私はここに。これから何をするはずだったのやら。これからどうして、何のために私は生きるのか」と、向かうべき未来も失ってしまいます。過去とは現在を構成している内容であり、未来は現在がまさにそこに向かおうとしている現在の方向のことだということです。「過去未来現在」という言葉が経典に出てきます。「過去を内容とし、未来に向かう現在」と いう見方が示されているのではないかと思われます。
 しかし、もう少し踏み込んで考えますと、私たちは過去の全てを知っているわけではありませんし、おぼえているわけでもありません。そもそも見損ないや聞き違い、思い違いをため込んできただけかも知れません。また、おぼえていることを全て思い出すわけでもありません。ですから、私たちが現在と思っているものも案外あいまいで不確かなものだということになります。

 そして、未来はどうなるかわかりませんが、死ぬということだけは確かです。だからといって死ぬために生きているのではありません。未来のために現在があるのではありません。明日のために今日があるのではありませんね。老後のために青春があるのではなく、大人になるために子どもがいるわけではないのです。かけがえのない今日を生きるのです。明日はどうあろうと悔いることのない、輝ける今日でなくてはならなかったわけです。今日を明日のための手段にしてはなりませんね。今日そのものが尊い、かけがえがないいのちの時なのです。
 「死んだらおしまい、何も残らない」「人は死ねばごみになる」こんなことを言う人があります。「死んでも魂は残る」という人がいるものですから、それに対する反発なのでしょうか。或いは、死というものを憎むあまりの嘆きの言葉でしょうか。考えてみれば、死んでも魂が残るといういうのも、ずいぶんこだわった言い方ですね。よっぽど、死というものを素直に受け入れられないのでしょう。どちらも、死とういう避けがたい現実に対する拒絶反応ではないでしょうか。
 「死」というものが何か実体としてあるわけではありません。「死の世界」というものがあるのでもありません。生きていたものが、もはや生きていなくなっただけのことです。生まれてきた。生きているということが、不思議なこと、全く特別のことであって、生まれてこないこと、生きていたものもやがては死んでしまっていなくなることは、何の不思議もない当然のことです。
 生きているためには、数知れないほどの条件要素が揃っていなければなりませんが。死ぬのには、何の造作も要りません。コンピューター、作るは困難こわすは簡単、猿でもできる、熊でもできる、大事にしててもそのうち壊れる。人間のいのちもそうですね。
 月にも火星にもそして太陽系のどの惑星にも、あるいは宇宙に存在する数知れぬ惑星にも、生き物がいなくて当たり前で何の不思議もないことです。むしろ、この地球上にどうして生命が誕生したのか、そしてわずか四十億年ほどの間にどうして三千万種類もの多くの種類ができたのか、どうして人類が登場してきたのかが不思議なのではないでしょうか。そしてこのわたしが人間に生まれてきた。ここにいる。何という不思議でしょうか。わたしが生まれる前には、無限ともいうべき長い長い時間があったわけでしょう。そして、わたしが死んだ後、また永遠の時が流れて行くに違いありません。無限の時間の中にほんのひとときの、一瞬の輝きにも似たいのちなのでありましょう。今生きているということこそ、まばゆいほどの大不思議ではありませんか。無限の時間の中の五十年や百年の寿命は、長いとか短いとかいうべきものではなかったのかも知れません。百年生きても長くはない。十年の寿命も短くはない。与えられたいのちの不思議に目覚めるかどうか、それこそが問題なのではないでしょうか。
 「人は死ねばごみになる」それは変です。生きている人間はごみの本なのでしょうか。 釈尊の生涯もわずか八十年、しかし二千数百年の歳月を越えて、今も人々のこころの灯火として燃えつづけている不滅の八十年でした。親鸞聖人や蓮如上人が世にあらわれたのも、我が家に仏壇があるのも、私達が手に数珠を持っているのも、今日ここに集まったのも、二千数百年前に生きられた釈尊のいのちが今もはたらき続けていて下さる証です。今も、生きていらっしゃると思うからこそ、お釈迦様の誕生日、花祭りのお祝いがある。親鸞さまの誕生祝い、降誕会を営むわけで、誰が、死んだ人の誕生日などするものですか。
 釈尊の限りある八十年のいのち、その一歩一歩が永遠なるいのちの輝きであったということです。わたしたちも死んだら終いの人生を歩いてはならないよと呼びかけられているだと思います。

 明日は明日の風が吹く」という題のドラマがありました。今日さえよければというのんきな考えかと、そのころは思っていましたが、今思うと、「悔いのない今日を精一杯生きよう。それが、明日はどんな風の吹く明日であろうと、明日もまた精一杯の明日にする道だ」という意味だったようです。
 思い違いの山でできたあやふやな現在を、明日はあしたはと、明日を追いかけながら生きて算用ちがいの死に方をするというのでは残念ですね。
 でも、そんなあやふやな私がどうやって輝ける今日を生きるなどということができるのでしょうか。難問です。
 「人生やり直しはきかないが見直しはできる」といった人があります。過去というものはもう固まってしまったものと思いがちですが、「子を持って知る親の恩」ということばがあるように、その時はわからなかったが、現在に至ってはじめて見えてくる過去の事実の意味というものがあると思います。過去を丁寧に掘り起こすことで現在が違ったものとして受け止められてくる。今あることの尊さということはそういうことではないかと思います。
 中国の高僧曇鸞というひとが「蝉やひぐらしは春も秋も知らない。この虫がどうして夏を知っているはずがあろう」ということを仰っています。蝉は夏の盛りを生きながら夏ということを知りません。春を知り、秋を知る人間は、まだ鳴かぬ先からやがて蝉が鳴きだすことを知っています。しきりに鳴いているさなかにも鳴き声がもうすぐやんでしまうことを見通しています。蝉の命のはかなさを知っています。物心がついてから意識を失うまでの現世しか知らないわたし。しかも短い人生の中のわずかな経験と知識で、見落とし聞き間違いだらけのものさしでしか自分の人生を受け取っていないわたし。生まれる前も、死んだ後も見ることのできないわたしは、実は自分の人生の意味もわかるはずがないのかも知れません。
 本当にその意味を知るのは、久遠のいにしえ以来のあらゆるいのちの歴史、目には見えない迷いと苦悩の果てしない過去を知り通し、このいのちの帰する先をも見通したもう如来さまの智慧の眼より他ないのでありましょう。

人間であることの意味

 幸いなことに、私たちはその如来の智慧を教えとして聞くことができます。如来がお知りになるように知ることはできようはずもありませんが、このわたくしにかけられた如来の底無しの慈悲、果てしない願いを聞かせていただくとき、わかった知ったというのではなく、我が思いを越えた重く尊いいのちが広大無辺なるものの中に確かに抱かれているとうなづかせて頂くのです。
 福井の永平寺をお開きになったのは道元禅師です。その道元禅師の書かれた書物から、こんなことを教わりました。

 海の真ん中へ出てみると、海はただ丸く見える。だが、海が丸いわけではない。我々の目の届く範囲がただ丸く見えているだけである。その丸く見えているさらに向こうに海は果てしなく広がっていると知らなくてはならない。海は大きすぎてその姿は見えないのである。確かなことは、今わたしがその海の中にいるということだけである。
 まさにそのように、仏法は広大過ぎて我々の理解を越えている。われわれの理解したものが仏法だなどと思ってはならない。経験を積んでも積んでも、知識が増えても増えても腹は立つし、欲は深いし、愚痴も多いことは、幾つ何十になっても一向に治らない。そんなおろそかなわたしの智慧で、そんなさもしいわたしの心でわかるものは仏法ではない。ちっぽけなわたしの心にはおさまる筈のない果てしなく大きな真実、そして悲しいわたしが確かにその中にいる。わたしを抱いていて下さる確かな世界。わからないからといって心配しなくてもよい、納得できなくても疑う必要のない大きなまこと、それが仏法だったということを教わったのです。
 人間であることの意味は人間の智慧で明らかになるものではありませんでした。如来のみこころを聞く中に尋ねるべきもの、うなづきよろこぶべきものであったのです。