1 山よりでかい獅子は出ぬ
「山よりでかい獅子は出ぬ」ということわざがあります。むやみな心配はするな、全力であたる心構えさえあれば道は開けるものだという意味でしょう。
人は自分の器量以上のことを、考えられないものです。喜びも悲しみも苦しみも楽しみも自分の分に応じた形で受け止めるのであって、自分なりに生きる道はどこにでも探せば見つけられるはずです。
獅子にとって、山は大きく、行く場所が尽きることはないのです。
2 正面突破
人間関係の行き詰まりほど悩ましいものはありません。どうしてよいかわからないために、もやもやとこじれる方へばかり展開しがちです。しかし、所詮は相手も自分も人間なのです。お互いの気持ちを理解し合うより他に道はないのですから、まず自分から相手の思いを尋ね、自分の考えを率直に語るより他の手があるはずがありません。
正面突破だけが解決の道です。ともかく、自分の方から。
3 のどもと過ぎれば
のどもと過ぎれば熱さを忘れるといいます。その時は堪えがたい苦しみと感ずることも、時間がたてば、何時の間にか慣れてさほどに思わなくなることがあります。
ある時は、もう駄目だと思っても、後でふりかえれば大したことでもなかったということもあります。自分の感情を持て余しての問題は、時が解決してくれることが多いようです。
誰にでも、本人が思う以上の対応力が秘められているということでしょうか。
4 転んで大地あるを知る
転んで、痛さとともに、自分が大地の上にいたことを発見するように、失敗や挫折を通して、今まで気もつかなかった大切なものに気づくということがあります。
人は、目指すものに気を取られて、自分を支えている大きなものに、なかなか目を向けようとはしないものです。
転んでも、また立ち上がる支えとなる大地がここにあったと見つけられれば大収穫でしょう。
5 寒さに震えて血の熱さを知る
寒さに震えるのは、体の中を温かい血が流れている証拠です。寒さを憎まず、体をいとおしんで温かく守ることが大切です。
西郷隆盛は、南海の離島に流されて不遇をかこったことがありました。その経験から、「天を恨まず、人を憎まず」ということを学んだといいます。そしてしばしば揮毫したのが「敬天愛人」という自戒の語だというのです。
6 ピンチはチャンス
失敗は成功のもととは昔から聞く言葉ですが、近頃、ピンチこそチャンスだという言い方に時々出会います。なるほどピンチそのものがチャンスかと、うなづかされます。
ピンチでなければ、現実を直視しようと、見方を変え、行き方を変え、全力で当たるということはないからでしょう。中国の諺にも「窮して変じ、変じて通ず」というのがあります。
逆に、順調すぎて状況を見失うならば、成功が失敗のもとになることもあるのではないでしょうか。
7 失敗だから学べる
何故、失敗は成功のもとなのでしょうか。それが前向きのチャレンジゆえの失敗だったからでしょう。単なる受け身だけの姿勢からは、不運や災難としか言わないところではないでしょうか。
失敗できるのはチャレンジャーだからです。チャレンジをやめないかぎり、失敗は、単なる失敗に終わることはなく、意義ある試みであり、実験であり、将来への足がかりとなるということだと思います。しっかり過去を踏んで前へ、それが鍵でしょう。
8 苦痛は命のバリアー
苦しむことが好きな人はいません。しかし、温度が上がれば暑く、下がれば寒く、食べなければひもじく、動きすぎればつらく、病あれば痛いからこそ、おのずと調整することになり身体のバランスが保たれているのです。
苦痛は、そのままではいけないという命の信号です。健康状態を監視するバリアーです。酒や鎮痛剤で麻痺させてばかりは危険です。
9 身体の中で工事の音
手術後の病院のベッドで一晩中痛みで眠れなかったあるおばぁちゃん。「ありがたいことです。夜通しトンテンカンテンと身体のなかで工事の音がいたしまして」と言われたそうです。
願いに反してこの苦痛、と思わずに、願わざるにやむことなくはたらく我が生命の営みの不思議さよと受けとめたところが素晴らしいと思います。今日のいのちこそ授かり物。そう教えられました。
10 無常の風
将来に不安のない人はないでしょう。老いは確実に、そして病と死は何時襲ってくるか分からないのですから。
風のようにと譬えて、無常の風と言い習わしたのは見事というほかはありません。風そのものは見えません。しかし靡く草木のすがたや、ひゅうひゅうとなる梢や電線の音で風を知るのです。人の老い・病み・死ぬ姿や家族友人の悲しみ嘆く声で、私もまたその無常の風の中にいることを知るのです。
11 そなえあれば憂いなし
そなえあれば憂いなしといいます。将来に不安があることを見て、今から勤め励むならば、憂えることはないということでしょう。無常の身であるからこそ、老いに備え、病に備え、死に備えよう。ではどうすることがそなえることなのか、それが問題です。
わが心を越えた大いなる如来の願いを聞きつつ、今の一歩一歩を精一杯に生きよう。それが南无阿弥陀佛の道、憂いなき道であると聞かせて頂きました。
12 悲しみの中から
悲しみと寂しさはひたひたと静かに満ちてきて引くことのない潮のごとく、あらゆる感情の底辺に広がるもののようです。
それは、現実に対する拒絶反応としての感情ではなく、現実を受容したところから起こる感情だともいえるかもしれません。だからこそ歳月を経ても消えることがないのでしょう。突然愛するものの死に直面した当初は、混乱と当惑、怒りにも似た嘆きが先に出て、悲しむ余裕もないことが多いようです。
この悲しみが、如来の大悲を知り、慈悲心を生むのだと教わりました。
13 心の奥からの信号
肉体的苦痛が命からの危険信号であるように、憂い悲しみ苦しみ悩みもまた、心の奥からの信号ではないのでしょうか。
このままのものの見方・生きかたでは当て外れの空しい人生になってしまいますよ。誰かに相談なさい、方向転換が必要です。遠い過去からの数知れぬ先人から学びなさい。先人の心の歴史が刻まれたすぐれた教えがあるではありませんか。そう呼びかけているのではないでしょうか。
14 腹が立つのは期待と信頼のしるし
まったく無関心な他人なら「そういう人か」と見過ごすところを、「なぜ黙っている」「腹は立たんのか」「なぜ殴ってやらん」「他人じゃなかろう」という友がいます。腹が立つのは期待と信頼のしるしだったと学びました。
夫婦喧嘩や親子喧嘩は、見ようによっては、うらやましいものなのではないでしょうか。友達だからこそ言う悪口もあります。人間は何と自在にコミュニケーションを図ることでしょう。だから受け取る方も、もっと自在にいきたいものです。
15 叱られるが花
いくら言っても無駄だ、見込みがないと思われたら、もう誰も叱ってはくれないぞと聞かされました。愛情、とまではいかなくても少なくともなにがしかの期待あればこそ言いたくないことも言って下さるのだと受け止めなさいということでしょう。
そういえば亡き父にいちいちよく叱られました。うるさいと思いましたが、今はなつかしいばかりです。
ある年になると、滅多に叱ってくれる人はいなくなります。叱られるうちが花だという言葉が近頃身にしみます。
16 わからないから安心
仏法を聞いて、私の知恵ではわからない程大きくて確かな世界があったことを知りました。
思ってみれば、「隣で蔵建てば、うちでは腹が立つ」ようなちっぽけな心でわかるようなものは、真実でも仏法でもなかったわけです。経験を積み、知識をたくわえ、白髪頭になるまで生きて、知っても知っても、わかってもわかっても、自己中心的で悩みも迷いも尽きない私でした。
わたしがついているから、わからなくてもいいんだよと 呼んで下さる南无阿弥陀佛でした。
17 癒される
より深い悲しみに出会って癒され、より大きな苦しみを知って励まされるということがあります。
まさにそのようにして、釈尊の弟子となった尼僧たちの告白を集めたのが『テーリガータ』という経典です。『尼僧の告白』という題で文庫本になっています。釈尊の胸に湛えられた悲しみとはどんなものであったのでしょう。「如来の大悲」という言葉の深さを思います。『聖書』のイエスの言葉にも、同じような感銘を受けました。
18 人倫の弄言を恥じず
悪事千里を走るといい、また一方、人の噂も七十五日といいます。悪い噂はたちまち広まるが、消えるのもまた早いということでしょうか。
「世人の無実の風聞など気にすることなし」と言い切られたのは親鸞聖人です。そこには、大いなる真実への帰依という支えがあったからです。そして、法然聖人・親鸞聖人への誹謗の声は忘れ去られ、お二人の万人へのメッセージは消えることなく残りました。
19 我がものに悩む
親あれば親に、妻あれば妻に、子あれば子に悩み、子なければ、子ないゆえに、妻なければ、妻ないゆえに愁えて、あるにつけ、ないにつけ悩みはつきないのが私たち凡夫の姿ではないでしょうか。
我がものという思いこそ煩いのもとと仏陀は説かれました。我が身一つも意のままにはならぬではないかとのお諭しでありましょう。ありのままを受け入れて大切にするより他にないと腹をくくりたいものです。
20 悪口は八割引
他人の悪口は八割引で聞いておけば丁度よく、逆に褒める話は百パーセントで受け取るのがよいように思います。
悪口は、悪く言われている人の方にではなく、悪口を言っている本人の方に悪口を言わねばならない事情があることが多いように思われるからです。逆に、褒め言葉の方は、まずほとんどが褒められている本人の人徳に基づくものと思われます。
他人の悪口に惑わされて、かけがえのない出会いを失わうこと程大きな損失はないのではないでしょうか。
21 強くはなれなくても大きくはなれる
気の弱い私はどうしたって気が強い人間にはなれません。しかし、見方、受けとめ方がより広くなることで、強くはなれなくても大きく構え、受けとることはできるはずです。 役に立つのは、大きな受けとめ方をする人の意見を聞かせてもらうことです。書物から学ぶことも多いのですが、人から学ぶものの方がずっと大きいのではないかと思います。よき友、よき先達こそ堂々と生きるための鎧であり楯ではないでしょうか。
22 ままになる人はいない
人もうらやむほど順風満帆、幸せに満ちているように思われる人は少なからずいらっしゃいます。けれども、その人達は何でも思うままになっているのかといえば、決してそうではないでしょう。ままならない人生であることは他の人と変わらないはずです。
今まで幸いに順調に来たからといっても、これから先どんな不運苦難に出会うかわかりません。老いと病と死、愛別離苦を避ける術はないのです。
ままならないのが人生でした。だから誰もが如来の救いの目当てであり、人からの思いやりを必要としていたのです。
23 取り越し苦労
「昨日へもどってやり直してくるわけにはいかないし、明日へ先回りして問題を済ませてくるわけにもいかないのですから、食事中にものを考えるのはやめなさい」
若い頃、胃腸科のお医者さんに言われました。なるほどと感服したものです。「明日を憂えることなかれ。明日は未だ来たらぬ」という釈尊の教えの通りでした。
前もってあれこれわずらい悩むことを取り越し苦労というのですが、裏をかえせば、「今できることを、今せよ」ということですね。
24 やりなおしはできないが
金子大栄という先生が、「やり直しはできないが、見直しはできる」と言われたそうです。
過去に対する見方、受けとめ方が変われば、今から、これからが変えられる。過去は変えられない。変えられなくてもいい。過去をどう受けとめ、過去から何を学ぶか、どんな未来を開こうとするのかこそが勝負所だということでしょう。
日中・日韓関係において歴史認識が問題になっていることもうなづけます。過去の歴史は水に流すべきものでも讃美すべきものでもなく、未来の扉を開くための鍵なのでしょう。
25 何が一番大事かに立ち戻る
どうしてよいかわからない時は、まずは誰かに相談してみることですが、相談のしてみようのない場合もあります。どこまでいっても答えが出ないからこそ悩むということもあります。
そんな時は、自分にとって何が一番大事かということに立ち戻って考えてみると自分なりの方針が見えてくることもあります。とかく結果や人の評価ばかりを先取りして考えて、自分でつまづいてしまうことが多いものです。
26 今日一日に集中して
最終目標に気をとられず、次の一歩に目をつけよというのは先人たちが多く示唆しているところです。「遠く命を持たずして、今日ばかりと思え」「一度の誓いが一期の誓い」「今日の目標、今週の目標を徹底的にチェックせよ。ぼんやり未来を夢見るな」などと言われてきました。
今日一日の目標設定と点検反省がいい加減では、空しく時が過ぎるばかりだぞという戒めです。私に一番欠けているところだと反省させられます。
27 自分の方から
状況が変われば、全てが流動化します。だから状況が変わって欲しいと待っていては間に合いません。
他の人からすれば、私もまた状況の一部なのですから、私が変われば否応なく状況が変わることになります。新しい可能性が開けます。
自分から変わろうとすること、それが自分の人生の主役になるということではないでしょうか。
28 人の宝は人
すがたあるもので最も美しいのは人の体、すべての音でもっとも美しいのは人の声です。思って思い飽きぬものは愛する人。私に尽きぬ驚きと喜びを与えるものは人間です。
人にとって、何よりの宝はやはり人。もとより、一人一人の人間こそ、み仏の胸に輝き大宇宙にきらめく一粒の宝石ですもの。
29 だまされる智慧
半分ははじめからわかっていながら、結果はやはりだまされたと知っても、困った顔ひとつ見せなかったという逸話が多いのが念仏者の世界です。一見愚かのように見えますが、逆にその奥に深い智慧がはたらいているように思われます。
自分の力量の及ぶ範囲なら、それが相手のためになるなら受け入れてあげたいという強靱な意志を感じます。裏切られても裏切られても救わずにはおかないと、愚かでさもしい私たち一人一人を阿弥陀様が見ていらっしゃる。そんな思いから出たものであろうと思われるのです。
30 死を安らぎと見る勇気
「死ねば毎日が日曜日だ」と言った人があります。今日は土曜日、さぁ、もう一頑張りしようじゃないかということでしょうか。もっとも、近頃は土曜もお休みの職場が多くなりましたので、一昔前の言い方ですが。
辛いのも悩ましいのも生きてあるうち、生きていればこそでした。死こそは大いなる安らぎの時と見定めて精一杯に生きよう。そういう意味だと取りました。釈尊の死は涅槃と呼ばれました。命を燃やし尽くして大いなる安らぎに入られたという意味であろうと思います。
31 倒された竹は芽をふく
「倒された竹は芽を吹く、起きもする。倒した雪はあとかたもなし」小川仲造という昔の念仏者の作った歌です。さまざまな歴史上の人物を思い起こします。自分の身の回りをふりかえりもします。竹の子の生えた竹林の静けさや、竹のしなやかさを思い浮かべもします。ともかく、受け身のように見えながら何としたたかで力強い腹構えであろうかと、大きな励ましを感じました。
32 アーナンダよ泣くな。
「アーナンダよ泣くな。そなたは実によくやってくれた。だから泣くな」釈尊の臨終の近いことを知って一本の沙羅の木によりすがって悲しみ嘆く常随の弟子アーナンダに、横たわったままで釈尊は語りかけられました。
あなたはよくやってきたではないか、そう、み仏からの声を心で聞いて命を終えられたら、それ以上の幸せはないでしょう。さぁ、空しく時を過ごしてはならない。努め励んで悔いのない日日を生きよう。そんな気持ちになりますね。
33 見落としてきたもの
台所の片付けをしていて、亡くなった主人のご飯茶碗に目がつきました。これも、もういらなくなってしまったなと、手に取って眺めるうち、こんな絵柄だったかと、初めてしげしげと見ました。毎日手渡しながら見落としてきたのは、茶碗の柄だけだったろうか。あの人の心の中はどうだったろう。何を思いながら死んいったのだろうと考えたとき、愕然としました。何と悲しい夫婦だったのか。何と申し訳のない妻だったのかと気がつきました。そう言って涙を流されたという仏教婦人会の会長さんのお話を聞きました。
34 愛することはゆるすこと
まだ十代だったころ、ゆるすから愛せるのか、愛するからゆるせるのかという議論をしたことを覚えています。
ゆるすと読む字はいろいろあって、許の他に赦・免・聴・容・恕などがあります。今思えば、私が言おうとした「ゆるす」は、相手の心を聴こうとすること、相手の心を知ること、受け容れることでした。結局それは愛そのものであって、別物ではなかったのだと思います。彼が言おうとした愛も、自己中心的な愛のことではなく、相手を聴す愛だったのでしょう。
35 ゆるされて聴く
仏法を聴くことは、ゆるされて聴くのだと示されたのは親鸞聖人です。
聞く資格も、聞く耳もない私と見通した上で、この心に飛び込まずにはおかないと呼びかけ、はたらきかけ続けて下さればこそ、とうとう耳を傾ける身になったのだ。聞いても聞いてもそのお心に背きつづけるこの私を受けいれゆるして、聞こえて下さるのだ。聞こえて下さるままが大慈悲のすがたであったのだ。そういう意味でいわれたのであろうと受けとめています。
36 堪忍してもらってばかり
「何事も堪忍が肝心じゃ」という話を聞いて、「まことに申しわけないことです。この源左は、人さまにばかり堪忍してもらってきました」と言った念仏者があります。
人がしてくださる堪忍ほど見えにくいものはないのではないでしょうか。恩を知るといいますが、堪忍してもらってきた恩ほど知りにくいものはないでしょう。如来さまの果てしない堪忍に胸を刺し貫かれた源左さんだったからこその一言ではないでしょうか。
37 幸せを思い起こして耐える
一分一秒も耐えがたい恐怖や苦痛に襲われたとき、「自分の一番好きなものを思い浮かべろ」と言った先生。ピカピカに磨かれたヤカンを思い浮かべて耐え抜いた生徒。そんな記事を読んだおぼえがあります。なるほど、人は幸せを求める前に、幸せの記憶を支えに生きるものだったのか、そういえば確かに思い当たると、感銘を受けました。もしかしたら教育の根本は、幸せを感じさせることなのかもしれませんね。
この私の場合も、ああ、ご恩でした。
38 任されている私
信ずるとは、すべて如来様におまかせして生きることだと聞いてきました。自分は考えることも努力もしないでいいという意味かと思っていましたら、まかせるとは、もともとよろこんで全面的に従うという意味で、人任せにするという意味ではなかったのです。
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべしという親鸞聖人のお言葉の意味も、それでようやくうなづけました。こんなわたくしにも、「我が願いを知ってくれたのなら、全てをあなたに任せる」と仰っていたのが如来様だったのです。
39 情けは人のためならず
情けは人のためならずという諺があります。人を思う心が、人に思われてきた我が身を知る。幸せを見つけたければ、人の幸せを願うことを学べ。そうすればおのずから幸せを見つけられよう。そういう意味だと思います。阿弥陀如来はあらゆるいのちあるものに光あれと願い続けて、ついに極楽の主になられました。
人に情けをかけておけば、何時かは自分に返ってくるというのはそろばん勘定でしょう。
40 山が歩いてこなければこちらから
イスラム教の開祖マホメットは、山を動かして呼び寄せてみせると公言し、山を呼んだけれども、当然ながら山は動かなかった。そのときマホメットは、山が動いてこないのなら、こちらから山の方へ行こうと言って歩いていったという話を聞いたことがあります。あらゆる問題解決の基本を示した象徴表現だと思えば、なるほどとうなづけます。来るのを待っていないで自分から行けということでしょうか。それにしても、すごい教え方をしたお方だと驚嘆します。
41 心の魚の目
魚の目が足裏にできたことがあります。傷をかばおうとして回りの皮膚が盛り上がり、土手ができて、これに何かがちょっと触っても痛くてたまりません。土手を削って平らにしてやると楽になります。しかし結局は傷の芯に残る錆屑や砂屑を取り除かない限り、土手を削っても削っても治りません。心にも魚の目ができるようで、いわゆるトラウマというやつです。痛さはわかって避けようとしますが、魚の目だと気づかないことが多いようで厄介です。
42 鏡のように
さとりの智慧は鏡に譬えられます。事実をありのままに受けとめ、そのままを映し出すからでしょう。事実を受け入れ、事実に立つことから再出発するしかないんだよと教えて下さるのだと思います。しかし鏡のような心になるには大変な訓練が必要でしょう。銅鏡などもまっ平らに磨くのは大変だったでしょうし、水鏡にしてもわずかな振動一つでも波立ってしまいます。人は目の前の事実すらまともには受け取ることができない程とらわれ多い存在だということです。ところがもがき抜いた末の挫折と絶望は時に心を鏡のようにする効果があるようです。
43 鍵のかかっていない戸口を探して
かつての農村の家々では、戸に鍵などはかけることはなく、どの戸口からでも、今日はでした。しかし、誰に対しても、どんなアプローチに対しても心を開いている人達ばかりであったわけではありません。その人なりの玄関もあれば勝手口もあり、親しいものにだけ開かれる特別の戸口もあったわけです。その人が鍵をかけない戸口をみつけて、今日はといくには、情も努力もセンスも必要です。全部鍵をかけまわした家のようにみえても、きっとどこかに、その人独特の鍵のかかっていない戸口があるのではないでしょうか。
44 歩きながら考える
「山道を歩きながら考えた」は漱石の『草枕』の冒頭です。哲学者カントはケーニスベルクの町を散歩しながら思索を練るのが日課だったといいます。考えを整理したり、推理するばかりでなく、観点を変えてみる、より広い視野からとらえ直してみるということが必要な時は、人との語らいや、参考になりそうな本をよむこと、沈思黙考や座禅瞑想も有効でしょうが、歩きながら考えるのがいいようです。日暮れの畦道をゆっくり歩いて家路につくお百姓さんたちの姿に、瞑想にも似た思索を感じた少年時代を思い起こします。
45 今までは前置き、これからが本番
「今までのすべての教えは前置き、これからが本番。何故なら虚仮不実な私達の迷いを知らせ、そんな私達を照らして捨てぬ大いなる真実が説き明かされるのだから」ということを述べてあるのは、善導の『観無量寿経』注釈書です。法然聖人は、この書によって「ただ念仏して」の道を見いだされたのです。
それは、私達の人生に、今までは前置き、これからが本番という転換点をもたらす仏陀からのメッセージを伝えようとするものだと思います。
46 思い過ごし
その時はどうしようもないと悩んだことも後になってみれば、単なる思い過ごしであったり、何かへのこだわりで肝心なことが目に入らなかっただけだったりすることが多いものです。医療の現場でセカンドオピニオンといって、もう一人別の医師の診断を受けることを勧めるように、誰かに相談してみることが大事です。人に相談してだめでも、「困ったことがあったら、南无阿弥陀佛に相談しなせぃよ」という源左さんの忠告もあります。
47 神であるから人間を救えない
人間の苦悩は、生老病死の身、迷い深い心ゆえのもの、つまりは人間なるがゆえの苦悩です。人間の苦と無縁な神には救いようのないものです。仏教の中にも、梵天・帝釈天ほか多くの天の神・地の神が登場してきますが、彼らは人間を迷いから救い出すものではありません。救うのは、覚りの智慧によって人間を一歩踏み越えた人間、仏陀です。キリスト教において、神ではなく、神の子である人間イエスが登場せねばならなかったのも同じ理由からではないかと思います。神は神であるから人間を救えないのです。
48 いなくなる日の彼方へ向けて
親鸞聖人の著作の多くは六十歳を越えた晩年のものです。自分がいなくなった後を生きる人達のために書き残されたといっていいでしょう。まだ見ぬ者たちのために限りある命を燃やしたのは親鸞聖人だけではないと思います。多くの先人の遺産はそうやって築かれたものでしょう。隣人を愛し、自分を大事にするとはこういうことだったのかという感慨をおぼえます。さぁ、私も死の彼方に向かって飛び立とうという気になりますね。
49 させてもらう
「させてもらう」という新しい日本語表現を生み出したのは念仏者源左だといいます。他力、御恩報謝ということを見事に表現していると思います。自分から、させてもらおうと思い立つこころの起こる時、どんな難題も重荷として背負う力が沸いてきて、もはや足かせではなくなる。重くても肩は痛くても、足は自由に動かせる。どこへ行くも自由になる。そんなことを思わせられます。なんという力強い励ましでしょうか。
50 聞き入れてあげたい
「源左、豆は軟らこう煮てくれ」「はい」「源左さん、豆は硬めに炊いて下さいね」「はい」どうするのかと思ったら、源左さん、鍋を二つにして、軟らかいのと硬いのと二通りに煮たといいます。私なら、勝手なことばかり言いおって、俺の身にもなってみろと言いたくなるところです。何とか聞き入れてあげたいという気持ちから出た知恵だったのでしょう。わがままな私を見捨てることのない阿弥陀さまのお慈悲の暖かさを知っていた源左さんならではの信心の智慧だと思います。
51 こちらがついていく
誰の手にも負えぬ暴れ牛を飼うことになった源左さん。来いと綱を引いてもいうことを聞かないので、そうかそうかと、源左さんの方が牛の後について歩いたといいます。そのうち、牛の方が源左さんになついて後をついて歩くようになり、源左さんのいうとおりに従うようになったそうです。逃げても背いても、追いかけ続けて下さって、とうとうそのお慈悲に負けて念仏する身にして下さった阿弥陀様のお手回しをまねた源左さんの信心の智慧だったのでしょう。
52 家の黒焼後生に効く
年老いてから火事で家を焼いてしまった源左さん。「こんどばかりは、さすがにめげたろう」という見舞いの言葉に、「火をつければ燃えてしまうようなものに気をとられていてはならぬと、きついご催促をいただきました。ようこそ、ようこそ南无阿弥陀佛」と答えたといいます。いもりの黒焼はオネショに効くと聞いていましたが、なるほど、我が家の黒焼は後生に効くのかと恐れ入ったところです。