1. 門信徒会運動・同朋運動が起こされねばならなかった宗門の課題
- 念仏の声の聞こえない宗門という現状
- 参詣者の減少からくる危機感
- 名ばかりの門徒、形ばかりの僧侶という反省
- 背景に、産業構造の変化に伴う宗門の社会基盤の崩壊
- 家族体制の変容
- 地域共同体や親族共同体の弱体化
- 部落差別問題・靖国問題を通して問われた宗門の体質と教学
- 没社会的信心理解と愛山護法の僧侶エゴ
- 悪しき宿業観による人間抑圧指向
- 真俗二諦による世俗主義と国家崇拝
2. 連研がはじめられた願いとねらい
- 全員聞法全員伝道の原点にかえるとこらからの再出発
- 蓮如上人時代の爆発的教線拡大に学んで話し合い法座
- 宗門の再生をもたらすものは「人」、 僧侶・門徒の中の中核養成による一点突破
- 時代社会からの問いに応える教学を現場から
3. 時代からの問いに応え、宗門に課せられた使命を果たし、
次世代の真宗を担う僧侶 門徒を養成するために
- 真宗(如来の願力)を世に具現するものとは何かを見つめなおす
- 教学(教材)本尊・聖教・教義研究・法要・儀式・布教活動にいたるまで
- 門徒 僧侶を含め真宗の教えを受け、伝えようとするもの
- 組織 宗門機構(寺院・組・各種団体を含めて)
- 門徒推進員養成の意味を問いなおす
元来、教学・組織を改革する突破口としての門徒推進員養成であったのに、既存の教学と組織を護持するための支援者を育てようとする方向にずれ込んできている点に注意が必要。連研は僧侶・門徒の自己変革の運動であったはずである。
数多く輩出したはずの門徒推進員が、その活動という点で閉塞的なのは、相変わらずの教学と組織ゆえであり、僧侶集団の志向するところが、連研の趣旨とは違うところにあるからであるといわねばならない。
新たな時代に生きようとする門徒推進員や僧侶を養成しようとするなら、それを支える新たな教学・新たな組織が必要。教学も組織も旧来のままでは身動きのとりようがないのが当然。好むと好まざるにかかわらず、組織は教学の具体化としてあり、教学は組織の思想としてある。
閉ざされた安泰を保とうとすることなく、形だけの継承にとどまることなく、伝統の中から真実の精神をくみとり、旧来の殻を打ち破って、全人類の苦悩を自らのものとして担う積極性を育む教学と組織の再形成が求められている
4. 自分たちの運動にするために
- 高岡教区の立地と特性
- 蓮如上人時代からの伝統深い真宗寺院の密集地
- 神祇不拝の宗風が根づかず、神仏一体観念の強固な地域
- 重複的寺檀関係とその強固さを背景に儀礼面が重視される傾向が強い。法要儀式で得た資金を法座活動で消費している状況がある。
- 一地方としては、産業構造の変革が農村のすみずみまで浸透した点で全国的に特筆すべき地域である。農道・林道がこれほどすみずみまで舗装化されたところはないといわれる。一方で出生率の落ち込みが全国で最も激しい県の一つでもある。
- 伝統重視の保守的県民性と思われがちだが、時代対応意識も強く、宗教的伝統という面からいえば急速な世俗化・現代化が進んだ地域でもある。
- 寺院密集、寺檀関係の重複を背景に住職の兼職化も進んでおり、住職家の家計は寺院外収入に大きく依存している寺院が多数を占めている。
- 門徒においてはお内仏中心の家業生活は極めて少なくなり、若年層による法義の継承は危機的状況である。教会での結婚式も珍しくなくなりつつある。
- 地域共同体を基盤とした講活動の伝統が最も強く残っている県ではあるが、それも世代交代の波に耐えきれず急速に崩壊しつつある。葬儀会場が自宅から公民館、さらにはセレモニーホールへと移行していることに象徴されるように地域共同体の弱体化が急速に進みつつある。
- 連研推進の動機
- 宗門的な呼びかけ
- 次世代門徒役員(寺院・仏壮・仏婦・講社)の養成への要求
- 沈滞する法座の活性化へ向けて
- 行動ある門徒養成への要求
- 僧侶の研鑽の場という機能の評価
- チームとしての組の活動の中心としての位置づけ
- 門徒間の交流と連帯を生み出す場としての機能の評価
- 宗教活動の沈滞というムードを破るいとなみとしての評価
- 新たな形式の法座の基本形としての認識と評価
- 青年僧侶育成の場としての位置づけ
- 時代からの問いに取り組む場としての位置づけ
- 次代へ向けての自己変革の場としての意味づけ
- 話し合い法座と門徒推進員養成の意味
- 時代からの問いに対する答えを教えにたずねること
- 教えが答えているのは如何なる問いに対してであるのかを現代と自らのなかに見いだそうとすること
- 現代を生きる教学と人間が生まれねばならないという要請