〔本文〕
露命わづかに枯草の身にかかりて候ふほどにこそ、あひともなはしめたまふひとびと、御不審をもうけたまはり、聖人の仰せの候ひし趣をも申しきかせまゐらせ候へども、閉眼ののちは、さこそしどけなきことどもにて候はんずらめと歎き存じ候ひて、かくのごとくの義ども、仰せられあひ候ふひとびとにも、いひまよはされなんどせらるることの候はんときは、故聖人の御こころにあひかなひて御もちゐ候ふ御聖教どもを、よくよく御覧候ふべし。おほよそ聖教には真実・権仮ともにあひまじはり候ふなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちゐるこそ、聖人の御本意にて候へ。かまへてかまへて、聖教をみ、みだらせたまふまじく候ふ。大切の証文ども、少々ぬきいでまゐらせ候うて、目やすにしてこの書に添えまゐらせて候ふなり。
〔取意〕
朝露のようにはかない命が、枯れ草のような老体に何とか消え残っている間は、ご朋輩方のご不審もうけたまわり、親鸞聖人からお聞きした仰せの旨もお話ししてお聞かせいたしますが、わたくしの死後は、教えの伝承もさぞ混乱甚だしいことになるであろうとなげかわしく思うところです。
上に掲げた異義を主張する人々に言いまどわされそうになったときには、故親鸞聖人が御意にかなって引用したり書写なさいました御聖教をよくよくお読みいただきたいと思います。聖教というものには真実を直説したものもあれば、真実へ導き入れるために説かれた仮の方便の教えもあって、混じり合っているのです。方便の教えはうち捨てさしおいて真実の教えを採用することこそ、親鸞聖人のご本意なのです。どうか、くれぐれも聖教の読み誤りだけはしてくださいますな。そのために、特に大切な親鸞聖人の遺語を少しばかり選びだして、箇条書きにしてこの歎異の書に添えさせていただいたのです。
〔参考〕
・あひともなはしめたもうひとびと
唯円房の勧めに従う人々
・しどけなき
混乱したありさま
・かくのごとくの義ども
後八条の異義
・故聖人の御意にあひ適いて御用ゐ候ふ御聖教
『唯信鈔』『一念多念証文』『後世物語の聞き書き』など
・真実権仮
真実と権仮方便。「権」も「仮」も、「かりの」という意。十九願や二十願には諸行往生、自力念仏往生が誓われてある。これは権仮方便の願。
・大切の証文ども
真実信心とは何かを明かす口伝の師訓 前十条
・目やすにして
箇条書きの指標にして
〔私釈〕
後序の第二段は前十条を掲げた意味を再確認する。我が身はもう老い先は短く、何時とも知れぬ。自分の死後は、とめどない混乱が予想されて嘆かわしく思うと、本書述作の動機を述べる。
その上で、異義に対しての心得を示す。後八条に指摘したような異義で言い惑わされそうな時は、親鸞聖人がお薦めになった聖教をよくよく読んで欲しい。大体、経典論釈には真実と権仮の教えとが混在しているものである。権仮方便の説を捨てて、真実の意を受け取るのが、親鸞聖人の本意である。決して聖教を見誤らないようにしてもらいたい。そのために、口伝の真信十条をまずはじめに掲げたのであると押さえている。親鸞聖人から口伝した真信は、自力の計らいそのものである世間の通念や常識的では計れないものであることを示唆しつつ、後学相続への切々たる願いを述べている。