岡西法英のプロフィール

岡西法英

岡西 法英(おかにし ほうえい)

浄土真宗本願寺派 教願寺住職
富山県高岡市 1947(昭和22)年6月26日生まれ

 富山県西砺波郡東五位村大字内島3780番地の浄土真宗本願寺派(お西)教願寺に、9世住職一英の長男として生まれました。四人兄弟です。

 東五位村は後に高岡市に編入されましたが、当時はあまり豊かとは言えない部類の農村でした。教願寺は、そのうちの三ケ村の住民を相手にする小さな寺です。

 幼少時より、聴聞に熱心だった曾祖母の膝の上にあって、いろり端での念仏談義を聞いて育ちました。また、曾祖母に連れられて、この頃は盛んに民家で催された法座に連なり浄土真宗の「お説教」を聴聞しました。それは曾祖母が健康を害する中学二年生まで続きました。お説教の内容はほとんど覚えておりませんが、ゴォオと沸き起こる念仏の声に包まれたことは鮮烈に記憶しています。それが私の人生を方向づけたと思われます。

 学業はあまり熱心ではありませんでしたが、県立石動高校を出て、一浪の末、早稲田大学文学部に入学しました。70年安保を控えて学生運動が燃え上がっていた時期です。大学四年生の時は、ほとんど授業もできないありさまでした。友人たちの多くが運動にかかわっていましたが、私は、未来構想もなく、建設性も責任性も感じられない言説に失望して、参加しませんでした。歴史を変えるに十分な程規模が大きかったにもかかわらず、謎と言える程不毛な出来事でした。何故そうでしかありえなかったのか、今も疑問が残ります。

 卒業後、京都の龍谷大学大学院の修士課程仏教学専攻に編入入学しました。仏教の中に自分のよりどころを見出したいという思いからでした。修士論文のテーマを決めるのに難渋して一年余計に在籍しました。結局は大学の時の卒論のテーマを引き継いで、「末法思想」について書きました。末法思想の背景にある人間観に焦点を当てようとしたのです。その過程の中で、浄土教を奉じた道綽・善導・法然・親鸞の人間観の深さと温かさに触れました。

 その後、父住職が市役所に勤めていたため、寺のことは母と私に任されていたこともあって寺に帰り、寺の仕事をすることにしました。自分の捜し求めているものは、学問の世界にはないと感じたからです。祖父がそうしていたように、家々を読経して歩きながら考えよう、そこでしか答えは見つけられないだろうと思うようになつていました。

 当時は、寺の跡取り息子のほとんどは、教職・公務員・企業に就職するのが通例でしたから、珍しがられました。いい若い者が何と無気力な態度だ、と思われたようです。

 探し求めるよりどころも見い出せず、何より大切なはずの信心も何時までたっても得られそうもなく、思い悩んだ末に、もう自分には何であろうと念仏を力に生きていくよりないのだ、と思ったその時、「それで悪いと何時言った」と、仏陀の声が聞こえた気がしました。

 そのうち、近所の子供たちを集めて日曜学校を開いたり、毎月の月例法座を開いて法話をしたりしておりますうち、宗派の方で、新しい時代に相応しい住職後継者を育成しようということで、全寮制百日間の研修「伝道院住職課程」というものが、前年から開催されていることを知り、弟と一緒に応募しました。これはなかなか充実した研修で、その後の滋養になりました。この時、布教使資格をもらいました。

 「住職課程」が終わった後、結婚して二男二女の子を得ました。そのうち次女は、中学二年の時白血病で死にました。こればかりは真に応えました。消えることのない悲しみです。

岡西法英の著書「私釈蓮如上人御一代記聞書」

推薦文

蓮如上人の御教えの要点を懇切に解説した好書。

「私釈蓮如上人御一代記聞書」は、坊主身分の弟子や近親者に対して語ったことの記録である。〈ただ信を獲れ〉と勧めてやまない一貫した蓮如上人の姿勢が鮮やかに映しだされているといえる。

浄土真宗本願寺派 元総長 豊原大成

発売日:2020/11/6
単行本:214ページ
出版社:法藏館
著者:岡西 法英