あくまで、標記の問いを中心に、問題提起・話し合い・まとめが行われるように注意したい。
標記の問いそのものが問題提起である。その補足説明として、その他のものは掲載してある。問題提起は時間的には五分~十五分が見込まれる。「標記の問い」「この問いを取り上げたねらい」「さまざまな意見」「話し合いを深めるために」を順に朗読するだけで終われば五分で済む。初心者のために、真宗教義の基本を示す「参考」を掲げておいた。問題提起に先立って朗読するもよく、最後に朗読するもよく、また簡単に解説するのもよい。各問いごとに内容と時間の都合を勘案して適宜に行うのがよい。
さまざまな意見-話し合いのヒント-については、ノートには五項目以内にしぼって掲載してある。この資料の中には、掲載から除いたものも参考のために紹介しておく。
車座の話し合いの司会においては、「問い」と「ねらい」の背景にある発想と視点の落差に注目してもらいたい。取り上げた問いは非仏教的発想から投げかけられたものである。これを手がかりとしてに、仏教的、真宗的視点とは何かを探り当てようとするのである。仏祖は何を問題にされたのか、どんな問いを立てられたのかをすぐさま持ち出す必要はない。それよりも、問いの立て方、すなわち問題をとらえる視点はさまざまありうるのであって、この点の発想をふくらませて、頭を柔軟にすることが大切である。それが、まとめの法話の受け皿を整える準備となる。
問いは、答えのあり方を限定しているものである。いわば問いの中にすでに答えが内包されている。また答えは、それがどのような問いに対応するものかを暗示しているものである。要するに問いと答えは一つの事柄の二つの表現形態に過ぎず。問いに対する答えを出すことが、話し合いや問答の目的ではない。発想の転換を準備し、新たな問いを自らの中に見い出すための過程として、話し合いが大切なのである。
この意味で、取り上げられた問いの仮設性を明らかにし、話し合いが向かうべき方向性を示すために、「ねらい」と「深めるために」を掲載したのである。
法話は、仏祖がこの点の問題をどのように受け止めどのような問いを立て、どのような答え(取り組みへの視点とみちすじ)を示されたかで結ばれねばならない。しかし、それは、標記の問いや「さまざまな意見」から予測される答えとは大きく視点がずれているため、標記の問いの立場からいえば、すれ違った答えという印象になるで あろう。それ故、標記の問いとどうつながり、どの点でねじれたつながり方にならざるを得ないのかを確認することが必要であろう。
「参考」として掲げた文章は、一つの答えの体裁で示されてはいるが、問うべきは何かを提示するものという観点で選んだものである。問題提起と法話の両方のための資料となるだけでなく、受講者にとっての予習・復習のよすがとなればと考えた。