『涅槃経』(如来性品)にのたまはく、「仏に帰依せば、つひにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」と。
『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、{乃至}みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」となり。
またのたまはく(同)、「優婆夷、三昧を学ばんと欲せば、{乃至}天を拝し神を祠祀することを得ざれ」となり。
(註釈版 P429)
神と仏
今日のテーマは「神と仏」という問題でございます。仏様、仏というものも神様と同じように人間がつくったものではないかという、この問いの出し方には、相当、算用が裏には隠れておるわけでございますね。まあ、見ればすぐわかる訳でございますけれども。ただ、ここで何が、こういうテーマを出さねばならない理由なのかという事でございます。
三つの耳栓
蓮如上人がお示しの通り、仏法を聞く時に、私どもの大きな妨げが三つあって、いかに聞いても仏法がとどかん。一つには得手に聞く。自分のものさしで仏法をはかるから、全部自分の今までの知識や考えかたで解釈してしまうから、なんにも伝わってこない。これが得手に聞くということでございます。二つには、よそごとに聞く。自分と直接関係のない、ただの話しと聞くから、これも一向に胸に入ってこない。三つには、売り心で聞くということで、まあ、これもよそごとに聞くのと同じですね。人に聞かせるための単なる知識としてしか受けとらない。そういう私どもの、仏法を受けとる姿勢そのものを問わなければ、いかに真剣に聞いたとか、たくさん聞いたとかいうことでは、これは計れないわけでございます。
私のものさし
その三つの問題の中でも、特に得手に聞く、自分のものさしで聞くという時、私どもが持ち前で持っておりますものさしとは何かということでございます。私どもが得手なのは、決してお釈迦様のような深い智慧でもなければ、慈悲でもないので、私どもが得手なのは、なるべく自分の都合のよいようにものを考えることなのであります。自分中心の考え方。蔵を建てた隣の家に腹が立ち、隣の貧乏が雁の味がする、こういう心でものを考えることが得手なのであります。人の不幸を見て、共に心痛んでゆく、そんなことは苦手でございます。人がうまくやると、隣の子供がよくできると、うちの子供がなんだか不足に思えてくるような心が得意でありまして、隣の子供のよくできることを共に喜んでいこうという、そんなことは不得手でございます。
すべては、そういう心のものさしで仏法などというものは、聞けば聞くほどわからんと、こういうことになるわけでございまして、実は、そういう私どもが仏法を聞く時の、気がつかないうちに、それで仏法を聞いていたというものさしが、実は、ここでテーマになっている神でございます。
日本は神国
まさしく、日本は神国と言われるように、日本人が、気づくと気づかざるとに関わらず、みんなが持っております「ものの見方」は、神様に結集されるような「ものの考え方」でございます。この神様ということにまつわっておる、ものの見方や考え方で仏法を聞けば、これは、わからんのが当たり前なので、実は、いったい私どもはどういう考え方で仏法を聞いていたか。私どもの聞き方そのものを再点検しなければならない。そういったねらいから、実は、「神と仏」の問題が取り上げられているのだと、こういうことでございまして、今、別に、神道の研究をしようというわけではないのでございますし、また、多くの神社にまつられている神の悪口の言い合いをしようということではないのです。そうではなくて、もしかしたら私達は、神様を崇める心をそのまんま仏様にあてはめておるのではないかということが実は、問題なのであります。
神国教育
特に、御承知のように、明治維新からこちら、日本の教育といいますのは、もう皆さん方こんなことを言わなくても御承知の通りでございます。明治以降の日本国家がとりました教育方針といいますのは、、富国強兵、殖産興業といいますように、まず、武力を増強し、武力を増強するためにこの世から百姓も町人もいなくさせた。江戸時代には、武士というものは、国民の十パーセントぐらい。後はみんな庶民でございました。しかし政府の教育は、それを作り変えまして、一億全部を武士の魂にしようとしたのでございます。御承知の通りでございます。全部いわゆる兵士、いわゆる武士のものの考え方に洗脳しようとしたのでございます。そういうことで教科書も、そういう風にできておったわけでございますね。日本の国から、百姓も町人もいなくなった。いざという時には、いつでも立ち上がる武士教育をやってきたわけですね。まあ、これは明治維新を支えた人達が下級武士であったということと密接な関係があるわけですが。そしてもう一つは財力ですね。殖産興業そして富国であります。しかし、これだけでは足らん。これを支えるものは何か、精神力だということで出てまいりましたのは、敬神崇祖の教育でございます。そして、敬神崇祖の神の具体的な現れが天皇であったということでございます。ぞういう形で明治以降の教育は、ずっと流れてきております。そして、それは戦前も戦後も形の上ではいくらか変化はありましても、本質的な方向はなんら変わっておりません。そういう中で、私どもの祖父・祖母や、私からいえば會祖父・會祖母の代から、ずっとそういう風な教育で、そういうものの見方で日本は動いてまいりましたし、あらゆる形でそれが教育されてきた。そういうものの考え方の中で、実は私どもは仏法を聞いてきたわけであります。そのことを、まず、気づかねばならない。そういう色メガネをかけて、実は私達が仏法を聞いておったということに、まず、気づかなければならないわけでございます。
神仏一体
ここでいう敬神も崇祖というのも、まあ、祖先ということですね、一番具体的にピンとくるのは。もともとは、いろんな神様といっても、それこそほんとうにわからん、人に聞いても何を調べてもわからんというくらいにわからないんですけれども、だいたい、教育を通しまして、段々そういう方向で整理されてきておるわけでございます。で、その結果どうなったか。もともと日本に仏法がはいってまいりました時に、これは神と仏の激しい相剋がございました。戦いであります。仏教を取り入れようとする蘇我氏と、これを阻止しようとする物部氏の間に大変な葛藤があったわけでございます。しかし、まあ、これは神仏相剋時代ですね。それから、やがて折り合いが段々ついてまいりまして、仏教優位のかたちで折り合いがついてまいりました。つまり、神様というのは、仏法のないこの国の人間を調教するために、仮に神様として、仏様が化身となって現れたんで、本体は仏様で神様はそのお使いというか、仮に姿をあらわしたという形で折り合いをつけて、神仏一体という形でずっときたわけでございます。
神仏分業
ところが明治になりまして、御承知のように、「国家神道」を国家の精神支柱にしようということで始まりましたので、神仏一体では具合が悪いわけでございます。それで結局、神仏分離ということを行いました。そして、仏教と切り離した神道を中心に据えようということであったわけです。その結果どうなったかというと、今度は神仏分業の時代がやってきたわけですね。今日の多くの日本人は完全にそうであります。神仏分業であります。一人の人間の中に分業になっておるんですね。あの世は仏法、この世は神様なんです。で、この神様と結びついておりますのは、かつては教育勅語による教育でございましたし、まあ、いわゆる日本人の国民道徳であり、世間の仁義でありということであったわけですね。それは神にダアーッとこうつながっておる。ところが、いろいろ矛盾がありましても、死んでから後のところは、これは仏様、仏法ということで分業がなされました。まず、坊さん達が言うたのは、内心は、内面的な問題は仏法で、世間の外側の生き方は国家神道ですね。教育が神道なんですから、一体なんですから、その神道でと、まあ、こういう形で、実は、それこそ仏教界もなにもかにも全部挙げて、そういう状態であったし、今もあるわけです。お考えになってみればその通りだとおもうんですね。
神と仏ではなく、まつると信ずる
実は、神様と仏様が違うと申しましても、違うというのは、その、もともと違うには決まっておるんですが、それを違うといっても、それでは問題が解決しない長い歴史があるわけでございます。それは、ある意味では政治と宗教との葛藤の歴史だと言ってもよろしいかと思います。
さて、そのいわゆる神と仏とこういうことになりますと、実は、先程申しましたように、ここで問題になっているのは、神様と仏様という場合の神様を論じようというのではない。問題は、神をまつる心と、仏教の教えに従おうという態度と、この問題なのでございます。神をまつる。神をまつる態度を問題にしておるんです。神をまつろうという態度を問題にしておるんです。神様を問題にしておるんではございません。仏様が問題なんじゃないんです。仏教をどのような姿勢で受け取ろうとしておるか、それが問題なのです。仏の教えにまさに従うことであります。
仏教伝来のはじめから
さて、そのことを考えるヒントがございまして、日本に始めて仏教が伝わってまいりました時に、人々はどんな態度をとったか、いろいろな態度がございました。
まず、物部氏に代表される人達はどうであったかと言えば、異国の怪しげな神である。いわゆる、その異国の神である。しかもこの神は、日本にちゃんと神様がおるのにね、異国から妙な神を持ち込んでくるのはとんでもないことである。これは悪神である。それ見てみい、この頃熱病が流行るのは、この蕃神のせいだ。「ほとおりけ」という熱病が流行りました。それ見てみい、こいつの崇りだ、こんなものを入れたから日本の神様が怒ってこんなことになったんだと主張したわけでございます。
それが元で、ほとおりけが詰まってホトケと呼ぶようになった。これが親鸞聖人の説でございます。御和讃の中の『善光寺如来和讃』という所を見ていただければ、そのことが書いてあります。つまり親鸞聖人がおっしゃるには、日本というのは悲しい国だと。せっかく仏法が伝わってきながらも、そういう、いわゆる神様を基準にしたものの見方でしか仏法を受けとめることができなくて、そして、なんか仏様を疫病神のような風に思う。そういう人達の使った言葉を今の坊さん達も皆、使っておるではないか。仏教徒のつもりで実は、仏様を謗り、蔑ろにしておる、これが日本の伝統なんだ。こういうふうにおっしゃっておられるのでございます。
それに対して、仏教を取り入れようとした蘇我氏はどうであったか。これも同じことなんですか、異国の神様で、日本の神様よりも勝れた神様なんだと、こういうふうに考えておったわけでございまして、この人達は、つまり、日本の神をまつるより、こっちの方がよいといってホトケをまつったのでございます。つまり。まつっておる心はいっしょなんで、中身はいっしょなんです。態度はね。これは怪しからんと言った物部氏も、取り入れようと言った蘇我氏も姿勢は同じなんです。ただ、物部氏は、そんな外側からの神様は怪しからんと言ったし、蘇我氏は、いや、この神様はいいんだと言った。それだけの違いであります。
そういう葛藤の中で、第三のまことに新しい立場が出てまいりました。つまり、どういうことかと言ったら、仏様というのはそうやって、それをまつることによって、自分達の思いを遂げていこうとする、そういうことではないと。実は、仏法というのは、その仏法に照らしてこの世の偽りだらけであることを知らせていただき、私達自身が曲がった根性でおるのを正していただいていくんだ。つまり仏法に従って自らを改めていくんだということです。つまり、まつるというこの思想の根本は何かと言えば、護ってもらうということです。それに対して、こちらの基本は何かと言えば、仏法に照らして、自分の生き方を改めていくということです。廻心というんですね。改めていく。これは決定的な違いであります。神様に護ってもらおうというのも、仏様に護ってもらおうというのもおなじことですよ。要は、自分の思うたようにいくように護ってもらいたい、そうじゃなくて、自分のものの見方、考えかたを改めていかないかん。それが聖徳太子の立場なんでございます。
だから、神に祈り、仏をまつって、次の戦に勝つようにと、お互いに祈り合いをしておったわけでございます。あんな嫌いな、私の大事な亭主を寝取ったあいつが死にますようにと言うて、一生懸命、祈祷してもらったりしておったわけですね。
それに対して、まったく新たなと言うか、新たでもなんでもないわけですが、仏教本来の立場なんですけども、この聖徳太子の伝統の中から、やがて、親鸞聖人がお出ましになった。親鸞聖人がなぜ、そんなに聖徳太子をお敬いになったかと言えば、聖徳太子以外にそういう立場と言うか姿勢をはっきり示された方がいなかったということです。最も早い時期に、はっきりとその立場を示された方であった。もちろん、親鸞聖人まで誰もいらっしゃらなかったんじゃなくておられるわけです。法然様もいらっしゃったし、それから、源信僧都という方もおられましたし、比叡山を開かれた伝教大師も皆、基本的には、そういう同じ姿勢でしたけれども、しかし、そんなわずかな人がおっても、大勢の大多数の波にのみこまれていってしまっておったということですね。
仏をまつる
さて、そういうことでありましたから、実際には、この日本の国に仏教が下って、伝教大師や弘法大師が法を開かれる。あるいは、奈良にはたくさんの寺々があった、そのお坊さん達はどうであったかと言えば、結局、仏を祀っておったんですね。神を祭ると同時に仏を祀っておった、同じ論理ですから両方大事にして祭っておったんです。つまり、仏様を祭る対象にしておった。だから、お経を読んで祭っておったんです。叩いて祭っておったんです。法衣を着て祭っておったんですよ。同じことなんです神主さんと。そのことを厳しく親鸞聖人は批判された。結果どうなったか言うたら流罪に遭われたわけですね。「けしからん奴や、そんな事言う奴はほっとけん」ということで、まだ法然上人の弟子の中でも新参の方であったにも関わらず親鸞聖人は、流罪という重い罪を、実はきせられることになるわけでございます。
念仏を流罪にするもの
つまり、宗祖親鸞聖人を島流しにしたものは何かと言えば、「神を祭る仏法者」、「仏法大事と言いながら、神を祭る人々」が親鸞聖人を流していったんです。今日までも同じことです。浄土真宗の門徒だ、真宗の坊さんだ、私は仏教徒だと言いながら、神を祭る人が念仏を邪魔にするのです。念仏で飯は食われん。念仏で人との競争には勝てん。念仏では、戦争に勝てん。その時は神様を拝まねばならんというわけですね。一連の論理なんでございます。
それで、実際にその人達はどう言って流したかと言えば。「この国を守るために流す」、「これでは仏法がすたる」と言って親鸞聖人を流したわけです。この人達は神をおろそかにすると言って、神をないがしろにするといってした訳です。親鸞聖人は別に神をないがしろにする、などとは一言もおっしゃっておりません。そうではないんです。「念仏申す者は神を拝むな」とおっしゃったわけです。神様を粗略にしろとも、神様をつまらんものだとも、そんなことはおっしゃっておりません。それどころか、念仏一筋に歩く者を神様は護ってくださるんだと、これは御和讃を読んでいただければ、ハッキリ書いてあります。神を祭る者を神は護ってくださるのだとは書いてないんです。念仏申す者を神は護ってくださるんだと。神を祭る者を神は護ってくださるとはどこにも書いてありません。
そう聞こえてしまう
神を祭るということと、仏の教えに従うということと、そんな、あんまり堅いこζ言うなとおっしゃるかもしれませんが、そこなんですね。実は、神を祭るというこの考え方の上にたって理解すると、全部おかしくなってくる。先程〃おわたまし〃の話しがありました。これもそうであります。〃おわたまし〃。魂を入れるとか、抜くとか、この考え方。これはやっぱりね、神様の考え方でいくと、そう聞こえるんですよ。説明聞かんでも、おわたまし言うたら、なんとなくそうに違いないと、そう思うんです。叩くのを見りゃ、なんかこう仏様の世界に届いていくんではないだろうかとか、死んだ人に届くんではないかとか、そういう風にしか受け取れんのですわ。他力と聞けば、拝んで、たのんます、やってくださいということにしか聞こえんのです。
つまり、何でそういう風に解釈できるのかと言えば、そのようにしか解釈できない常識が胸の中にあるからですよ。それに照らして得手に聞いておるわけです。
〃おかげ様〃だと聞けば、丈夫で長生きすることが〃おかげ様〃だとしか思われんのです。そこに実は、親鸞聖人が本当に嘆かれた問題がある訳です。言わばそれは、一人一人の人間の業ということもありましょう。民族の業でございますね。
生死をこえる? 血の思想
それで、まあ、神様のものの考え方でいきますと、例えばですね、阿弥陀如来とこう申します時に、阿弥陀如来、限りないいのちとこう聞くと、どういう風にしか頭に浮かんでこないかと言うと、これは日本人の考え方から言いますとね。生死の問題。仏法は、生まれた者は必ず死んでいかねばならない、限りあるいのちであるという、これは大問題でありますね。つまり、死の前にはすべてが空しくなってしまう。そして、死なねばならないことは知っている。どんなに幸せでも、終わりがあると思えば、幸せの絶頂であればある程、不安でならない。人間の姿であります。苦悩の姿ですね。幸せの絶頂の人も、苦悩の衆生であることになんの変わりもないわけです。そのことを乗り越えるのに神道が提示しております考え方は、先祖を遡れば限りないではないか、ずっと私まで続いておる。私が死んでもずっと子孫はつながっておるのだと。私のいのちは限りがあるけれど、この血のつながりには限りがないという、血の思想です。これが家という観念を成り立たせ、民族という観念を成り立たせておるわけですね。つまり、家そのものが信仰の対象なんです。何々家というものがね、信仰の対象なんですね。あるいは、日本という国そのものが、信仰の対象であり、神様なんです。この考え方は。そして、このことによって、やがて死んでゆかねばならないというむなしさを、そのことを思うことによって塗り固めていくのが、これが、もう別に神道の信者であるないに関わらず、みんなが共通してもっている観念なんですね。私だってそういう観念でいたいんです。みんながそうなんですよ。別に、寺に生まれたからそうでない、ということはないし、いっしょですわ。
代わりのないいのち
ところが、仏法が教えておるのはそうではないですね。独生独死、独去独来。でもね結局、私自身の問題なんですよ。人間は、一人生まれ、一人で死んでいく。誰も変わってはくれないんだ。変わってもらいようのない、その限りあるいのちを、それで本当に満たせるか。そうじゃない。そこに、生き死にを越えた限りないいのちに出会わねばならん。それが実は何か。法ということですよね。一番元をたたいて言えば。もっと言えば、智慧・慈悲。具体的には念仏で示されているわけです。考えてみてください。
限りないいのち
お釈迦様は、わずか八十年でお亡くなりになったんです。だけど、お釈迦様は死なれたから、それで終わったのかというと、そうではないのですね。お釈迦様がお亡くなりになったことで、お釈迦様のいのちが終わったのじゃない。そこからいよいよ大きく人々のこころのなかに点る炎となって、生き続けて、今日の私どもをここに集めておってくださるわけでございます。
親鸞聖人の人生は九十年。限りがあったけれども、しかし私どもの心の灯となり、光となり、通うてくる温もりとなって生きておってくださる。しかも、血のつながりは枠がありますから、だから何々家と何々家の葛藤などということが起こってくるわけですが、この世界はそうでないですね。十方衆生に平等に開かれた世界でございます。
あらゆる人々とともに
限りないいのちは、同時に限りない人々に開かれておる。そういうものに出会ってこそ、死を乗り越え、私というものを乗り越えてゆくことができるんだと教えてくださるんです。
両立しない
神道の考え方による観念にしがみついておることと、阿弥陀如来の限りないいのちに出会うことと両立するわけがございません。こちら(阿弥陀如来の限りないいのち)に目覚めたら、あちらは、それこそ溺れるものがつかんでいた藁であった。もっとも、船がきてこそ藁は離すけどもね、船がこない時は、藁でもにぎっておらねば仕方がないですからね。
両立するわけがないんで、神を祭る心と、仏のまことを信じることと、両立するわけがない。だけど、それを両立する様にしてきたんですね。その結果、浄土真宗はわからんもんになってしまった。簡単なんです。如来様の言う通りにする。それだけのことです。
如来様がこういう風にしてくれとおっしゃる。それは難しいことではない。如来様のお心を、何事につけて聞かせてもらって、それを根本にして念仏のでるように人生を歩いて行くという、たったそれだけのことです。念仏が出るような生き方をしてくれ。たったそれだけなんです。そんな簡単なことがね、わからんようになってきた。なんでかと言えば、これを両立せねばならないから、わからんようになってくるんです。それで、浄土真宗は哲学的やらなんやら言う人がおる。哲学的でもなんでもないですよ。簡単なことなんです。如来様の言う通りにする。その如来様の教えはまことに簡単なんです。
実は、神と仏の問題というのは、実は神と仏の問題なのではなくて、私が浄土真宗の教えを神を祭る心でしか聞いていないということを問題にしておったのだという、ここのところが今日のテーマの一番中心でございます。
決定的な方向の違い
たとえば、具体的な例で申しますとね。今、阿弥陀如来ということを申しました。限りないいのちと言うことも、神道のものの考え方で、神道というよりは、我々の伝統的なものの考え方で考えるとこうなって(血の思想)しまう。しかし、違うということです。同じようですが。たとえば、戦争で亡くなった人達を靖国に神として祭るというのと、往生して仏になられたと考えるのとでは、まったく私達の生き方が違ってまいります。
靖国神社に神として祭ったらどうなるかと言ったら、やっぱりね、日本人のため、日本人のため。これしかやっぱり浮かんでこないわけでございますね。
しかし、仏様におなりになったと考えたら、今、その方々が私達に何を願っていてくださるか。同じ人間でありながら、同朋でありながら、鉄砲を向け合わねばならなかった。まして自分が、傷をつけたとならばなおさらのこと。日本のことよりなお先に、そちらを思ってくれよと呼びかけておってくださるとしか思えません。如来様になられたら、そうですよ。だけど、神様になられたら話しが違うんですよ。だから、神様も如来様も仏様も一緒じゃないか。違うんですよ。私のものの考え方、生きる態度が百八十度違ってくるということでございます。決して単なる学問的な話や、言葉の違いの問題なのでなくて、私自身の姿勢そのものが決定的に違ってくるこのことが、実は、問題なのでございます。
うやまうことの大切さ
人間は尊敬する者に似てくるのでございます。清水の次郎長を尊敬する人は、やっぱりヤクザなんですよ。ヒットラーを尊敬する人は、軍国主義者なんです。そして、その道をまっすぐ歩いて行けば、段々ヒットラーに似てくるんです。鰯の頭を信じる人は、鰯に似てくるんです。きつねやたぬきを拝む人は、段々きつねやたぬきになっていく。如来様を尊敬する人は、如来様に近づいていくんですよ。そうでしょう。
うやまうべきは仏のみ
釈尊はおっしゃった。釈尊がおっしゃったんじゃないですね。釈尊の教えに出会った仏弟子がこう書いた。釈尊はお生まれになってすぐ、天と地を指して、「天上天下、唯我独尊、三界皆苦、我当安之」とおっしゃった。天上というのは、神々の世界です。天下というのは我々の世界です。天の上にも天の下にも、唯我独尊。尊敬さるべきものは仏のみであると。
仏は信ずるもの、神は敬うもの、これは分業の考えかたで、一昔前、そういうことを一生懸命に教育で教えたんです。だけど、仏法はそんなこと教えておりません。この世に尊敬して、あなたが近づいていくべきものは、如来より他にない、目覚めたる人より他にないとハッキリおっしゃっている。なぜか。その如来様だけが本当の意味で、人間の苦悩を乗り越える道を示しておってくださるからだ、もうハッキリしておるわけです。
仏教徒としての基本姿勢
聖徳太子は、「世間虚仮、唯仏是真」とおっしゃいました。世間というのは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上。天上というのは、神々の世界ですよね。含めて世間と言うてあります。世間は、そらごと、たわごとであって、本当にそれを信じ、それを敬う価値はない。仏のみが真実である。これが聖徳太子のお言葉であったわけでございます。
実は、親鸞聖人が聖徳太子をなぜお敬いになったかと言えば、一番根本のところはその仏法にたいする姿勢なんです。別に、聖徳太子はですね、浄土真宗の人であったわけではないですね。聖徳太子が素晴らしい三部経の解説をせられたわけではない。聖徳太子が書かれたのは、『法華経義疏』や『勝鬘経義疏』や『維摩経義疏』なんで、直接真宗には関係ないんです・そうではなくて仏弟子としての、仏教徒としての本当の姿勢を示してくださった。これがなかったら、私は念仏の教えに会えなかったと、こうおっしゃっておるのでございます。
今日はこれくらいにさせていただきます。