信心とは何であったのか

2. 浄土三部経に現れる「信」を表す用語とその和語表現

 『仏説無量寿経』には、上巻の第十八願文に「至心信楽欲生我国ししんしんぎょうよくしょうごこく」(至心ししん信楽しんぎょうして我国ごこくまれんとほっう)とあり、下巻のはじめめの本願成就文ほんがんじょうじゅもんと呼ばれる部分には、「聞其名号信心歓喜もんごめいごうしんしんかんぎ・・願生彼国がんしょうひこく」(その名号めいごうを聞きて信心歓喜しんしんかんぎする・・の国に生まれんと願う)とある。また、経末きょうまつ流通分るつうぶんと呼ばれる一段には、「歓喜信楽かんぎしんぎょう」「専心信受せんしんしんじゅ」「信楽受持しんぎょうじゅじ」「応当信順おうとうしんじゅん」などの語が見える。

 『仏説観無量寿経』には、「至誠心しじょうしん」「深心しんじん」「回向発願心えこうほつがんしん」の語が見えるが、これは『仏説無量寿経』の「至心ししん信楽しんぎょう欲生我国よくしょうごこく」とほぼ同義の語として用いられたと見られる。また、『仏説阿弥陀経』には、「執指名号一心不乱しゅうしめいごういっしんふらん」「歓喜信受かんぎしんじゅ」の語が見える。

 三経の全体を通観してみると、「信受しんじゅ」と「信順しんじゅん」が基本的用語であり、「信楽しんぎょう」や「信心歓喜しんしんかんぎ」は、 「信」には「歓喜」が伴うことを示したものと見ることができる。

 そして、次項において述べるように、「信受しんじゅ」には「たのむ」が、「信順しんじゅん」には「まかす」が和語の古語としては、実に適切な訳語であることが知られるのである。

 これらの中で最も多用されてきたのは、「信心」という語であるが、これこそ、現代的な言語感覚からすれば、難解語なんかいごというべきものである。これについては後で別に述べる。

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