15. 信心を獲るにはどうすればよいか – 『蓮如上人御一代記聞書』から
まず読め
「一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁盛」(第一二一条)、と言われた蓮如上人は、また「幼少なるものには、まず物を読め」(同二五条)と仰せられ、「ただ聖教をを繰れ繰れ」(同八九条)とも言われた。「もの語りは失するものなり。書したるものは失せず」(同四五条)と言い、「聖教をすきこしらへもちたる人の子孫には仏法者いでくるものなり」(同一二三条)とも言われたのである。
誰もが物を読める時代となった今日、あらためて、読んで思いを巡らすことの大切さを知らされる。
聞け
次には「聞け」ということである。「聴聞はかど(角)を聞け、詮あるところを聞け」(同五一条)と示す一方、「得手に聞く」(同一三七条)、「よそごとのやうに思ふ」(一七一条)、「法文の一つをも聞きおぼえて人に売りごころある」(同八二条) などの誤った聞き方に陥るなとの訓戒もある。
「注意深く肝心なところを聞け。それが自分にとっては何を意味するのかを聞き取れ」と言い、「自分のものさしに合うように手心を加えては聞くな」「ただの一般論と聞き流してはならぬ」「仏法の神髄を顕す聖語の一つも聞きおぼえて、誰かに教えてやろうなどと考えるのは心得違いである」と戒めてあるのである。
問い尋ねよ
蓮如上人は、「同座もしてあらば、不審なることをも問へかし、信をよくとれかしとねがふばかりなり」(同四〇条)と言われた。また、新しいことを求めるより、「日ごろ知れるところを善知識に問へ」(同八一条)とも示唆し、「仏法の義をばよくよく人に問へ」(同一六六条)、「法義をば、幾度も幾度も人に問ひきはめまうすべき」と励まされたことである。
談合せよ
蓮如上人はまた、「四五人の衆、寄り合い談合せよ。かならず五人は五人ながら意巧(自分に都合よく)きくものなるあひだ、よくよく談合すべき」(同一一九条)ことを強調された。「愚者三人に知者一人とて、なにごとも談合すれば面白きことあるぞ」(同二四五条)だからである。
その要点は、「心中をば申しいだして人に直され候はでは・・・信をとることあるべからず」(同一〇六条)であるからであった。
ものを言え、ものを言え
仏教書を読み、法話をよくよく聴聞し、不審な点については問いただし、聴聞仲間と談合して自分の受けとめ方が間違っていないかを確認することが大事であるとの示唆であるが、その中で特に念を入れて言われたのが、「ものを言え」ということであった。
「信・不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。物を申せば心低もきこへ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ」(同八六条)というわけである。
「物を申さぬがわろき」(同三一一条) 「わが心中をば、同行のなかへ打ちいだしておくべし・・ ただ人に直さるるやうに心中を持つべき義に候ふ」(同一〇七条)と、その心がけの大切さを強調してあるのである。
書斎で一人思索にふけるのは、信を獲る道としては出発点ではあるが、それだけでは足りない。よくよく聴聞を重ねた上で、如来の眼差しの下で、四五人の法友との忌憚のない語らいを通して、自分勝手な思い込みを洗い直し、あらためて探り求める中から聞き開かれ、聞こえてくるのが信心のすがたであるという訓戒であろう。