信心とは何であったのか

11. 如来に見抜かれたわが身を知る「信知」

 『浄土論』の中で天親菩薩が、「一心帰命きみょう」と表されたところを、後の善導大師ぜんどうだいしは、二種の「深信しんじん」と言い、その後輩智昇法師ちしょうほうしは「信知しんち」と示し、親鸞聖人はまた「信心の智慧ちえ」とあらわされた。いずれも、如来の智慧の光りが届いて、如来の真実を知り、おのれ虚仮不実こけふじつを知らされたすがたが信心であるということを示すものである。

善導大師ぜんどうだいし(613ー681)の『観経疏かんぎょうしょ散善義さんぜんぎに、「深心しんじんといふは、すなはち これ深信しんじんしんなり。また二種あり。一には、決定けつじょうして<自身はこれ罪悪生死ざいあくしょうじ凡夫ぼんぷ曠劫こうごうよりこのかたつねにもつし、つねに流転るてんして出離しゅつりの縁あることなし>と深信しんじんす。二には、決定けつじょうして<かの阿弥陀仏、四十八願をもって衆生しゅじょう摂受せつじゅしたまふ、疑ひなくおもんぱかりなかの願力がんりきじょうずればさだめて往生を>と深信しんじんせよ」とある。

 これを意訳すれば、「経文きょうもんに<深心しんじん>とあるのは、深く信ずるということである。

 これに二種の内容がある。一には、阿弥陀如来のお見立ての通り、また釈迦如来の言い当てられた通り、わが身はまさに罪重く迷い深い凡夫ぼんぷであって、はるかな昔から迷いと苦悩の中に沈んで離脱りだつの可能性がない身であると、はっきりと聞き知らせていただくことである。二つには、阿弥陀如来はそのことを見越した上でそのような私たちを救い取ろうと四十八の誓願を立てて下さったのであると受けとめ、疑いもはからいもなくその願力に身をたくすれば、さだめて往生することができると、はっきりと知らせて頂け」というのである。

 『顕浄土真実教行証文類けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい行巻ぎょうかんに、智昇ちしょう師の『集諸経礼懺儀しゅうしょきょうれいさんぎ』下巻の「深心じんしんはすなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩ぼんのう具足ぐそくせる凡夫ぼんぷ善根薄少ぜんこんはくしょうにして三界さんがい流転るてんして火宅かたくずと信知しんちす。いま弥陀の本弘誓願ほんぐせいがんは、名号みょうごうしょうすること下至十声聞等げしじゅっしょうもんとうに及ぶまで、さだめて往生をしむと信知しんちして、一念に至るに及ぶまで疑心ぎしんあることなし。ゆゑに深心じんしんと名づく」という言葉が引かれている。

 これを意訳すれば、「経文きょうもんに<深心じんしん>とあるのは、真実の信心をいうのである。わが身はまさに煩悩具足ぼんのうぐそく凡夫ぼんぷであり、善根ぜんこん少なく、迷いの三界さんがい流転るてんし、苦悩の火宅かたくを出る道のない身であると信知しんちする(聞き知る)のである。また、それに対して弥陀の本願というのは、名号みょうごうとなえる一つで、そのようなわたくしに必ず往生をさせて下さるのだと信知しんちして、ただの一瞬も疑心ぎしんをまじえないのを<深心じんしん>というのである」ということである。

 これを引用するのを初めとして、親鸞聖人による「信知しんち」の引用あるいは用語例は十九例に及ぶ。のみならず、「まことに知んぬ」と訓読して、著書の要所々々に配置されている。また、「信心の智慧」という語は『正像末和讃』の第三十五首にある。

 このような智見ちけんは、自己自身の内省ないせい思索しさくから生まれるものではなく、経説きょうせつ(『仏説観無量寿経』や『仏説無量寿経』下巻)の中に示された衆生観しゅじょうかん、いわば如来による診断・見立みたてをわが身に受けてのものである。そこに示されてあるものは、まさしく煩悩ぼんのうに目のくらんだ罪悪深重ざいあくじんじゅうの私たちの実態である。

 聞法もんぽうかさねた中で、<このわが身にも届いて下さった御信心>を喜んだ先人たちは、「こんな奴をおたすけとは、ああ、何というご勿体もったいない」と言い表してきたものである。

 法にそむき、真実に背を向け、如来から逃げることしか知らぬ者を、おさめ取って捨てまいという深甚しんじん仏願ぶつがんであったのである。何時の頃からか、免罪符めんざいふのように重宝ちょうほうがられる言葉として、「生かされているわたし」ということが言われるようになったが、これなどは、先人たちが、言い習わした「お恥ずかしい」とは対極にある物言いである。 <独善と傲慢>と批判されても仕方がないであろう。

次のページへ →

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です