信心とは何であったのか

目次

はじめに

1. 信の字義

2. 『浄土三部経』に現れる「信」を表す用語とその和語表現

3. 「信」の和訓「たのむ」と「まかす」

4. 「信心」は聞き方、聞こえ方

5. 法蔵菩薩の四十八願こそ如来の真実心を開示したもの

6. 如来の真実に遇うことが「信心」

7. 「信」の否定語「疑」の語義

8. 信の表明の範となった天親の言葉

9. 『恩徳讚』は「おまかせ」の讃歌

10. 如来から任されているのはわたしたち

11. 如来に見抜かれたわが身を知る「信知」

12. 「願う」「祈る」の自力のはからいとは逆方向の喜びの「願う」 二頁

13. 信心と利益は同時

14. 「信」のありようを示した善導の二河白道の比喩

15. 信を獲るにはどうすればよいか

後書き


信楽は 信愛愛楽するの意で
弥陀の願力仰ぎつつ
名号の徳よろこんで
我が身の往生疑わぬこと

このことを 信心歓喜とも言えり
信受仏心大歓喜
お慈悲うれしやありがたや
それが往生定まるすがた

信受とは 受信すること受け取ること
弥陀なればこそようこそと
大慈悲心を知らされて
勇気励まし身に受けること

タノムとは 信受の訳語 弥陀仏の
願いの目当ては 我が身とぞ
知りてたのみとするばかり
これを信受、たのむとぞいう

信順は 仏教仏意仏願に
随順すること従うこと
これをマカスと訳したり
よろこび従うそれが信順

信知とは 如来の真実聞いて知る
虚仮不実なる己かな
無窮の願力ましませり
ただ乗託するほかになしとぞ

真実は まことのみのりと読む文字
汝が人生に実りあれ
光り輝く顔となれ
そう呼びかける仏願をいう

何よりも 如来疑う罪深し
人口呼吸器投げ捨てる
瀕死の人に似たるかな
哀れなる愚痴 如何救わん

信心は 我執がしゅうの心にひらいた穴
だから壊れぬ金剛信
音と光が通い来る
風通し良い こころと暮らし

牢獄は外から開く信の穴
聞こえて来るは 弥陀の願
音信不通の夜は明け
光差し込む春の風かな

目をあげて手を合わせて弥陀拝む
私が如来を 見るじゃない
見られている身 と噛みしめる
今日確かめる 眼差しの中

南無阿弥陀 称えているは この私
私が如来を 呼ぶでなく
呼びかけられて いる私
そっぽを向いても 背いていても

いのちとは 老い病み死する定めなり
それを知るのが 人の知恵
されどその知恵 浅きゆえ
こころ我が身を もてあますのみ

わが智慧で 法をさとるは  難ければ
その法弥陀の真実と
かみくだいてぞ釈迦説けり
浄土も弥陀も法の表現

背くとも 逃げあらがうも逃げられぬ
それが真実 それが法
その法の名が 阿弥陀仏
そのはたらきを 他力というのみ

自力とは 自己中心の自惚れで
何でもわかると思うこと
自分のことさえ わからぬに
何をはからい 知らんとするや

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