浄土真宗とは

目次

1. 仏教のテーマは生死出しょうじいずべき道

2. 無常・苦・無我のことわりにそむく無明むみょう煩悩ぼんのう

3. 難行自力なんぎょうじりき聖道門しょうどうもん易行他力いぎょうたりき浄土門じょうどもん

4. 久遠くおんの願い

5. 法蔵菩薩の四十八願

6. 法蔵菩薩永劫えいごうの修行と成仏、そして安楽浄土の建立こんりゅう

7. 十劫じっこう十万憶仏土じゅうまんのくぶつど

8. 聞くままが信、信ずるままが往生決定おうじょうけつじょう

9. 信心にそなわる利益りやくと報恩の称名しょうみょう

10. 浄土真宗という名

1. 仏教のテーマは生死出ずべき道

 仏教の開祖釈尊しゃくそんが、すべてを捨てて出家し、修行の旅に出られたのは、誰もが共通に抱えている苦悩をのりこえる道を見い出すためであった。それは、「出離生死しゅっりしょうじの道」、「生死出しょうじいずづべき道」とも呼ばれる。

 釈尊は今から二千五百年ほど前、インドとネパールの国境付近に住んでいた釈迦族の大王の長男としてお生まれになった。小さいけれども豊かな国のプリンスとして幸せに満ちた暮らしの中で成長された。しかし、どんなに幸せに暮らしていても、さまざまな悩みにつきまとわれている自分を見い出し、無常の身、意のままにはならない現実に目を向けられたのである。

 どれほど幸せであるといってみても、おいいて、んで、死んで行かなければならないことに変わりはないのである。わが身が命そのものが、わが思うままにはならないものであったのである。誰も思うままに生きられる人などいない。未来に対しては誰もがうれいいをいだいている。あいしいものと別れる悲しみをけることはできない。肉体を持つ以上えや寒さ、暑さ、さまざまな苦痛は生きているしるしというべきものである。心がある以上、どうすればよいか、どういえばよいか、どう思えばよいかと悩まないでは生きられない。

 そして結局は遅かれ早かれ死んでいかねばならないのである。どうして心悶こころもだえずにいられようか。このことを、「生死無常しょうじむじょうことわり」という。

 どんなに幸福にめぐまれようと、生き物であるかぎり、人間である以上は、苦悩くのう衆生しゅじょうであることに変わりはなかったのである。ところが、私たちは愛憎あいぞうの念にしばられ、欲望にひかれ、意のままにしたいというとらわれから、迷い、もがき、あらそってますます苦悩を激しいものにしているのである。

 これを「生死しょうじ」と呼ぶ。また、「むなしく過ぎる」と表現し、「六道輪廻ろくどうりんね」という象徴表現で表すのである。これをどうのりこえて、人間として生まれ、生きることの中に、安らぎと喜びを見い出すか、死をも越えた不滅の真実を見い出すかということこそが仏教のテーマであった。

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