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1. 仏教のテーマは生死出ずべき道
仏教の開祖釈尊が、すべてを捨てて出家し、修行の旅に出られたのは、誰もが共通に抱えている苦悩をのりこえる道を見い出すためであった。それは、「出離生死の道」、「生死出づべき道」とも呼ばれる。
釈尊は今から二千五百年ほど前、インドとネパールの国境付近に住んでいた釈迦族の大王の長男としてお生まれになった。小さいけれども豊かな国のプリンスとして幸せに満ちた暮らしの中で成長された。しかし、どんなに幸せに暮らしていても、さまざまな悩みにつきまとわれている自分を見い出し、無常の身、意のままにはならない現実に目を向けられたのである。
どれほど幸せであるといってみても、老いて、病んで、死んで行かなければならないことに変わりはないのである。わが身が命そのものが、わが思うままにはならないものであったのである。誰も思うままに生きられる人などいない。未来に対しては誰もが憂いを抱いている。愛しいものと別れる悲しみを避けることはできない。肉体を持つ以上飢えや寒さ、暑さ、さまざまな苦痛は生きているしるしというべきものである。心がある以上、どうすればよいか、どういえばよいか、どう思えばよいかと悩まないでは生きられない。
そして結局は遅かれ早かれ死んでいかねばならないのである。どうして心悶えずにいられようか。このことを、「生死無常の理」という。
どんなに幸福に恵まれようと、生き物であるかぎり、人間である以上は、苦悩の衆生であることに変わりはなかったのである。ところが、私たちは愛憎の念に縛られ、欲望にひかれ、意のままにしたいというとらわれから、迷い、もがき、争ってますます苦悩を激しいものにしているのである。
これを「生死の苦」と呼ぶ。また、「空しく過ぎる」と表現し、「六道輪廻」という象徴表現で表すのである。これをどうのりこえて、人間として生まれ、生きることの中に、安らぎと喜びを見い出すか、死をも越えた不滅の真実を見い出すかということこそが仏教のテーマであった。