『歎異抄』を読むに当たって

一、著者 親鸞の晩年常随の弟子であった唯圓房。(一二二二      一二八九頃)

二、著作年次 親鸞没後二十年頃(一二八〇~一二八九)か。

三、真宗聖教としての本書の地位

 カナ書きの聖教としては、これに先行して法然没後、親鸞の兄弟子であった聖覚の『唯信鈔』・隆寛の『一念他念分別事』『後世物語の聞書き』などがあって、親鸞はこれらを多く書写して、読むことを勧めていた。
 親鸞の、弟子との問答を含む口伝の書としての本書は、親鸞の思想の枢要を、生々しく、しかも簡潔に伝える資料として特別の位置を占める。
 末尾の文や、蓮如の奥書に見えるように、本書はあくまで親鸞門下の念仏者たちののうちで文字の読める人々、いわば念仏者集団のリーダーたちを対象とした内部文書であったのであり、念仏者以外の一般に読まれることを想定していない。
 最古の写本を残した蓮如が、「当流大事の聖教」と位置づけたことは、破格の評価である。法然 親鸞 如信     覚如という本願寺直系以外の人物の著書に、「当流の聖教」しかも「大事の」聖教として位置づけていることは特例である。

四、本書が世に知られるまで

 江戸時代後期の、大谷派の学僧香月院深励の『歎異抄講林記』や妙音院了詳の『歎異抄聞書』が最初の本格的研究書。明治の清沢満之・昭和の梅原真隆の宣揚によって、衆知の書となった。

五、本書の大綱

  ・ 題号
  ・ 前序
  ・ 先師の口伝 十条
  ・ 中序
  ・ 異義の悲歎 八条
  ・ 後序
  ・ 法然門下流罪の記録
  ・ 蓮如の奥書

六、本書の概要

 前十条は、親鸞聖人から受け伝えた口伝の真信とは何であったかを明かす証文として掲げられている。
 まず、第一・二・三条において、口伝の真信とはいかなるものであるかを、直接的に明かす。次に、第四条から第九条まで、「自力のこころをひるがえして他力をたのむ」すがたを例をあげて明らかにし、最後に無義為義の法然上人の口伝をもって結ぶ。
 このうち第三条と第十条に、「と仰せ候ひき」の語が置かれている。その内容が法然聖人以来の口伝であるのがこの二箇条であること、また、第三条は第一・第二条をうけてのまとめ、第十条は第四条から第九条までのまとめとも見ることができるから、他条の「と云々」という結びとは区別をつけたかと思われる。そこにおいて、口伝の真信とは「自力のこころをひるがえして他力をたのむ」ことであり、同時に、「無義をもて義とす」ることであったことが明らかにされる。
 第四~九条は具体的に自力のこころとはどのようなものであり、他力をたのむとはどのように発想を転換することなのかを例示し、摂取不捨の救いのありようを明らかにするものである。
 全体を一貫して流れているものは、阿弥陀如来の本願のみ心に思いをいたしてみれば、ということである。まさしく「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」との恩師親鸞聖人の述懐の通りである。

第一条 摂取不捨の誓願 「ただ信心を要とす」る念仏の救い。

    ・信じて往生する前に、往生すると信ずる他力の信心
    ・信心さだまるとき往生またさだまる。
    ・信心こそ往生の正因
    ・信心が正因なのは悪人目当ての本願ゆえ
    ・悪をさまたげと恐れる必要はない

第二条 愚身の信心におきてはかくのごとし 「ただ信心」の内容

    ・往生極楽の道に秘伝などはない
    ・仰せを信ずる他に別の子細はない
    ・往生を信ずるは己の知見にあらず
    ・いずれの行も及ばぬ地獄必定の我への救いの約束
    ・弥陀の本願をまことと受けとめるかどうかがすべて
    ・所詮は一人一人の受けとめにゆだねられる

第三条 いはんや悪人をや 「自力のこころをひるがえして他力をたのむ」信

    ・弥陀の本願をわがためとは思わないのが善人、それですら念仏で化土に往生
    ・自分の善で往生できる人なら弥陀も本願も浄土も不要
    ・わがための本願と信ずる悪人が往生する
    ・信心とは、如来の心に遇って自力のこころを捨て離れること

第四条 慈悲に聖道・浄土の変わりめあり

    ・自分の力で救おう、それが自力。自分の始末もできないのに
    ・自力で人は救えない、人の心を意のままにはできぬから
    ・念仏は急ぎ仏になり、真にものを救う道
    ・捨てておけない人がいるからこそただ念仏

第五条 父母の孝養のためとて念仏申したることいまだ候はず

    ・わが力でと念仏をわが道具に使おうとし、我が父母だけをのわがまま
    ・いのちあるものはみな父母兄弟、仏になって救うべし
    ・念仏は急いで仏になってあなたを救えますの喜びの道

第六条 わが弟子・ひとの弟子といふ相論

    ・他力の念仏の道は、師あり、友あれども、弟子なき愚者の道
    ・わがはからいで人に念仏させ、信心を得させられると思うが自力
    ・如来のおはからい、御もよおしを死にものにする
 

第七条 念仏は無碍の一道なり

    ・恐れ従うことが信心ではない。恐れを離れ解放されるのが信心
    ・広大無辺の真実によりそわれて
    ・自分の計らいで自分がしばられて恐れ悩み苦しむ自力の道

第八条 念仏は行者のために非行非善なり

    ・行だ善だと自分のはからいに目が眩んで、如来のおはからいを思わぬが自力
    ・念仏は、如来からわたしへのはたらき、わたしから如来へではない。

第九条 念仏申し候らへども

    ・仏になって他を救いたい心などはじめから持ってはいないわたし。
    ・よろこぶべきをよろこばず、願うべきを願わない煩悩の身
    ・如来ははじめからお見通し。煩悩具足の凡夫よとこのわれを呼びたもう
    ・わがこころのありさまにこだわって、よいかわるいか、それが自力のはからい

第十条 念仏には無義をもて義とす

    ・はからいを捨てる。それがよきはからい。わが心を越えた広大な真実の前に

中序(十条の後半部) そのそのかの御在生のむかし

    ・もとは同信の輩なれど、その後継者のなかに異義の条々あり

 後八条は口伝の真信に異なる異義を挙げ、唯円房が一々に批判を加えるものであって、『歎異抄』という題号は直接的にはこの部分に該当するものと思われる。
 念仏往生の教えを自力疑心のこころで解釈するところから誤りが起こっていることを指摘し、阿弥陀如来の誓願の本意に立ち返って他力をたのむものの姿勢を明らかにしようとするものである。
 「右の条々は、みなもって信心の異なるよりことおこり候ふか」と断じて、すべての過ちは自力のはからいによるとの見方を示している。

 第十一条 誓願不思議と名号不思議は別にあらず
 第十二条 学問は往生の因にあらず
 第十三条 本願に誇って罪をつくることなし
 第十四条 念仏は滅罪の手段にあらず
 第十五条 信心はさとり顔を捨て、凡夫にたちかえる道
 第十六条 回心懺悔ではなく信心
 第十七条 辺地の往生すら、なお如来大悲の願力
 第十八条 施物の大小と如来の救いは別のもの

後序

   ・他力を見失い、信心異なることこそ問題の根本
   ・他力の信心は誰の信心も内容は同一という逸話
   ・弥陀の本願は罪業深重の親鸞一人がためなりけりとの述懐
   ・善悪の二つを存知せず、如来のごときまことの智慧なき故に
   ・凡夫の知見は虚仮不実、念仏のみ真実
   ・反論を断つため、仰せにないことを仰せと称する現状を嘆く
   ・教には真実と権仮あり、権を捨てて真を取れ
   ・親鸞聖人の仰せとは何かを書き残すのも信心異なることなきよう

流罪の記録

   ・法然聖人以下八人流罪
   ・四人死罪
   ・親鸞もこれによって非僧非俗の身となる故、流罪後は愚禿を姓とす

蓮如上人による奥書

   ・当流大事の聖教
   ・無宿善の人に見せてはならぬ

七、歎異抄の本文を解読するための留意点

 ・歎異抄の背景にある『仏説観無量寿経』
 浄土真宗のよりどころとなっているのは浄土三部経である。中でも、根本をなしているのは『仏説無量寿経』である。阿弥陀如来がもと法蔵となのる修行者であった遠い過去の誓願と修行から説き起こし、阿弥陀如来の開きたもうた浄土のすぐれた徳を讃え、今日阿弥陀如来の、名号をもって衆生を救う大いなる活動を説き示してある。
 『仏説無量寿経』に説かれた内容を要約的に示したのが『仏説阿弥陀経』である。
 『仏説観無量寿経』は、『仏説無量寿経』の教説からの展開として、末代悪世の悪人凡夫の救いを説き明かすものである。王舎城の悲劇と呼ばれるマガタ国王家で起こった事件の渦中で、王妃のために説かれた。弥陀の名号を「南無阿弥陀仏」と称えよと具体的に示すのも、それを「念仏」と呼ぶのも、ほかならぬこの経典である。
 親鸞聖人の師、法然聖人は「ひとえに善導による」と表明された。善導大師の『仏説観無量寿経』についての注釈書『観経疏』を何よりのよりどころとされたということである。
 法然聖人の門下(この中に親鸞聖人とその門弟たちも入る)において、教義上の論議といえば、『仏説観無量寿経』と『観経疏』をどう読み取り、どう受けとめるかということに集中していたのであり、特に以下に挙げる経文の解釈が焦点であったことは、『唯信鈔』『後世物語聞書』『一念多念分別事』など、法然聖人亡き後、高弟たちが書き著し、親鸞聖人が多く書写して門弟たちに読むことを勧めた書物の内容をみてもわかる。『歎異抄』もまた、そのような状況の中で書かれたのである。
 「いわんや悪人をや」「父母の孝養のためとて」「弟子一人ももたず」「慈悲に聖道浄土のかはりめあり」などの言葉も、論議の発端は、『仏説観無量寿経』の「五逆十悪具諸不善如此愚人」「孝養父母」「奉事師長」「行施仁慈」などの語についての解釈をめぐるものであったことが想像される。

※〔参考〕歎異抄にかかわる『仏説観無量寿経』要文

・「欲生彼国者 当修三福 一者孝養父母 奉事師長 慈心不殺 修十善業 二者受 持三帰 具足衆戒 不犯威儀 三者発菩提心 深信因果 読誦大乗 勧進行者 如此三事 名為浄業 仏告韋提希 汝今知不 此三種業 過去未来現在 三世諸仏 浄業正因」
 (かの極楽国土に生まれようと思うものは三つの善行を修めるがよい。一つには父母に孝養をつくし、師や年長の者によく仕え、慈悲深くして殺すことなく、十善を修めること。二つには仏法僧の三宝に帰依し、戒律をよく守り、行儀を踏みはずさぬこと。三つには、覚りを求める心を起こし、深く因果の道理を信じ、大乗経典を読誦して、他の行者を励まし導くこと。このような三種を、清らかな行業と名づけるのである。釈迦牟尼仏は続けて韋提希に仰せになった。そなたは知っているだろうか。この三種の行業こそ過去・未来・現在のあらゆる仏たちが修めたもう覚りに至るための清らかな道なのである」

・「無量寿仏 有八万四千相 一一相 各有八万四千 随形好 一一好 復有八万四千光明 一一光明 遍照十方世界 念仏衆生 摂取不捨」
 (無量寿仏には八万四千のすぐれた相があり、その一つ一つの相にはまた八万四千の特徴が付随している。さらにその一つ一つの特徴に八万四千の光明がそなわっている。その一つ一つの光明が、あまねく十方一切の世界を照らしていて、念仏の衆生を摂め取って捨てたもうことがないのである」

・「若有衆生 願生彼国者 発三種心 何等為三 一者至誠心 二者深心 三者迴向発願心 具三心者 必生彼国」
 (もしかの国に生まれたいと願うものがあるなら、三種の心を起こすがよい。三種の心とは、一つには至誠心、二つには深心、三つには迴向発願心である。この三種の心を具えるものは必ずかの国に生まれるのである」

・「下品下生者 或有衆生 作不善業 五逆十悪 具諸不善 如此愚人 以悪業故応堕悪道 経歴多劫 受苦無窮 如此愚人 臨命終時 遇善知識 種種安慰 為説妙法 教令念仏 此人苦逼 不遑念仏 善友告言 汝若不能念者 応称無量寿仏 如是至心 令声不絶 具足十念 称南無阿弥陀仏 称仏名故 於念念中 除八十億劫 生死之罪 命終之時 見金蓮華 猶如日輪 住其人前 如一念頃 即得往生 極楽世界」
 (下品下生について説こう。五逆・十悪などの重罪を犯し、さまざまな悪を身につけたものがいる。このような愚人は悪業の報いで、当然のことながら地獄・餓鬼・畜生などの悪道に落ち、多劫の間苦しみを味わってきわまりがない。このような愚人がいよいよ命終わる時になって、善き導き手に遇い、種々に慰めつつ尊い教えを説いて仏を想えと勧められる。しかしこの人は死の迫り来る苦しみにおののいて仏を想う余裕はない。そこでその善き友は、「心に仏を想うことができないのなら、ただ口に無量寿仏の名を称えればよい」という。するとこの人は言われた通りに、途切れなく十声、南無阿弥陀仏と称える。仏の名を称えたことによって、一声ごとに八十億劫の迷いと苦しみを呼ぶはずの罪が除かれ、命終わる時には、金色の蓮華が太陽のようにまばゆく輝いてその人の前に現れるのを見、たちまちに極楽世界に生まれることができるのである。)

・「仏告阿難 汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」
(釈迦牟尼仏は阿難に仰せられた。「そなたはこの教えをしっかりと心にきざみつけるがよい。この教えをこころにきざみつけるとは、無量寿仏の名を心にきざみつけるということである」)

・歎異抄における「弥陀の本願」
 『仏説無量寿経』の意をとっていえば、阿弥陀如来は法蔵菩薩であった昔、世自在王仏のもとで、二百十億の仏たちの足跡を学ばれた。そして、二百十憶もの仏たちの智慧は底なく、慈悲もまた果てしないものであったが、それでも救えなかった余りに多くの者たちがいたことに目を向けられた。
 自分が迷いの中にいることを知らず。仏の教えを聞こうとせず。聞いても従わないものは、どんな仏も救いようがない。教えも修行の道も役には立たない。如来の智慧も慈悲も及ばないもの、法に乖き真実に背を向け、仏の手から逃げるものこそ、救いようのない者である。
 そんな者をどうやって救おうというのか。法蔵菩薩は、その不可能を可能にする道を見いだせなければ、数知れぬ罪悪深重の凡夫たちを救うことはできない、その道を見いだすまではこの座を立つことはないと、思惟に思惟を重ねられた。
 そしてついに、五劫の思惟の末、不可能を可能にする救いの道が見いだされた。それは、その気はなくても、また逃げても背いても否応なく、耳から流れ込む南無阿弥陀仏の名号となって、人の称える声になって、耳から心へ飛び込んで、耳の奥に、心の中に住みついて、煩悩に閉ざされた心の扉を内側から開いて、光となって射し込んで救おうというものであった。南無阿弥陀仏は、背き逃げるものを呼ぶ声である。
 弥陀の本願は『歎異抄』の根底であり、浄土三部経の肝心である。『仏説無量寿経』には四十八箇条の誓願として説かれ、法然聖人は、そのうちの第十八願を、選択の本願・王本願と呼んで中心にすえられた。
 今、『歎異抄』には、第十一条に、「誓願の不思議によりて易く持ち称え易き名号を案じ出したまひて、この名号を称へんものを迎え取らんと御約束あること」とおさえてある。これは、以下に挙げる善導大師による四十八願の要約、本願加減の文の趣旨と一致する。「弥陀の誓願不思議」「弥陀の本願まことにおはしまさば」「弥陀の五劫思惟の願」というのは、ここに立っての言葉である。

※〔参考〕

・「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」
(わたしが仏になるとき、何者であれ、聞くまま信じて、我が国に生まれたいと願い、念仏申す身となって、もし生まれることができないようなら、覚りは開くまい。ただ五逆の罪人と正法を誹謗するもののみを除く)
 『仏説無量寿経』第十八願文

・「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」
 「わたしが仏になるとき、何者であれ、わが名号をとなえること十声に至って、もし生まれることができないようなら覚りは開くまい)
本願加減の文      善導 『観経疏』散善義・『往生礼讃』

歎異抄の要語解説

・念仏

 心に仏を念ずることや、浄土のすがたを思い浮かべることでもなく、単に口に南無阿弥陀仏と称えることでもない。流罪の記録が末尾に記載されているように、朝廷から発せられた「念仏停止令」の対象であった念仏である。
 「念仏停止令」は、心に阿弥陀如来を念じてはならぬというのでもなく、口に南無阿弥陀仏を称えてはならぬというのでもない。法然聖人の勧める「専修念仏」「選択本願の念仏」を禁ずるというものである。天台宗でも真言宗でも南無阿弥陀仏は盛んに称えられていた。それをとがめようというのではなかったのである。
 法然聖人の教えを邪法として指弾した比叡山の学僧たちや、興福寺の貞慶に代表される奈良(南都)の学僧たちは、聖道門の行を雑行として捨てることを特に問題にした。後の蓮如上人の表現を借りれば、「諸々の雑行雑修自力の心をふり捨てて」の念仏であることが問題とされたのである。
 「ただ念仏して」「専修念仏」ということばで示されている『歎異抄』の念仏とはまさしくこれなのである。
 それは、如何なる行も、もはや覚りに近づくための役には立たない末代悪世の凡夫にとって、諸善も万行も残念ながら無用のものであるという認識に立つ念仏である。もとより、そのような凡夫と見通して、これより他はないと南無阿弥陀仏で救おうという阿弥陀如来の本願であったという信に立つものである。

・ただ念仏して

 ただひたすらの念仏でもなければ、すべてを忘れての念仏でもない。何の意味もなく口に出すだけの念仏ということでもない。これより他に救う道はないと阿弥陀如来によって選び取られ、届けられた念仏、「唯念仏」である。
 「唯はただこのこと一つといふ、ふたつならぶことをきらふことばなり」と親鸞聖人の解説が『唯信鈔文意』にある。また『正信偈』には要所要所にこの「唯」の字が六度用いられている。「正しく信ずる」とは「ただこのこと一つ」が明らかになるこだという示唆である。

・すかされる

 「すかされる」とは、だまされたというのとは共通点もあれば相違点もある。「すかす」には、こどもをあやすという意味がある。大谷派の学匠深励は、安物を高値で売りつけることだと注釈している。だますには違いないが、無いものを有るというのでも、北のものを南というのでもない。過大な評価をしてだます。針ほどのことを棒ほどに大げさな言い方をして、子供だましにかけるという意味である。
 南無阿弥陀仏の称名は誰にでもできる分だけつまらぬ劣行であって、それだけでは浄土に往生するに十分な因ではありえないという批判は、すでに中国の道綽禅師の時代から念仏者に浴びせられつづけた批判である。専修念仏禁制を訴えた「興福寺奏上」の中でもこの批判が展開されている。
 法然聖人は、称名念仏の功徳を過大評価して、それ一つで浄土に往生できるようにいっているが、それこそ子供だましの類であるという文脈で用いられた言葉である。

・念仏して地獄に落ちる

 南無阿弥陀仏を称えることが罪になって地獄に落ちるというのではない。「ただ念仏」と余の行すべてを捨てることが仏法を誹謗する行為に当たるから地獄に落ちる、もしくは、大船というべき余行を捨てて、藁にも譬えるべき称名の劣行に全てを欠ける愚行のために、背負う罪悪は巨大なのに助ける功徳は小さ過ぎることになって、結局地獄に落ちることになるというのが、南都・北嶺の学僧たちからの批判であった。
 それをうけての言い方である。

・他力をたのむ

 「たのむ」は、現代用語としては、「頼む」と表記されて、こちらから依頼することを意味し、「ねがう」と同様の意味に用いられることが多い。しかし、元来は、「た・呑む」の意で、「た」は強意の接頭語(「た助る」「た依る」「た・なびく」「た折る」「た挟む」の「た」)であり、「のむ」は「のみこみがよい」「相手の言い分をのむ」というときの「のむ」で、相手の意を受け取ることである。(杉紫朗氏の説による)
 要するに、相手の言葉を通してその意までもしっかりと受けとめることを表す言葉である。経典の、「信受」にぴたりと合致する。外来の漢語「信」に「たのむ」と訓を当てたのだという説も納得できる。ちなみにいえば、「信」は「まかす」とも訓じられた。これは、経典の「信順」に当たり、よろこんでしたがうという意味である。現代語の「任す」は意味にへだたりを生じている。人任せにする意味で使われることがほとんどだからである。
 今述べたところは、最も古い時代の用語法というものである。後には、「たのむ」は「よりどころとする」「あてにする」「たよりにする」「心服する」という意味でも用いられるようになった。
 『歎異抄』の「たのむ」は、よりどころとし、たよりにするという意味が近いであろう。もっとも「信ずる」という置き換えが一番穏当ともいえる。しかし、もともと「信ずる」といっても「信」が漢語であるゆえに意味がはっきりつかめないからこその「たのむ」の訓だったのである。

・悪人

 『歎異抄』における「悪人」は、『仏説観無量寿経』下品下生段に、「五逆十悪具諸不善」の愚人がたまたま臨終によき師の勧めによって称名念仏して往生を遂げることが説かれていることを念頭において語られているとみられる。
 世間から悪人と見られている人ということでもなければ、自ら悪人と自覚している人ということでもない。すでに一切諸仏から見放され、阿弥陀如来からは救いの目当てと願いをかけられ、釈尊によって念仏申すよりほかに地獄をまぬがれようのないものと説かれた当人ということである。「後記」に紹介されている親鸞聖人の言葉によれば、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と弥陀をたのむ人を指すのである。それゆえ「他力をたのみたてまつる悪人」とおさえてあるのである。
 人間の判断でいう悪人ではないことは、「善悪のふたつ総じてもつて存知せず」という言葉で明らかである。自ら「悪人であることは自覚しております」などというはからいは、「そらごと・たはごとまことあることなし」と言い切ってある。
 如来によって見通され、願われ、言い当てられて、「たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と受けとめる人のことである。信知の内容としての、悪人であるこのわたしなのである。要するに、三人称でいう、「彼は悪人」の類でもなく一人称でいう、「私は悪人」の類でもない。如来から「汝悪人よ」と呼びかけられてある二人称の悪人なのである。

・たすけられる

 「たすけられる」とはどういうことか、なかなかつかみにくいのではなかろうか。自分の望みが自分の力ではかなえられないでいるところを、「たすられる」という場合は、扶・助・介・援・輔・弼・佐・祐などの字で表される。しかし、これは、「自力のこころをひるがえす」こともなければ、「はからい」を捨てることもない次元でのことである。
 ところが『歎異抄』で「たすけられまゐらせて」というのは、これとは大いに違うといわねばならない。浄土に生まれたいところを生まれさせるのではなく、「浄土は恋しからず」というわたしを生まれさせるのであり、「地獄に落ちたりともさらに後悔すべからず」の境涯を開くのである。善人にして往生させるのではなく、悪人に立ち返らせるのである。父母への孝養を果たさせるのではなく、一切衆生の救い主に生まれ変わらせようというのである。天神地祇に愛される身にならせるのではなく、敬服される身にならせるのである。「求めよ、さらば与えられん」ではなく、求めるものは与えられず、思いもかけない道が開かれるのである。他力の「たすけられる」は、自力のはからいで考える「たすけられる」とは大いに異なることがわかる。如来の御はからい、如来の御もよおしであって、わがはからいを離れたものであることがわかる。文字でいえば拯済・救済で表される。
 後世、因幡の源左は「たすけてもらってあることを聞かしてもらうばかり」だと言った。まるまるありのままを、如来に見ぬかれ、願われ、引き受けられてあることを「おたすけ」と仰いだのである。

・いそぎ仏になる

 「念仏していそぎ仏になりて」「自力をすてていそぎさとりをひらきなば」とある「急ぎ」の意味は何か。速やかに不退転の位を得て、覚りに至ることは、大乗仏教をつらぬくテーマであり、特に浄土教の根幹である。見過ごすことのできない、一刻も早く何とかせねばならない眼前の事実に、苦悩の衆生の実態に目を向けたのが大乗仏教であるからである。目の前の現実から目をそらさせない。だからこそ浄土を願えよというのが、往生浄土(浄土に往生して仏になり)・還来穢国(この世にかえって来て苦悩の衆生を自在に救う)の浄土教なのである。
 急いでいるのは、このわたしではない。「いそぎ浄土へまゐりたき心の候はぬ」のが、わたしの現実である。急いでいらっしゃるのは大悲の阿弥陀如来である。善導大師は、阿弥陀如来の立ち姿は救急の大悲をあらわすと釈された。自己中心のエゴに縛られて急がないわたし、念仏申せとせかせたもう大悲の弥陀なのである。

・念仏者は

 「念仏者ハ」と書いて「念仏は」と読むのだという説もある。しかし、「信心の行者」を指すと見たい。「念仏は」という言い方は第三者的な立場からの物言いとも取れるが、「念仏者は」といえば、我が身にひき当てての言い方ということがはっきりする。これを承けられたのであろうか。蓮如上人の『御文章』においては、「これが真実の信心である」という言い方はせずに、「これが真実信心の行者のすがたである」という言い方を一貫して用いておられる。わが身の上に受けとめる、それが念仏申すものの基本姿勢だからである。

・無義をもって義とす

 法然聖人の言葉と伝えられ、「義なきを義とす」という表現でも伝えられる。
 ここでいう「義」とは、人間のはからいを指す言葉であることは、親鸞聖人の著作に明確な示唆がある。「無」にもいろいろな用法がある。「無能」十分な能力がないということで、能力ゼロということではない。「無口」とは、口数が少ないということ。「無視」とは、視ないことではなく。視ても取り上げないということである。
 ここでいう「無義」とは、はからいがないということではなく、自分のはからいを取り上げないこと、はからいを捨てることを意味すると思われる。
 問題は、「はからい」とは何かである。「はからう」は、「はかる」から転化してできた言葉だという。漢字の、度・計・量・測・画・図・謀・議などが当てられる。損か得かと計算し、本当かどうかと忖度、こういうことだろうと憶測し、この程度だろうかと推量し、ああなってこうなってと計画し、こうしてああしてと意図することなど全てを含む言葉である。是非・善悪・因果などはみな、このはからいの内容である。人間の心の営為全体がこの中におさまるといってよいであろう。
 人間の心の営為の全体がはからいである以上、はからいをなくすることなどできない。だから、はからいを全面否定はしてない。『歎異抄』には、「面々の御はからひなり」とあり、別の著書には「よくよくはからはせたまふべし」ともある。「如来の御はからい」ともある。自己をではなく、如来の仰せをよりどころにしてはからうべきことを示唆するものであろう。
 人間の自己中心の心の営為、それがここで「義」と呼ぶはからいである。それがそのまま如来の智慧、如来の御はからいに対する疑いとなっていることを指摘するのが「無義をもって義とす」という言葉である「無義」とははからいをなくしてしまうことを意味するのではない。ここで言おうとしてるのは、自分の心の営為全体が、如来に対する疑い、如来の御はからいに対する反逆に過ぎなかったと知って、自分のはからいは虚仮不実と見切り、如来の御はからいをよりどころとすること、わがはからいをよりどころとはしないことである。それこそがよきはからいというものだというのが「義とす」ということの意味である。
 実如上人は、「わがこころにまかせずたしなむが他力」と言い表し、赤尾の道宗は「心中をひきやぶりて」と言った。無義をもって義とする旨を示す言葉である。